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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第一章 はじまり
12/181

12 女神④


『あぁ、やっぱり近くで見ると綺麗だったわ…』


昨日のことを思い出すだけで、顔が自然と緩む。


まさか投書した次の日にクラスにつぼみが来るなんて思わなかったし、すぐ近くで会って話すことができるなんて想定外だった。



学園一の美少女と言われ、成績も常に学年トップの優希雫石。

金髪碧眼の王子様のような見た目で、入学式でヴァイオリンを弾いて新入生の注目を集めていた周防晴。

自分を教室まで呼びに来た人も、誰かは分からないがとても綺麗な人だった。


「つぼみって、みんなあんなに綺麗な人ばかりなのかな…」


美しいものは好きだ。特に、美しい人は好きだ。

見ているだけで満たされた気持ちになるし、少し言葉を交わしただけでも心が舞い上がる。

宝石や花も美しいが、あれらは喋らないし動かないから駄目だ。


美しい人が美しい笑みを浮かべ、美しい声で美しい言葉を紡げば、その心もきっと美しい。

その美しさを知って理解している自分は、周りとは違うのだ。



「周防先輩って、近くで見るとさらに格好良かったね」

「王子様みたいだったわ」

『私は近くで見るだけじゃなくて喋ったことあるけどね。勇気があるとも言われたわ』


「優希先輩も綺麗な人だったわ」

「私もあんな素敵な女性になれるかしら」

『なれるわけないじゃない。鏡見たことあるのかしら。あの人は学園一の美少女と言われてるのよ?』


容姿だけでなく1つ1つの所作も、姿勢も、喋り方も、声も、心配そうに眉を寄せる表情も、全てがそこら辺にいるような人間とは比べものにならないくらいの美しさだった。


『そう。まるで……』


「さ、佐久間さん!」

「?」


美しくない声に顔を上げると、頬を紅潮させて興奮したようなクラスメイトが私を呼んでいるようだった。


「何?」

「あ、あの…えっと、あの…」


口をパクパクさせるだけで内容が1ミリもない言葉にイライラする。

何かを伝えようとしながらも興奮していることで言葉にできないのか、チラチラと教室の外を見てこちらに促してくる。


何があるのかと思ってそちらに視線を向けると、信じられないものが目に映り込んで思わず自分の目を疑った。



「あ、あの、つぼみの優希先輩があなたを呼んでいるわ」


今さら役に立たない情報を口からこぼすクラスメイトを放っておいて、席を立つ。


教室の入り口で優希雫石が美しい笑みを浮かべながらこちらに手を振っており、興奮する心を落ち着けながらそちらへ向かう。


広い教室の中にいる他のクラスメイトも優希雫石がいることに気付いたらしく、ざわざわとざわめきが広がっていく。

そしてつぼみが1人の新入生をにこやかに呼び出している状況に、好奇と関心の目が向けられる。


クラスメイトは分からないだろう。この状況が分かるのは、自分だけ。

優希雫石がこのクラスの中で名指しで呼び出すような用があるのは、自分だけだ。


クラスメイトの視線を一身に受けながら、緩みそうになる表情に気を付けて教室の入り口へと向かう。


「あの、私を呼んでるってクラスメイトの子から聞いたんですけど…」

「えぇ。あなたとお話がしたいと思って来たの。迷惑だったかしら?」


ざわつく周囲に視線を向け、少し申し訳なさそうに眉を寄せる姿でさえ美しい。


「いいえ。大丈夫です」

「そう。それなら良かったわ」


ふわりと、花が咲いたように笑う。

その瞬間に、背後でクラスメイトたちの黄色い歓があがる。


何を誤解しているのだろう。今の笑みは自分に向けられたものだ。

背後のエキストラに向けてではない。自意識過剰も(はなは)だしい。


「ここでは落ち着かないでしょうから、静かなところへ行きましょうか」


ほら、用があるのは自分だけだ。




教室から離れてどこかへ向かう優希雫石の後ろ姿を見ながら、それについて行く。


『どこに行くのかな。また、他のつぼみのメンバーと会えたりして。それとも、つぼみしか入れないという部屋に連れて行ってもらえるのかしら』


何せ、自分は重要な情報提供者だ。


