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49話 光の中へ


 会場の内部には、幻想的で美しい空間が広がっていた。

 

 高い天井を魔法によって生み出された無数の流れ星が尾を引いて舞い踊り、きらめく粒子をフロアへ降らせている。壁際や柱には、祝福するかのように清廉な白い花々が飾りつけられ、甘やかな香りで空間を満たしていた。

 

「ジーク、アイリス」

 

 背後から響いた声に、二人は同時に振り返る。そこにはウィルバートとその隣に寄り添うローズの姿があった。


 ローズは彼女の気高さを引き立てる濃い黄色の豪奢なドレスに身を包んでおり、大輪の黄色いバラのような美しさを放っている。

 

「ウィルバート殿下、ローズ様。お二人とも、今夜は一段と輝かしいお姿であられる」

 

 ジークが普段の口調ではなく、側近として品のある一礼を捧げる。アイリスもまたジークの隣で淑女の礼をとり、上品に微笑んでみせた。

 

「ごきげんよう、ウィルバート殿下、ローズ様。ローズ様のドレス姿はとても華やかで、一輪のバラのように美しいですね」

「ふ、ふん! 貴女だって悪くなくってよ! 似合っているわ、アイリス」

 

 ローズはふいと美しい顔を背けたが、その耳たぶが真っ赤に染まっているのをアイリスは見逃さなかった。不器用な彼女なりの祝福が嬉しい。

 

「アイリス様! ローズ様! ごきげんよう!」

 

 そんな彼女達のもとに駆け寄ってきたのはクロエだ。


 今夜の彼女は、夜空の深淵を思わせる引き締まったネイビーのドレスを選んでおり、可憐な少女から大人っぽい雰囲気を纏っている。その斜め後ろから、体幹の揺らぎを一切感じさせない佇まいでディランが静かに礼をした。

 

「はしたないわよ、クロエ様! このような公の場で走らないでちょうだい」

 

「ごめんなさい、ローズ様! 皆様のお姿があまりにも素敵でつい……」

 

 目尻を吊り上げるローズと、申し訳なさそうに眉を下げるクロエ。その様子はまるで仲の良い姉妹のようで、アイリスの目元が自然と緩んでいく。

 

「ごきげんよう、クロエ。本当に大人っぽくて見違えました。とてもよく似合っていますね」

「ありがとうございます! お二人も、おとぎ話のお姫様みたいでとっても素敵です!」

 

 華やかに咲き誇る彼女たちの語らいを、それぞれのパートナーである男性陣は、穏やかで愛おしさに満ちた眼差しで見守っていた。

 

「殿下もローズ様とファーストダンスを踊られるのですよね?」

 

 ジークが何気なく問いかけると、ウィルバートは緊張の色すら感じさせないまま頷いた。

 

「ああ。ルイスの組と一緒に――」

 

 その言葉が終わりきる前に、会場の扉から新たな主役たちが姿を現した。

 

 生徒会長であるルイスと、そのパートナーのフィーネだ。

 

 フィーネは、澄み渡る冬の空を思わせる鮮やかな水色のドレスを纏い、まるで氷の妖精のような美しさを放っている。

 

 そしてその隣で彼女をエスコートするルイスは銀髪の前髪をサイドに分け、彫刻のように洗練された横顔を露わにしていた。その青い双眸はどこまでも深く、息を呑むほどの絶対的な美貌。一歩進むごとに、会場中の令嬢たちから溜息が漏れる。

 

 ルイスはアイリスたちの姿を一瞬だけ捉えるが、何事もなかったかのように視線を前方へと戻してしまう。

 

「私たちも、そろそろ位置につかなくては。ローズ嬢、お手を」

「はい、殿下」

 

 ウィルバートの手を取るローズの横顔には以前のような緊張はなく、ただ愛する者を支える誇りに満ちていた。その良好な関係に、アイリスは心から安堵の息を吐く。


 やがてプロムの開幕を告げる音色が会場内に響き渡った。

 

 フロアの中央へと進み出たのは、ルイスとフィーネ、そしてウィルバートとローズ。二組の男女が音の波に身を委ね、一糸乱れぬ優雅さでダンスを踊り始める。

 

 一分のズレもなくステップを刻むルイスとフィーネの姿は、誰もがお似合いだと認めてしまうほど美しかった。


 まさに住む世界が違う。モブである自分と、あの光の中にいる彼。その事実に少しだけ胸の奥が痛んだ気がした。

 

「アイリス」

 

