最終話 あなたのことが大好き
マナ・パンポット……浮気性でマフィアの旦那に愛想を尽かし、家を出る。ナイフさばきが上手い。旧姓マーメルを使うことにした。
メリメオン(ミカ)……ノーリンジ王国の第1王子。橙色の髪に、透き通るような白い肌。王宮内の陰謀により誘拐された。
キンカ……ノーリンジ王国の国王。ミカが誘拐され行方不明になって以来、憔悴している。
カーリー……ノーリンジ王国の王妃。冷えきった目に燃え盛る野望を宿している。ミカ王子誘拐事件の黒幕。
ポンカ……ノーリンジ王国の第2王子。武芸に秀でる。わんぱくで生意気なクソガキ。母に撃たれて死亡。
レモ……ノーリンジ王国の前王妃。ミカの実母。故人。
バンズばあや……パンポット家の有能な使用人。〔パンポット・ファミリー〕先代のボスの娘。
カット卿……政財界の黒幕。ナイト爵持ち。カーリー王妃の父親。
池の水面が氷になっているのを眺めつつ、マナは庭園を歩いている。
新年を迎えてもなお、彼女は王宮にとどまっていた。
マナ自身、1ヶ月近くも滞在することになろうとは思ってもみなかっただが、さすがに命を奪いかけた傷はそう簡単に癒えるものではなく、また国王も、
「いつまでも、ここにいてください」
と優しい言葉をかけてくれるものだから、ついついマナは甘えてしまった。
とは言え、自分の身分を忘れたわけではない。
早々に帰宅できるよう、日々リハビリに励んでいた。
最近では、杖をつく必要はあるものの、こうして一人で外を歩けるまでに回復した。
「……ばあや。何をしてるの?」
マナは足をとめた。
とめざるを得なかった。
バンズばあやが庭で枝切りしているのだ。
「ご覧の通りですよ、奥様。いつも通り、王宮内の家事をこなしているのでございます」
「いつも通り? いつも、こんなことやってるの? もしかして雇われた?」
「勝手に致しております」
「……」
さすがに王の住まいで勝手な行動はまずいのではないかと思う一方、確かにバンズばあやのお手並みは素晴らしく、木々がきれいに形を整えられている。
マナは二重の意味で、
(大したもんだよ)
感心して、また歩き始め、やがて東屋で休憩をとった。
この程度の散歩で体が火照るわけもなく、冷気がつらい。
だが、彼女の関心は気温などに向けられていない。
(あの子はどうしてるだろう……?)
ミカにはまだ会えていなかった。
心配で心配で、何度も面会を希望したが、いまだに叶っていない。
身分差を考えれば当然のことだろう。
国王から直々にねぎらいの言葉をいただいただけでも、平民としては異例の待遇を受けたことになる。
これ以上は高望みだと、わかってはいる。
底なしの闇へと沈む心を引き上げてくれたのは、
(いい匂い……)
誰かが机の上に紅茶とマーマレードを置いてくれた。
マナは、
「私なんぞに従者をつけてもらわないで結構です」
と断っていたが、どこかで見張られているのか、ほしいものがほしい時に出てくる。
今はちょうど、あたたかい飲み物と甘いものがほしかった。
(このマーマレードは嬉しいね)
すでに何度か食事に出されたが、さすが宮殿で提供されるだけあって、優れた品質だった。
マナは頭を下げ、
「ありがとうございます。何から何まで……」
「いいんだよ、ママ」
「えっ……あ!」
その瞬間、世界から音が消えた。
伝えたいことはたくさんあるはずなのに、いざとなると言葉がまったく出てこない。
かたまったまま動かないマナの腕をとり、
「ママ。会いたかった……」
ほほえんでくれたのは、
「メ……」
メリメオン、と呼びそうになって、マナは口をつぐむ。
黙って、見つめて、少年を抱き締めた。
「ママもお元気そうで何よりです」
たっぷりの抱擁の後、二人は並んで椅子に座った。
ミカはマナの紅茶にマーマレードを入れたり、
「まだ熱いからお気をつけてくださいね」
と注意したり、あれこれ世話を焼いてくれる。
あたたかい紅茶がじんと胸にしみていく。
マナは相づちを打ち、少年の熱心なおしゃべりに耳をかたむける。
すっかり健康状態を回復させたミカは、身ぶり手振りをまじえて、とめどなく話す。
マナへの感謝に始まって、すぐにでも会いたかったが、治療の邪魔になってはいけないと遠慮したことや、再会の時には驚かせてやろうとたくらんだこと、そして、
「そのためにジャムを作ったんです」
ということまで、笑顔で語った。
マナは話の内容よりも、
(この子、こんな声だったんだ……)
少年の変化に意識を向けていた。
マナのような身分の者に気さくに話しかけているが、しかし王子らしい服装で、だが礼儀正しく、そしてほがらかだ。
かつてのおびえは完全に表情から消え失せている。
少し背丈が伸びたかもしれない。
(まるで別人……いや、これがこの子の本当の姿なんだ……)
冷たい風が吹く。
紅茶がぬるくなっている。
ミカが思い出を語ってくれるたび、マナの心には喜びが湧く。
まして、あらたまった調子で、
「あなたのことが大好きなのです。これからも、私と一緒に暮らしていただきたい」
と言われた時には、舞い上がらんばかりの想いだった。
だが……
「無理だよ」
精一杯の微笑を浮かべたマナは、
「私は平民だし、所詮マフィアの女だし――」
