第五十六話 別れ
夕食の時間だという事でアニが僕を起こしに来てくれた。
「ああ、おはようアニ」
「おはようございます。その私も先ほど聞いたのですが、頭を強く殴られたとか……。お身体の具合はどうですか?」
僕は身体強化が解けた事を、リラさんから指摘されたトラウマの事を伝えようかと迷ったが、それを言ってもすぐに解決できる様な問題ではない。余計な心配をかけるだけではないか、そう思い僕はその事を伏せる事にした。
「問題ないよ。頭が少し腫れちゃったくらい」
僕はベッドから起き上がり、医務室を出た。
医務室を出るとすぐに夕食のいい香りがした。丁度廊下にはできた料理を運んでいる子供達がいる。
「あ、アルノルト君起きたんですね。どうも大変だったみたいですが、具合はどうですか?」
「沢山寝かせて貰えたのでもうばっちりですよ。僕も配膳手伝いますね」
僕はアニと共に配膳の手伝いを始めた。
その日の夕食はいつもよりも豪華だった。フィーリネの送迎会の為だ。というのも、今回リラさんがここに来てフィーリネを連れて帰るというのはロザリンドさんには元々伝わっていたらしい。それと、仕事の割り振りを担当しているルークさんも知っていたようだ。
今日アニが同行した狩りの訓練もそれに合わせた獲物の獲得の為だったようだ。今回の獲物もアニが仕留めた物らしい。
それと今日僕とフィーリネが仕事の無い日だったのもルークさんの配慮だったらしい。僕とフィーリネの別れの時間を作ってくれようとしていたらしい。もっともその配慮は僕が気絶してしまったせいでふいになってしまったが。
夕食時、フィーリネから挨拶があった。それはみんなへの別れの言葉だった。リラさんが来た事でフィーリネが帰る事を察していた人もいるようだったが、特に小さい子たちは寂しそうにしていた。
夕食を食べ終わった後、食堂には女の子達が集まってフィーリネとお話しをしていた。男子は普段通り宿舎に帰っていった。僕も男子と一緒に宿舎に戻って寝る準備を始めた。
朝いつもよりも早く目が覚めた。昨日は気絶した時間を含めて長い間寝ていたからだろう。外は明るく、既に布団から出ている人が何人かいるように見える。彼らは畑の当番の者だろう。
寝覚めがよく、二度寝する気分にもなれなかったので僕はそのまま着替えて男子部屋の外に出た。そして僕は廊下に置かれた振り子時計を見て時刻を確認する。
この世界では時計はそれなりに流通している。一般市民の各家庭に置かれている程ではないが、貴族であれば屋敷にいくつかは置かれている。流石に各部屋にあるわけではないが、人の集まる様な部屋――食堂や玄関ホール――や父さんの執務室には置かれていた。
孤児院には常識で考えればあるような代物ではないが、まぁそういう事をこの孤児院に言ってもしょうがないだろう。なにせ多くの事が規格外なのだから。
時計が差す時刻は午前五時。朝食まではあと二時間程ある。なんとなく、僕は散歩をする事にした。
仕事を手伝えなんて言われるのも嫌なので畑を避けて散歩していると、訓練場のある場所にたどり着いた。早朝、誰もいないはずの訓練場から何やら物音がする。気になって訓練場の様子をうかがうと、そこには一人の少年がいた。
こんな朝早い時間から訓練か……。僕はその少年に近づいた。
僕が近づくとその少年は敵意を出した目をこちらに向けてきた。今にも戦闘を始めると言った様子だ。
「おはよう、アラン君」
少年――アラン君に僕は声をかけた。すると少し敵意が和らいだようで、警戒態勢を解いた。しかし僕に挨拶を返す事はせず、僕から視線を逸らされてしまった。
嫌がらせこそしてこないが、露骨に嫌われているよな……。
僕は彼に話しかけるでもなく、ただ彼が何をしていたかを観察した。
訓練場は木が伐採され、ある程度開けた場所にある。そこには普段戦闘訓練を行っているスペース以外にも木の的が立てられていたり、丸太でできた案山子の様な物も置かれている。その的に向かってアラン君は水球を撃っていた。あれはウォーターボールだろう。
僕の体感だが、魔法はその属性によって消費魔力の量が違う気がする。いわゆるゲームなんかでもよくある属性土、水、火、風である。例えばクリエイト系と呼ばれる初級魔法は水を発生させるクリエイトウォーター、火を起こすイグニッション、風を吹かせるクリエイトウィンド、土を生み出すクリエイトアースの四つだ。
クリエイトアースは魔力の消費量が多く、次にクリエイトウォーター、イグニッション、クリエイトウィンドの順に魔力の消費が少なくなっていく。こうして見ると土属性は不遇である様に感じるがまだ魔法には法則がある。それは物があるか、ないかである。
