3
番台に戻ると、風呂上がりのTシャツにハーフパンツ姿の男が、炭酸の缶を片手に振った。
「お疲れ。あれ、見てたぞ。分かりやすいマウンティングな」
「また来てたの? 暇だね~公務員って」
私は言って、戸波君に「ありがと」と言って番台を交代する。
篠原和真も、私の中学時代の同級生である。
大学を卒業した後、地元である奈良市役所で勤めている。
家が近いということもあり、週に二、三回はやってくる常連客だ。
中学のころから背が高くて目がくりくりしていて、運動神経もよかったので人気だったけど、篠っちは結実理とは違って、モテるというよりクラスのお調子者的存在だった。
その雰囲気は、二十七歳を迎える年になった今でも変わっていない。
「さっきの、麻生だろ」
女湯の暖簾を顎先で示し、篠っちは声を落とした。
麻生というのは結実理の旧姓だ。
「いたんなら声かけてよ」
「やだよ、面倒くせえ」
宿題を言いつけられた子どものような表情で、篠っちは持っていたサイダーの蓋を開けた。
ぷしゅ、といい音がして、溢れてくる白い泡に口をつける。
「ちょうど脱衣所にいたから声が聞こえたんだよ。お前も人がいいね、あんなマウンティングに付き合ってやって」
「マウンティングって、あれでしょ?ママ友同士がやるやつ」
「だから今のがそうだって言ってんじゃん」
篠っちは目をぎょろっとさせ、呆れたようにサイダーを一口飲んだ。
「いや、意味は知ってるけど。ゆみりーと私じゃ違いすぎるし」
たしかマウンティングは、同じコミュニティ内にいる相手を自分より下と格づけして、やんわりと見下したり威嚇したりするものだったはずだ。
「だって向こうは美人で金持ちと結婚して子どももいて、悠々自適の専業主婦じゃん。一生働かなくていいし、この先何の苦労もなく人生渡っていけんだぜ?
わざわざこんな片田舎のさびれた銭湯までやってきてさ、私幸せです~って見せびらかしてるんだよ」
「誰が片田舎のさびれた銭湯よ」
私は篠っちの額に人さし指を突き刺した。「いてっ」と声が上がる。
意外だった。
社交的で明るく、誰にでも愛想のよい篠っちが、久しぶりに会うクラスメイトをそんなふうに斜に構えて眺めていたなんて。
「いいお湯でした、ありがとう~」
「はーい、ありがとう。気をつけて帰ってね」
常連のおばあちゃんが、にこにこと肩にタオルを巻いて帰っていく。
私は手を振ると、まだ番台の前に突っ立っている篠っちに言った。
「何でもいいけど、そろそろ帰ったら?」
「うるさいよ、いつ帰ろうと俺の勝手だろ?大体、俺はお前を心配してやってんだぞ」
「心配って何よ」
はあ、と篠っちは深いため息をついた。
「……いや、何かさ、お前が嫌な思いしてないかなって思って。あいつ、わざわざこの銭湯まで来て、昔の友達に『勝ち組アピール』してくるとか、感じ悪くね?」
「ゆみりーより、あんたのほうがよっぽど感じ悪いんですけど。いいからもう帰ってよ」
「あっ、お前、人の親切を無にしやがって」
「いや、マジで余計なお世話だから。大体、文句があるんだったら、私とゆみりーが喋ってるときに割って入ればいいでしょ?」
「そんなんしたら、今度は麻生の旦那と俺を比べて見下されるだろ。絶対ごめんだね」
篠っちは顔を歪めて言った。
どうも、かなり嫌悪感があるみたいだ。
結実理にというよりは、マウンティングという行為そのものにかもしれない。
「私はそんな悪いふうにはとらなかったよ。篠っちの考えすぎじゃない?それに第一、ここに来てくれる方は大事なお客様だから。これ以上そういうことは言わないで」
篠っちの目に懸念と、かすかに傷ついたような色が浮かぶ。
本当、分かりやすい人だ。
「……分かったよ。何かあっても知らんからな」
飲み干した空き缶をゴミ箱に捨てる、拗ねた背中に私は呼びかけた。
「篠っち」
「……何だよ」
「ありがと。心配してくれて」
微笑みかけても、篠っちは振り向かなかったが、軽く手を振って帰っていった。
いいね!をいただきありがとうございます。ブックマーク、評価、感想なども、とても励みになっております。引き続き、銭湯『松の湯』での物語をお楽しみくださいませ。




