第5話 夜明けの誓い
鉄錆の町ハルに、約束の夜明けが訪れた。
煤煙に混じる朝焼けは鈍い鉛色をしていたが、ガルフの工房『鋼の溜息亭』の炉だけは、夜通し太陽のごとき熱を放ち続けていた。
ミーナとアルテアが、ガルフの工房の扉を開けると、床には使い込まれた金槌がいくつも転がっていた。作業台の上には布に包まれた『それ』が静かに横たわっている。
「……起きたか。時間通りだ」
ガルフは赤く充血した目で二人を睨み、無造作に布を剥ぎ取った。
現れたのは、光を一切反射しない漆黒の細剣だった。
切っ先まで滑らかな曲線を描いているが、肝心の刃が見当たらない。それは剣というより、美しく磨き上げられた鉄の杖のようでもあった。
「名前は『夜帷』だ。お前さんの望み通り、刃は付けてねえ。だが、ただの鉄棒と思うなよ」
ガルフは太い指で刀身をなぞる。
「通常時はお前さんの精密な剣術で『打突』し、相手を無力化するための道具だ。だが、お前さんか……あるいはそこの嬢ちゃんの魔力を流し込んでみろ。空気の層が超振動を起こし、目に見えねえ『風の刃』を纏う。そうなれば、この世に斬れぬものはねえ。……不殺と殺戮。どちらを選ぶかは、振るうお前さん次第だ」
アルテアは震える手で、その冷たい黒い柄を握りしめた。驚くほど手に馴染む。まるで、失った右腕が戻ってきたかのような錯覚さえ覚えた。
「……刃なき黒い剣、か。主君を守れず、光を失った騎士には、これ以上なく似合いの剣だな」
自嘲気味に呟くアルテアの言葉を、ガルフは鼻で笑い飛ばした。
「フン、卑屈になる暇があったら腕を磨け。その剣はフロウドの野郎の意地と、儂の技術の結晶だ。安く見積もるんじゃねえぞ」
「……あぁ。感謝する。私の要望通り、不殺の剣。ガルフ殿……この恩、必ずや」
そこへ夜通し周囲の警戒に当たっていたザックスが、重い足音を立てて工房に入ってきた。ロイとカレンは依然として町の外縁で目を光らせている。
「今戻った。……ほう、それが新しい剣か」
「あぁ。これ以上ない相棒だ」
ザックスが加わったのを見届け、ガルフは表情を引き締めて昨晩の続きを切り出した。
「……昨日の夜遅くに、馴染みの商人が寄っていってな。気になる話を落としていった。港町『コークエ』で、ルーバス公爵の私兵団が不自然な動きを見せとるらしい。大きな荷物をいくつも運び込み、海岸沿いの古い砦を接収したとかなんとか……」
「コークエ……。王都からも、このハルからも程近い港町ね」
ミーナが不安そうに呟く。
「公爵はそこで、例の『禁忌の魔道具』を造っているのかもしれない……。ガルフさん、その商人は他には何か?」
「奴らが運び込んでいたのは、魔力伝導率の高い希少鉱石だったそうだ。間違いねえ、奴らはあそこで何か『とんでもない代物』を完成させようとしとる」
ミーナは隣に立つアルテアを、縋るような、あるいは問うような目で見つめた。もし王子の生存や国家の危機がそこにあるのなら、一刻も早く向かうべきではないかと……。
だが、アルテアの視線は微塵も揺るがなかった。
「……今は、ファビアンを討つ。コークエに行くのはその後だ。そうだろ、ミーナ?」
静かだが、鋼のような強さを持った声だった。ミーナは背筋を伸ばした。
「……ええ。そうね。背後の毒を抜かないまま走れば、いつか必ず足を掬われる。まずは……ファビアンが先よ」
二人の覚悟が重なったその時。
工房の扉が勢いよく蹴開けられ、息を切らしたカレンが飛び込んできた。
「みんな、準備して! ファビアンの手の者がこのブロックを囲み始めてるわ。数は十……いえ、もっと増えるかもしれない!」
「チッ、嗅ぎ回るのが早ぇな」
ザックスが斧の柄を叩き、ロイの不在を補うように身構える。
ガルフは即座に工房の奥にある隠し扉を指差した。
「裏口から逃げろ! ここは儂が適当にごまかしてやる。職人の工房を土足で荒らす度胸のある奴ぁいねえよ」
しかしアルテアとミーナは動かなかった。
アルテアは漆黒の細剣『夜帷』を腰に差し、ミーナはブレスレット『蒼天の瞳』が輝く右手を強く握りしめた。
「……いいえ、ガルフ殿。これ以上、あなたに迷惑を掛けるわけにはいかない」
「お前さん、何を言って……」
「逃げ続ければ、この町が戦場になってしまうわ。奴らの目的は私たち。……なら、正面から出て、離れた所に誘い出す」
ミーナの言葉に、アルテアも薄く笑みを浮かべて頷いた。
「主人が客人を守るために剣を打ってくれたのだ。今度は、客人が主人の暖簾を守る番だろう?」
ガルフは呆れたように肩をすくめ、だがその瞳には隠しきれない誇らしさが宿っていた。
「……ガハッ、全くだ。フロウドの娘も、騎士団長様も、揃いも揃って律儀なことよ」
四人は工房の正面玄関へと歩みを進める。朝日が差し込む入り口で、ガルフは背を向けた四人に向かって、これまでにないほどぶっきらぼうで、温かい声を投げかけた。
「……また来いよ。死ぬんじゃあねえぞ、小僧共!」
その言葉に、四人は足を止めることなく、それぞれに感謝の意を込めた笑みを浮かべた。
「ええ、また来るわ! 次は兄さんも連れて、最高の酒をお土産に持ってくるから!」
ミーナの明るい声が、ハルの朝の空気に響く。
一歩、外へ。
そこには既に、殺気を放つ『赤狼の牙』の裏切り者たちが、冷たい武器を構えて待ち構えていた。
嵐の前の静けさと、アルテア達の逃亡劇は、今終わりを告げる。
追われる者と追う者の戦いの幕が、静かに上がろうとしていた。