それぞれ魔法で使うもの、土、水、火、風の物質や現象であるが、それがその場にあるかないかで使う魔力の消費量が変わるのだ。
例えば土属性であれば足元が土、水属性であれば近くに川や池が、火属性は焚き火等の炎があれば消費魔力が減る。風属性だけは別で強風だったり無風状態では消費魔力が増える。
そうなると土属性が不遇という訳でもないだろう。何せこの世界アスファルトやコンクリートの道なんてない。屋外戦闘では基本的に常に土属性は魔力消費軽減の恩恵を受けられるのだから。
よく見るとアラン君の足元にはバケツが置かれ、そこから水球に使う水を供給しているようだ。
アラン君と的の距離はかなり離れている。大体二十五メートルくらいだろうか。命中させるのは中々難しそうだ。現に彼の放つ水球は的から数メートル横を通りすぎている。中には的一個分程の距離を通過するものもあったが、当たった水球はない。この孤児院で的当てを見たのは数回しかないが、みんな十メートルくらいの距離だった。
それからしばらくしてアラン君はバケツの水がなくなったのかバケツを手に持ちその場を去ろうとした。その時僕の真横を通ったが何もなしである。まるで僕を視界に入れないようにしているまでの無視っぷりだ。
僕は彼に何も声をかける事が出来ずただ彼の去っていく後ろ姿を眺めるだけだった。
その後もしばらく散歩しているうちに時間が経ったのか、宿舎の近くまで戻って来たところで何人かの子供達が宿舎から出て行くのが見えた。あの子達は料理当番の子だろう。という事は今は六時過ぎか。その中にアラン君の姿はない。つまり当番だから早起きしていたわけではないようだ。毎朝あそこで練習しているのだろうか。
男子部屋に戻ると丁度布団の片付けをしているルークさんがいた。
「おはようアルノルト君、今日は早いですね」
「昨日昼間よく寝ていたので」
「ああ、なるほど。それで、散歩ですか?」
「そんなところです」
と、朝の挨拶をかわした所で、僕は部屋を見る。アラン君は戻ってきていないようだ。まださっきの訓練場で練習を続けているのだろうか。
「そういえばさっき散歩していた時訓練場でアラン君を見かけたんですが、あれはいつも?」
「そうですね、私の知る限り魔術を覚えた日からずっと続けていますね」
それは驚きだ。僕も魔術を覚えた日から身体強化は欠かしたことがないし、魔法の訓練もほとんど日課の様にやっていた。だが、それは僕に生まれた時点で日本の高校生相当の人格意識があったからだ。僕と同年代位のアラン君がそこまでしているという事に素直に感心だ。僕はこの孤児院に来てから魔法の訓練の方は忙しかったという事もありまともに練習していなかった。大した熱意である。
「凄いですね、何か凄い冒険者にでもなりたいとか、夢があるんですかね」
僕の言葉にルークさんは苦い顔をする。この国では冒険者は割と憧れの職だ。騎士や兵士の様に安定した収入を得られるわけではないが、この国の成り立ちや、英雄の物語を読んでいれば自然と憧れるはずだ。だからその線だと踏んでいたが違うのだろうか。
「えっと、何かまずい事聞いちゃいました?」
「いえ、そうではないです。ただ、アランの行動を説明するのに私から言ってしまっていい物かと考えていたんです……が、アルノルト君、いやアルノルトももう私たちの家族ですし、アランの事情を知ってもいいかもしれませんね」
「あの、別にちょっと気になった程度何で言いづらい事なら別に大丈夫ですよ」
「いえ、聞いてください。アルノルト君はこの事を聞いた方がいいでしょうから」
そう言うと寝ているとは言え、人の多くいるところでは話しづらいのか、ルークさんは場所を変えると言って宿舎を出た。
来たのは母屋の勉強部屋。そこで椅子に座るとルークさんは話し始めた。
「私たちはみな孤児です。故郷を魔物に襲われた者、口減らしの為に村を追い出されたもの、魔物の討伐で親を亡くした者、理由は様々です。私の場合はこれです」
そういってルークさんはその薄茶色の長髪を前髪ごと後ろでお団子にした。
「私の目をよく見てください」
そこには美しい金色の瞳が二つ見える。
ルークさんは自分の右目に手をあてて覆い隠した。そしてすぐにその手を離した。僕は意図せず言葉が漏れた。
「瞳の色が……」
ルークさんの右目は金色から銀色へと変わっていた。オッドアイ……というやつだろうか。
その瞳を僕に見せるとルークさんは再び手で目を隠した。その手が離れたとき瞳の色は元の金色に戻っていた。
「生まれつき左右の瞳の色が別でね、この目を気味悪がった両親に捨てられたんですよ。今は院長の開発した魔術のおかげでこのように瞳の色を変えることができますが」