「あの凶暴でがさつなマフィアは死んだそうではありませんか」
「それでも、過去は消せないよ。それに、王家には威厳が必要だろ? 私みたいな、血にまみれた、学もない、田舎出身の女なんて、本当は一瞬たりとも、ここにいちゃいけないんだ」
「いてくれないと困ります」
「わからない子だね」
「だって、ママがいてくれなければ、私は……また一人に……」
「……?」
ミカの表情が曇る。
今にも雨が降りだしそうな表情だ。
一方、マナは冷静だった。
(諭さなきゃね)
この子と会話できる機会は、あとどれだけあるか。
真剣に考えれば考えるほど、楽観的ではいられなくなる。
今のうちに、二人の関係に決着をつけねばらないと思った。
「いいですか? よくお聞きになってくださいね、ミカ王子殿下」
「!!!」
もちろん、意図的だ。
意図的に、マナは彼をミカと呼んだ。
メリメオンではなく、ミカと。
馴れ馴れしい口調はやめて、敬語を使う。
身分だけの問題ではない。
愛する少年に対し、一人の人間として、最大限の敬意と誠意を示したつもりだった。
ところが、その態度が彼を傷つけた。
「こんなの嫌だ!!!」
突如、ミカは席を立って走り出した。
驚いたマナは、とっさに追いかけようとするも、体はまだ本調子ではない。
胸が痛み、その場に膝から崩れ落ちる。
「無理はいけません」
一体いつから見ていたのだろう。
颯爽と現れ、手を差し伸べてくれたのは、
「国王陛下!」
マナは痛む体に無理を言わせて、お辞儀をした。
お辞儀をしつつ、ミカの行方を目で探る。
すでに後ろ姿が見えない。
キンカ国王はマナの体を支えながら、
「大丈夫。行き先はわかっています。案内してあげましょう」
「陛下……お忙しいのでは?」
「公務は抜け出しました」
キンカは満面の笑みでウインクした。
* *
王宮の一角。
平原に半球状の巨石が並んで、まるで石の畑のようになっている場所がある。
初見のマナは、
「王家の墓地です」
とキンカに説明してもらうまで、それが何なのかさっぱりわからなかった。
その巨石のひとつに、ミカがすがりついて泣いている。
マナとキンカは離れたところから見守る。
「陛下。あれは……」
「私の最初の妻……ミカの実母の墓です」
「……」
「私が悪かったんです」
「え?」
キンカはミカよりも遠くを見るような目をして語る。
「最初の妻レモを亡くした悲しみにたえられず、私は仕事に没頭したり、カーリーとの再婚を急いだり、とにかくミカを遠ざけました」
「どうしてミカを?」
「レモによく似ているんです」
「……」
「愛情をおろそかにしてしまいました。母を亡くした息子にとって、頼れる親は私だけだというのに」
キンカはミカに近づき、マナは無言でその後に従った。
ミカは二人に気づいたが、何も言わない。
眉間にしわを寄せて顔をそらすのは、無言の抗議なのか。
「私を恨んでいるだろう?」
キンカに問われたミカは即座に、
「はい」
マナはびっくりして、
「陛下に向かって失礼ですよ、王子殿下」
「だって……だって、陛下はまた再婚なさるっておっしゃるんですよ!?」
「ええ!? そりゃひどい……あ。すみません」
マナは、ついうっかり口をついた不敬発言を謝罪したが、
(でも、ひどいのは本当だ)
何と言っても、二度目の結婚で義母になった女性が、ミカの命を狙ったのだ。
ようやく体の傷は癒えたが、心はどうかわからない。
いや、まだまだ不安定だろう。
何と言っても、たった6歳の子供なのだから。
その事件の直後にまた再婚とは。
「やはり、あなたは優しいですね」
キンカは怒るどころか、むしろ嬉しそうにしている。
マナは恐縮で小さくなる。
「私は親として不充分です」
「そんなこと……」
「今回の事件で痛感しました。だから、私は誰かに支えてもらわなければいけない。優しくて、心が強く、気高い女性に。そんな人と一緒だったら、子育てもうまくいくでしょう」
「はあ……」
「偶然にも私は、そのような素敵な女性に出会い、心を奪われてしまったんです」
「ですが……それでは息子さんがあまりに気の毒と言いますか……」
「ミカも気に入っている人です」
「……?」
マナとミカが顔を見合わせた。
少年の表情は、
「そんな人は知らない」
と言っている。
再び王へ視線を向けたマナ。
すると、
「あなたです。マナさん。どうか私と結婚していただきたい」
「えっ……ええぇぇえぇぇぇ!!?」
求婚された本人は困惑しきり。
考えてもみない展開に、どうすればいいものかわからず、ひたすら目をぐるぐるさせている。
助けを求めるようにミカの方を向くと、彼は目を輝かせている。
もう再婚反対の意思はないようだ。
これでますます、
(どうしよう……どうすれば……)
混乱するマナ。
頭がぐるぐる回って、冷や汗が止まらない。
だが、その一方で、確かな希望に胸をときめかせてもいる。
乾いた喉から声を絞り出すように、マナはしゃべり始める。
「あ、あの……私は……」
* *
「この後、奥様がどう答えたか、ですって?」
庭仕事をするバンズばあやは、すべてお見通しのようだ。
「だから、わたくしはもうここで働いているのでございますよ」
マママフィアマーマレード 完