『あんなたった1枚の投書でここまでつぼみとお近づきになれるなんて…』


予想以上だ。このままいけば、もっとつぼみと近付けるかもしれない。



人通りが少なくなり、着いたのは昨日も来た空き教室だった。


目的地がつぼみの部屋ではないことに少し落胆しつつ、薄暗い教室の中に入る。


「わざわざここまで来てもらってごめんなさいね。あまり人がいるところだと、あなたとゆっくりお話しできないと思ったの」

「あの、お話って…?」

「あなたから相談を受けた、いじめのことで聞きたいことがあるの」

「はい。何でしょうか」


「あなたのクラスで行われているいじめについて調査をしたのだけれど、1年B組でいじめが行われているという事実はなかったわ」

「そんなはずはありません。どうやって調べたんですか?」

「聞いたの」

「いじめをしている内部生にですか?そんなの、嘘をつくにきまって……」

「いいえ」


雫石は、柔らかい笑みを浮かべたまま首を横にゆっくりと振る。


「全員によ」


「…全員?」


「えぇ。あなたのクラスメイト全員に聞いたわ」


予想外の答えだったのか、女子生徒の目がぽかんと開く。



「いじめの有無を、1年B組のあなたを除いた39人に直接聞いたわ。誰一人として、いじめがあるとは言っていなかったわ」


『いつの間に…?』


と思ったが、口には出さないでおく。


「…それはきっと、いじめがあることを言えば次は自分がいじめられるからみんな隠しているんです」

「いじめを受けている生徒が何も言わないのはどうしてかしら?」

「言えばもっといじめがひどくなるからです」

「1人ならまだしも、何人もいじめを受けているのだったら誰か1人くらいは助けを求めるのではないかしら」

「いじめを受けている人は、怖くてそんなに簡単に助けを求められないんです。もし1人だけ告げ口をしたのがバレれば、連帯責任でさらに酷いいじめになりますから」


「詳しいのね」


「え?」


顔を上げると、黒く美しい瞳と視線が交差する。


「いじめられる側の心情に詳しいのね、と思って」

「いえ、それは……見ていれば、分かります」


余計なことを言ったかもしれない、という考えが頭をよぎる。

そのせいで少し言いよどんでしまった。何か不審に思われたかもしれない。



しかし、優希雫石は特に気にならなかったのかその美しい笑みは変わらず優しげだ。


「確かに、あなたの言うことにも一理あるわね」

『よかった…』


賛同を得られたことにひとつ安心する。


しかし、目の前の美少女はその安心を一瞬で砕いてきた。


「では、いじめを受けていた生徒の名前を教えてもらえるかしら」


「名前…ですか?」

「えぇ。昨日は聞きそびれてしまったから」


その時初めて、昨日はいじめをした内部生の名前は聞かれたが、いじめを受けた生徒の名前は聞かれていなかったことを思い出した。


「えっと…」

「昨日、あなたはどんないじめが行われているのか詳細なことも教えてくれたわ。いじめの現場をその目で見ていたなら、いじめられていた生徒の顔ももちろん見ているわよね」

「その、私、外部生なのでクラスメイトの名前と顔はまだよく覚えていなくて…」

「分かる範囲で良いの。入学して2週間も経つのに、あなたのような頭の良い子が1人も分からないなんてことはないでしょう?」

「それは…もちろんです」


自分には、そう答えるしかなかった。


クラスメイトの名前と顔なんて本当は全員覚えている。

しかし、ここは曖昧にしておかないといけない。


入学してから毎日のように同じ空間にいた人物の名前と顔を、1人ずつ思い出していく。


「えっと、確か…南野さんと菅さん…だったと思います」


その2人のことはよく知らないが、内部生のグループにいたのを見たことがある。

内部生の女子同士ならば、今までに揉め事の1つや2つ、妬みや嫉みの3つや4つあるだろう。



「南野さんと菅さんね」


優希雫石はそう言うと、近くのテーブルの引き出しからタブレットを取り出した。


「?」


一体何をするのかと見ていると、その画面に1人の人間の顔が映し出された。

長い髪を1つに縛った、大人しそうな女子生徒である。


「南野さん。佐久間さんはあなたがクラスメイトにいじめられていたところを見ていたらしいのだけれど、本当かしら」