 不意に名前を呼ばれ、ハッと我に返る。いつの間にか一曲目が終わっていたのだ。


「次の曲が始まるよ。俺たちも行こう」

 

 ジークはアイリスの手を軽やかに包み込み、フロアの中心である光の下へと手を引いた。彼の大きな手がアイリスの腰へと回され二人が見つめ合った瞬間、世界の雑音がすっと遠のいたように感じる。


 彼はアイリスがステップを踏み外さないよう、彼女を優しくリードしていく。だからなのか、自然と緊張が身体から抜けていくのがわかる。

 

「すみません……私、あまり慣れていなくて」

「そんなことない、上手だよ。俺のリードにちゃんと応えてくれる」

 

 いつもの軽やかな口調で微笑むジークにつられて、アイリスも自然と笑顔を浮かべた。

 

 そしてちょうど、ジークの肩越しのすぐ近くでルイスの銀髪が視界によぎった。その背中に一瞬だけ気を取られてしまった、刹那――

 

 アイリスの腰へ優しく添えられていたはずのジークの手が、ぐいと強さを増して彼女の身体を引き寄せた。心臓が跳ねるほどに、密着した胸元。驚いて顔を見上げた先には、ジークの整った顔がすぐ真上にあった。

 

「よそ見しないで……俺だけを見てって言ったでしょう?」

 

 熱いほどに真剣な眼差しが、至近距離でアイリスを見つめる。

 その瞳から、アイリスは目を逸らすことができなかった。

 

 

○


 

 長い、けれど一瞬のようにも感じられたダンスを数曲終えたアイリスは心臓に手を当てて息を整えていた。まだ胸の鼓動は速いままだが、その頬は高揚感で赤く染まっている。


「はぁ……緊張しましたが、楽しかったです」

「アイリスにも楽しんでもらえて良かった」

 

 ジークが優しく微笑みかけると、フロアの向こうから同じようにダンスを終えたばかりのルイスとフィーネが、こちらへ歩み寄ってくるのが見えた。

 

「あら、ジーク様にアイリス様。ごきげんよう」

「フィーネ様……! ごきげんよう」

 

 顔を上げたアイリスの視線の先で、フィーネの隣に立つルイスはいつも通りの上品な笑みを浮かべていた。だが重なりかけた彼の瞳は、やはりすぐに他所へと逸らされてしまう。


 平穏な学園生活を望むアイリスに対する気遣いなのだろうが、彼女の胸の奥が痛む。彼の綺麗な横顔が遠い世界のもののように思えて、アイリスは寂しげに視線を下ろした。


「ジーク様とアイリス様は本当に息がぴったりで、とってもよくお似合いでしたわ」

 

 フィーネは鈴を転がすような愛らしい声でそう告げると、可憐な笑みをアイリスへと向けた。ドレスアップしたフィーネは灯りに照らされ一段と輝いて見える。


 アイリスはお礼を告げようと口を開きかけるが、それよりも早く隣のジークが声を発した。

 

「光栄です、フィーネ様。お二人も、よくお似合いでしたよ。……それでは、私たちはこれで失礼いたします」

 

 ジークは愛想のいい笑みを崩さないまま、一度だけルイスへと冷ややかな視線を走らせた。そして自身の広い背中でルイスの密やかな視線からアイリスを隠すようにして、その場から彼女を連れ去ってしまったのだ。

 

 あまりにも手際よく、けれど強引なジークにアイリスは小さな違和感を覚えて彼の顔を見上げた。

 

「あの、ジーク様……?」

「あはは、ごめんごめん。ちょっとあのご令嬢、苦手なんだよね〜……」

「まさか、フィーネ様のことですか?」

 

 あんなに小動物のように可憐で美しい方なのに、とアイリスは首を傾げる。

 

「あの底の知れない目がね〜……。そんなことより、アイリスは大丈夫? こういう騒がしい場所、本当は苦手でしょ?」

 

 ジークは心配そうに眉を下げ、アイリスの顔を覗き込む。

 

「……いえ、大丈夫です!」


 今夜はせっかくのプロム。特に卒業生であるジークは最後の年になる。せっかく楽しい場なのだから、心配をかけまいとアイリスは顔に笑顔を貼り付ける。

 

 けれも無理に作ったアイリスの笑顔を、ジークが見逃すはずもなかった。彼は優しく息を吐き出すとアイリスの指先を優しく絡めとる。

 

「ねぇアイリス、ちょっと二人で抜け出しちゃおうよ」

 

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