「それは……」
僕は言葉を返せなかった。わかっていた事だ、ここは孤児院であり、僕やフィーリネの様に帰る家がある人間などいるわけないのだ。その事を今ようやく理解した。
「それで、アランの場合ですが、彼は貴族に両親を殺されました」
ルークさんはアラン君の過去を語り始めた。
「アランは隣の帝国で生まれました。その町で暮らす普通の家庭だったようです。ある日、母親と買い物に出掛けているとき旅の貴族の馬車が横を通りすぎました。その馬車に乗った貴族はアランの母親を見つけると連れ去ったそうです。見た目が良いからと……。当然彼から話を聞いた父親は激怒し町の領主、その代官の元へと抗議に向かいました。しかし、アルノルトは知っているかもしれませんが、帝国では王国よりも貴族階級の力が強く、貴族の特権がかなり拡大解釈され行使されます。父親の抗議は揉み消されました。そればかりか、翌日代官は父親を貴族への反逆罪で連行しました。旅の貴族は高位の貴族だったそうなので、迷惑をかけまいとしたのでしょうね。アランは父親と一緒に連行されそうだった所を父親の友人の冒険者が保護しました。その冒険者はこの孤児院出身者でアランをここまで連れてきました。そして現在に至ります」
……貴族を憎むのは当然だろう。むしろ、僕を嫌うくらいで直接手を出さないだけでもよく耐えていると思う。
しかし、これは結構堪えるな。貴族の暗い側面を見せられるのは気持ちのいいものじゃない。
「それでアラン君は貴族を憎むようになったと……」
「勿論、アランもアルノルトを憎しみの対象として見ているわけではないと思うよ。でも、やっぱり同じ貴族として見てしまうんだろうね。だからこそ少し厳しい視線を送ってしまうんだと思う」
「今朝の特訓は……復讐のためですかね」
「……かもしれないね。アランは格闘の訓練の時も熱心に参加しているから」
彼は……自分の力のなさが原因で家族を失った、そう思っているのだろう。七歳の子供にできる事なんて多くはないのに、それでもその責任を感じてしまっているんだ。
ふと、それは僕自身の身近な事のようにも感じた。事の悲惨さも、結末も全部違う。それでも僕が王都で感じた無力感は彼の持つ責任感と同じなのではないか。
僕は彼に一方的な親近感を覚えた。
それから随分時間が経っていたのかルークさんと共に勉強部屋を出た頃には丁度朝食が完成した時のようだった。それを手伝い、僕らは朝食をとった。
朝食を終えると、いよいよフィーリネとのお別れの時間だ。お別れと言っても永遠の別れじゃない。僕もフィーリネも三年後には学院に入学する予定なのでそれまでの短いお別れだ。
「それじゃあね、フィーリネ」
「うん……」
別れを前にフィーリネは寂しそうだ。うーん。何とかして励ましてあげたいけど、どうしようか。僕がフィーリネを励ます方法を考えているうちにフィーリネは意を決した様な顔をした。
「ねぇ、アル、貴方も一緒に家に帰りましょ。大丈夫、お父様には私がお願いするわ。そうすればまだ一緒に……」
「フィーリネ、それは駄目だよ。アルがここにいるのは、確かに罰としては重すぎる。それでもアルがここにいるのは罰なんだ、それはアルがしっかり償わなければならない事なんだ。だから、それから逃げてはいけないんだ」
「リラさん……」
「その通りだよフィーリネ。僕はここに残る、残らなきゃいけないんだ」
「そっか……」
「うん、だからさ……」
僕はフィーリネに近づき彼女の頬に手をあて、口角をひっぱった。
「しばらく会えなくなるのに最後に見るフィーリネの顔がそんな寂しそうな顔だと残念だ。笑ってお別れしようよ」
「笑えって……」
フィーリネはその大きな目に涙を浮かべながらもここに来てから見せるようになった笑顔をで笑った。
「うん、フィーリネにはその顔が似合ってるよ」
「ふふふ」
フィーリネは照れたような顔をして笑っている。
「それじゃあ、本当にお別れだ。バイバイ、また会おうねフィーリネ」
「うん、バイバイ、アル」
フィーリネはそう言うと僕に近づき突然顔を寄せた。
そして彼女の唇が僕の唇に当たった。唇と唇が当たった。チュー、キス、接吻様々な言葉が頭の中を駆け巡る。
…………フィーリネは顔を真っ赤にしながら馬車へと乗り込んだ。お別れを見送りに来た子供たちからは歓声が沸き、リラさんは笑いを堪えようとしているようだった。
「それじゃあね、またいつか色男さん」
リラさんはそう言い残し馬車に乗った。
去っていく馬車を眺めながら僕は自分の唇に指をあてて僕の唇を触る。指とは違う柔らかな感触が思い出される。
僕のファーストキスの瞬間だった。