画面に映っているのは、自分が今名前を挙げたうちの1人だった。

どうやらビデオ通話を繋げたらしいのだが、その手際の速さに自分だけがついていけない。



画面に映っている女子生徒は、雫石の問いに首を横に振る。


「いいえ。私はクラスメイトからいじめを受けたという事実はありません」

「ですから、いじめを受けている人は自分からいじめを受けてるなんて言わな――」

「私は外部生なので、いじめをしているという内部生と会話をしたこともありません」


「…え?」


その言葉に、思わず画面の中の人物に目を向ける。


「あなた、外部生なの…?だって、よく内部生のグループにいたじゃない」

「内部生に知り合いがいるんです。そんなのは、珍しくないですよね」

「えぇ、そうね。静華学園に入学できるほどの家柄なら、昔から交流があってもおかしくわないわ。南野さんのお家は、歴史のある旧家だもの」


雫石が画面に微笑みかけると、女子生徒は照れたようにはにかむ。


「南野さん、お話をありがとう」

「お役に立てたなら良かったです」


雫石は一度画面を切ると、放心している1人を置いて話を進める。


「次は、菅さんだったわね」



そう言って少しすると、画面にまた女子生徒が映る。

ショートカットに眼鏡をかけた女子だ。


「菅さん。佐久間さんはあなたがクラスメイトにいじめられていたところを見ていたらしいのだけれど、本当かしら」

「私はいじめなんて受けてません」

「そのことを証明できるかしら」

「証明になるかは分からないですけど、いじめをしていると言われているその子とは初等部から一緒の友人です」

「……え」


力のない声は、部屋の沈黙に吸い込まれて消える。


「少し人を寄せ付けない雰囲気があって勘違いされがちですけど、とても優しい子です。今までいじめなんてことしてたこともありません。初等部と中等部の先生方、友人たちに確認してもらっても構いません」

「えぇ。分かったわ。ありがとう」


雫石がそう言うと、画面の中の女子生徒はぺこりと頭を下げる。



雫石はタブレットをテーブルの上に置くと、床を見たまま動かない女子生徒に向き合う。


「あなたが名前を挙げた2人のうち1人は、いじめをしている生徒と会話したこともないようね。もう1人は、幼い頃からの友人。周囲に聞けば、どんな関係かを裏付けることは簡単でしょう」


「……嘘です」

「嘘?」


女子生徒はがばっと顔を上げ、雫石を見つめる。


「みんな、嘘をついているんです。いじめを受けてるのに受けてないって言ったり、友達だって言ってたけど、本当は友達なんかじゃないんです。だってクラスでそんなに話してるところは見たことがないです。みんなみんな、嘘をついてるんですよ」


「そう……嘘をね」


「!」


いつもの美しく優しい声のはずなのに、背中にざわりと冷たいものが走る。

思わず、一歩後ろに下がった。



「そういえば、あなたのことを少し調べさせてもらったわ」

「え…?」

「あなたが通っていた幼稚園、小学校、中学校の担任の先生や、クラスメイトにあなたのことを聞いたの」


雫石は少し首を傾げて、微笑む。


「おかしいこともあるものね。皆さん、さっきのあなたと同じことを仰っていたわ。あなたのことを、「嘘つき」と」

「そ、それは…」


「悪口を言われたと言えば、優しくされたのかしら。あなたはあの子に嫌われていると言って、時には味方を得たのかしら。有名人と知り合いだと言って、自分の価値を上げたかったのかしら」


すでに顔色を失っている女子生徒に構わず、雫石は続ける。


「そうやって最初は騙されてくれた人たちも、だんだんとあなたの嘘に気付いていったのね。それでもあなたは嘘をつくことをやめなかった。やめられなかったのかしら。そうしてあなたは、周囲からいじめを受けたのね」


女子生徒の肩がぴくりと動く。


「いじめられている人は自分がいじめを受けていると言えない。簡単に助けを求めることはできない。それは半分は本当で、半分は嘘ね。あなたがいじめを受けていると言えば、それは何故なのかと原因を問われるから言えないのね。言っても、今まで嘘をついてきたあなたの言葉は誰も信じてくれなかったのでしょう。誰も助けてはくれなかったのでしょう。当然のことだと思うわ」


