8月31日
「リリカちゃんはどこへやった?」
トキの口からリリカの名前が出た途端、ナツキは見る見るうちに顔を青ざめさせていく。それは驚愕というより、この世ならざる何かを目にしたかのような畏怖が表出していた。
包み隠さず有り体に言うならば、この夏祭りは同じ時間を何度も繰り返し、迷い込んだ人間は決してそのことに気付くことはない。すべてこのナツキという少年が作り出した、そういう風に作られた偽りの世界なのだから。
元からいる人間を、最初から存在しなかったことにするのも偽りの世界の中ならば造作もない。
しかし実際はどうだ。
目の前にいる気だるそうな人間は、はっきりと記憶を保持しているではないか。
ナツキは混乱し、頭をかきむしる。
「……気付いていたのですか?」
「そうだね」
「いったいいつから?」
「最初からかな」
「なぜ気付いていないふりをしていたのですか」
「せっかくだし、この夏祭りを楽しんでいこうと思って」
「……え?」
ナツキは目の前にいる人間の言っていることが理解できなかった。実際ナツキ自身も人間かどうか問われれば「人間ではない」のだが、それにしたって限度というものがある。
「そ、それだけのために129回もループを繰り返したと!?」
「端的に言えばそうなる」
「いったいなぜそんなことを……!」
「最初から言ってるだろう、私は夏祭りを楽しみたいんだ」
トキは夜空を見上げ、さらに続ける。
「人が一生の間に行ける夏祭りの回数は限られている。時間や場所の都合があるし、そもそも夏だけの期間限定だからね。一年に三回行けたとしても……精々300回が限界だろう」
ナツキの脳が理解を拒み始める。言っていることは分かる一方、何を言いたいのかがさっぱり分からない。いや、本当は言っていることも何が言いたいのかも分からない、そう言いたいのは山々だが、目の前にいる人間があまりにも堂々と話すので、理解が出来る“風に”感じてしまう。まるで詐欺師と話しているかのようだった。
「けど、この空間は私の願いを叶えてくれる最高の舞台だ。500回でも600回でも……いや、どうせなら1000行こう1000!」
目を輝かせ、鼻息を荒くするトキ。ナツキは後ずさりしていた。
(駄目だ、こいつには敵わない。ひとまず逃げよう……!)
「あ、どこ行くんだい」
背を向け逃走を図るナツキを、トキは静かに追いかける。色々な屋台の陰に隠れては見つかり、隠れては見つかりを繰り返しナツキは追い詰められていく。奥へ行くほど屋台の数も少なくなっていき、ついには神社本殿のある最奥まで来てしまった。隠れられるような場所はなく、万事休すかと思われたその時。ナツキの目に入ったのは、今の状況にはうってつけの隠れ場所。
それは盆踊りのために建てた櫓だった。
ナツキは一縷の望みを託し、よじ登った先に身を隠す。
「はぁ、はぁ……少し休もう」
幸いトキの姿は近くには見えなかった。バレるのは時間の問題とはいえ、息を整える程度の時間は稼
「つ か ま え た」
「――っ!?」
下から伸びてきた手が、ナツキの足首を掴む。それは言うまでもなくトキの手だった。
「うわああああーーーっ!!」
「暴れないでよ。私はキミと一緒に祭りを回りたいんだ」
「えっ?」
「せっかくの夏祭りなのに、一人で回るのは実に味気ない。どうせなら封印されたみんなとも一緒に祭りを楽しみたいんだけどどうかな」
「……ははっ。やっぱりボクなんかじゃ敵いっこなかったな」
トキはすべてを見透かしていた。ナツキは観念し、その場に力なくへたり込む。
「ボクの負けです。封印していた人達は解放しておきました」
「キミも一緒に行こうよ。せっかくの夏祭りだ」
「ボクは駄目です。皆さんに迷惑をかけましたし、それに……そういう契約ですから」
「……そっか」
ふとナツキに目を向けると、彼の体は半透明になって消えかけていた。猶予は残り僅かのようだった。もはやトキに出来ることは何もない。仮に何か出来たとて、ナツキがそれを望まないだろう。
「あの、トキさん。最後に一つだけお願いしてもいいですか?」
「構わないよ。言ってごらん」
「ボクのこと、出来るだけ覚えていてほしいんです」
「ああ。キミのことは決して忘れない。世界中の誰もがキミのことを忘れても、私が最後まで覚えているから安心していいよ」
「……ありがとうございます。これでボクもようやくいけそうです」
それが最期の言葉だった。ナツキは光の粒となり、どこかへ旅立った。「また会おう」夜空に向かって小さく呟くのと同時、どこからか打ちあがった花火が大輪の花を咲かせた。
「へぇ、キミもようやく分かってきたじゃないか。実に私好みの光景だ」
櫓から降りると、ちょうどそこにリリカが来ていた。封印されていた前後の記憶が曖昧なようで、彼女自身の認識は疲れて眠っていたことになっていた。二人は次々と打ち上がる花火を背に、元の世界へ帰っていくのであった。
後日。
ここは帝都の下町にある霊園。ある人の墓にトキが向かうと、そこには先客の姿があった。
「おや、あなたは先日釣り堀で私を助けてくださった聖女様ではありませんか」
「あの後、体にどこか異常は?」
「いえ、見ての通り快復しました。それより、どうして聖女様がここに?」
「友人に会いに来たのさ」
「ナツキにですか? こりゃまた聖女様がどうして……って、余計な詮索はいけませんね。ナツキのためにわざわざありがとうございます」
先客の男……ナツキの父親は深々と頭を下げる。
彼の息子が亡くなったのは、三年前のちょうど今日のことだった。親子二人で訪れていた夏祭りは、突然降り始めた大雨によって途中で中止に。その帰り道、渡っていた橋が崩落。大雨によって急流となった川に二人は落下し、父親は助かったものの、息子のナツキはそのまま流され帰らぬ人となった。
「ナツキ君は今でも元気にしているよ。元気が良すぎて困るくらいにね」
「ははは。聖女様が言うなら間違いないですね」
「さて、私は先に失礼させてもらう。まだ私にはやることがあるのでね」
そう言ってトキは踵を返し、霊園を後にする。向かった先は、大変珍しいことに大聖堂だった。そこではリリカが待ち構えていた。
「やっぱりあの夏祭りって怪異案件だったんですね」
リリカの問いに、トキは頷く。
あの神社から帰ってきた人々は皆記憶を失っており、巷では神隠し事件だと大きな騒ぎとなったが、噂の賞味期限は早い。いつものように月日が経てば次第に収まるだろう。トキにとってはそんな未来の事より、目の前の膨大な事後処理の方が大切だった。
「そうだよ。だからこうして必死に書類を書いているんじゃないか」
「けどリリカ、ほとんど覚えてなくて……あまり協力は出来そうにないです」
「やれやれ。最高に夏休みって感じだ」
机に山積みとなった書類は、一向に減る気配を見せない。事件が解決したはいいが、多くの人を巻き込んだがゆえに事後処理も膨大なのだ。
トキは駄菓子を摘まみ、麦茶を啜りつつ書類の空白を埋めていく。
その様子はさながら“8月31日”の子供のようだった。