「………」


重い沈黙が空き教室の中に満ちる。


女子生徒はぐっと体に力を入れたかと思うと、肩の力を抜いてふぅと息をついた。



「あーあ、バレちゃった」


あっけらかんとした声で、そう呟いた。


「さすがつぼみですね。こんなに早くバレちゃうなんて思ってませんでした」

「いつかはばれると分かっていたの?」

「別に、バレてもバレなくてもいいんです」

「嘘がばれたら、罰があるかもしれないとは思わないのかしら」

「こんな何でもない嘘をいちいち罰していたらきりがないじゃないですか。それに、嘘なんてみんなついてますよ。私だけじゃありません」


雫石は、優しい笑みを浮かべたままその目を少し細めた。


「あなたは、今回嘘をついたことを反省していないのね」

「何が悪いんですか?私、犯罪でもしましたか?ただいじめがあるって言っただけじゃないですか」

「あなたのその嘘によって傷付いた人がいるとは考えないのかしら」

「それはその人が悪いんですよ。これだけのことで傷付くなんて」

「…そう。あなたの考えは分かったわ」


雫石はひとつ息をつくと、いっそう笑みを深めた。


「そういえば言っていなかったのだけれど、静華学園において虚偽の告発は罰則対象なのよ」

「…え?」


「今回はつぼみに対する虚偽の告発だから、罰則の内容はつぼみである私たちが決めるの」

「こんなたいしたことのない嘘で罰則なんてするんですか?」

「たいしたことがないかどうかは、あなたが決めるものではないの。ちなみに、過去の虚偽の告発に対する罰則では退学になった生徒もいるわ」

「そ、そんな…嘘でしょう…?」


さっきまであっけらかんとした女子生徒の表情が、一瞬にして青くなる。



「嘘かどうかは、自分で調べてみるといいわ」


雫石は最後に微笑みかけると、話は終わったとばかりに部屋を出ようとする。


「ちょっと待ってください!」


すれ違った雫石を引き止めようと、女子生徒は思わず雫石の腕を掴んだ。



いつもの自分ならこんなことはしない。

憧れの美しい人の腕を、乱暴に掴むなど。

しかし、そんなことを考える余裕はなかった。

自分が退学するかもしれないという話で頭がいっぱいで、その時の雫石の視線が一瞬自分から外れたことにも気が付かなかった。


「退学なんて…せっかく静華学園に入ったんです。両親もとても喜んでいて…」

「そうなの。それは残念ね」

「だから、せめて退学はやめてください!それ以外だったら、何でも受けますから…」


拝み倒す勢いの女子生徒の手に、雫石の白魚のような手が重なる。


「あなたのその思いは他のつぼみのメンバーにも伝えておくわ」

「じゃあ…」


雫石は優しく頷き、美しい笑みを浮かべる。


後光が差しているかのように神々しく、誰にでも平等に救いの手を出す慈悲深き女神のような笑みを。


「えぇ。間違いなく伝えておきましょう。あなたは反省の一言もなく、わが身可愛さの保身に走っていたと」


ひゅっと息をのむような小さな音が女子生徒の喉に消える。


「あ…ちが、ちがう…んです…」


ぱくぱくと口を動かして弁解しようとしている女子生徒の手を自分から離すと、怯えの見える瞳を真っ直ぐに見つめる。


「あなたの言う通り、嘘は誰でもつくものよね。だけれど、嘘には対価がつきものなの。あなたの今回の嘘で、いじめをしていると偽られた生徒は、名誉を傷つけられたわ。南方さんと菅さんも、名誉を、友人を傷付けられたわ。今まであなたがついてきた嘘の対価は、あなたに対するいじめという行為で支払われたのかもしれないけれど、今回もそうとは限らないわ。家柄、権力、財力を持った人間は、どんな報復をするのかしら。あなたは頭の良い人だから、きっと少し考えれば分かるわ」


どんどんと顔色を失った女子生徒は、ついに足に力が入らなくなったのかその場に崩れ落ちた。



「あなたが足を踏み入れたのは、そういう世界なのよ」



幼子を諭すように優しくそう言い残すと、雫石は女子生徒を1人残して部屋を出た。




空き教室を出て人気のない廊下を歩いていると、廊下の先に佇んでいる姿が見える。


灰色がかった薄茶色の髪に、太陽の光を受けて宝石のように輝く薄茶色の瞳。

最近になってやっと着るようになった深紅の制服に、面倒くさいと文句を言いながら着けている深緑のネクタイ。

面倒くさがりだけれど、それだけではないことを雫石は知っている。



女子生徒からの告発が虚偽だったという証拠は、簡単に集まった。

しかしそれらは周囲の証言をもとにしたものであり、確たる証拠とは言えない。

だから、雫石たちは女子生徒自身から虚偽だったと認める証言を引き出すことにした。


その役は、雫石自ら志願した。

あの女子生徒から羨望(せんぼう)の眼差しを受けていたことには気付いていたし、同性の方が聞き出しやすいだろうと思ったからだ。

1人では何かあった時に危ないのではないかと翔平たちは心配してくれたが、これくらいできないとつぼみは務まらないだろう。


それに、結局のところ1人ではなかった。


「ありがとう、純。側にいてくれて」


あの空き教室には、女子生徒の死角となっていたところにずっと純がいたのだ。

1人でも大丈夫だと思っていたのは本当だが、1人ではないというのは心強かった。


それに、純は雫石の意志を尊重して見守るだけで、雫石1人に任せてくれた。

女子生徒に腕を少し乱暴に掴まれた時は不機嫌な顔で女子生徒を雫石から剝がそうと出てきていたが、大丈夫だと視線で伝えると不服そうにしながらも戻ってくれた。



純は何も言わずにただ隣を歩き、一緒につぼみの部屋へと向かう。


これから他のメンバーに証言をとれたことを報告して、罰則の内容を決めなければならない。


「やっぱり、ボイスレコーダーって便利ね」


そう言ってポケットからボイスレコーダーを取り出す。

先ほどのやり取りは全てここに録音されている。証拠としては十分だろう。


「少しは、反省してくれるといいのだけれど…」


あの女子生徒は、嘘をつくことになんの罪悪感も抱いていない様子だった。

自分のついた嘘によって傷ついた人がいても、自分が悪いとは微塵も思っていない。

あのまま社会に出てしまえば、取り返しのつかないことが起きてしまうだろう。


「雫石が気にすることじゃないでしょ。自業自得」


純の言い方は冷たいが、それは正論でもある。



弱い者は淘汰(とうた)される。それがこの学園の在り方だ。


自分のやったことの責任も取れず、その覚悟もないのであれば、この先静華学園で学生生活を過ごすのは難しいかもしれない。

静華学園で生き抜くのなら、嘘をつくなら覚らせず、バレる前に相手の弱みを握ってばらされないようにするくらいのしたたかさは必要である。


『それでも…』


あの女子生徒の行く先を心配するのは、エゴだろうか。

人はこれを優しさというが、雫石はそうは思わない。


自分が本当に優しさしかない人間なら、あの女子生徒を罰せずに助けただろう。

しかし、それは雫石の心が許さない。


『私は、つぼみだから』


つぼみは、学園を守る。学園に通う生徒を守る。


そしてあまり知られていないことだが、生徒が秩序を犯した時その天秤は迷うことなく学園に傾く。つぼみは生徒を守る存在だと認識されていることもあるが、つぼみが第一に考えるのは学園のことである。


学園のために存在し、学園を守るのがつぼみである。



『それは分かっているし、そのために行動する覚悟もあるけれど…』


視線を感じて隣を見ると、薄茶色の瞳と目が合う。

ガラス玉のように綺麗なそれは、どことなく不機嫌を映している。

雫石の心のうちを心配してくれているのだろう。


面倒くさがりの友人は、雫石のことを心配してくれる。守ろうとしてくれるのだ。

雫石にとって、大切な友人である。



「今度、私とお揃いの髪色と瞳の色にしてみない?」

「……しない」

「あら、残念」


雫石が微笑むと、純の表情も少し和らぐ。



塔の階段を上ると、最上階につぼみの部屋がある。


木製の重厚な扉には、学園の紋章と五つの花が彫られている。

その扉の前に立つたび、自分はつぼみなのだと自覚させられる。

この部屋に入る資格があるのかと、目の前の扉に問われている気がする。


そうしていつも、心の中で答えてきた。


『私はつぼみ。その名と称号に恥じない振る舞いをしましょう』



純が扉を開け、二人は部屋の中へ入った。


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