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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
最終章 祈りの先は

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最終話 赦しではなく

 祈骸が消えてから、しばらくのあいだ、灰の村には誰の声もなかった。


 地下から戻った時、空は薄く白んでいた。

 夜が明けたのか、それとも雲の切れ間から光が落ちただけなのか、アシュにはよく分からなかった。


 ただ、村を覆っていた重さは消えていた。


 祈りとも呪いともつかない声は、もう聞こえない。

 焼け跡の隙間から漂っていた嫌な感じも、少し薄れている。


 それでも、灰の匂いだけは残っていた。


 消えるわけがない。


 家は焼けたままだ。

 崩れた柱も、割れた井戸も、黒く煤けた礼拝堂も、そこにある。


 祈骸を倒したからといって、灰の村が元に戻るわけではなかった。


 それでいいのだと思った。


 戻してはいけないのだとも思った。


 フィアナは、地下から出たあと丸一日眠り続けた。


 小さな空き家の跡に布を敷き、そこで休ませた。

 顔色は悪かったが、息はあった。

 ルゥはその横から離れず、時折フィアナの手に鼻先を寄せていた。


 アシュも動ける状態ではなかった。

 灰刻の反動は、まだ身体のあちこちに残っている。

 傷も塞がっていない。

 膝をつくだけで、脇腹に鈍い痛みが走る。


 それでも、身体の奥にあった黒い濁りは消えていた。


 薬で押さえ込んだ時とは違う。

 痛みがないわけじゃない。

 ただ、自分の身体が自分のものとして戻ってきたような感覚があった。


 その代わりにフィアナが倒れた。


 その事実だけは、胸の奥に重く残った。


 三日目の朝、フィアナが目を覚ました。


 最初に見たのは、横で丸くなっていたルゥだった。


「……ルゥ」


 掠れた声に、ルゥが跳ねるように顔を上げた。


 アシュも目を開ける。


 壁にもたれて座ったまま、眠っていたらしい。

 身体は重い。

 だが、フィアナの声を聞いた瞬間だけは、痛みを忘れた。


「起きたか」


 そう言うと、フィアナは少しだけ目を細めた。


「……アシュさん」


「ああ」


「無事、ですか」


「お前のおかげだ」


「よかった」


 かすれた声でそう返され、アシュは少しだけ息を吐いた。


「お前もな」


 フィアナは答えず、ゆっくり手を動かした。

 ルゥの頭に触れる。


 ルゥは目を細め、静かに喉を鳴らした。


 白い毛には、まだ黒い汚れが残っている。

 傷もある。

 けれど、身体の奥に走っていた黒い筋はもうなかった。


 苦しみに引きずられていたものが抜けた感じがした。


 そんなふうに見えた。


「ルゥも、無事ですね」


「ああ」


 アシュは短く答える。


「お前が無茶したからな」


「……すみません」


「謝るな。腹が立つ」


 フィアナが少しだけ笑った。


 それでようやく、アシュは息を吐けた。


 それから、村の片づけが始まった。


 片づけと言っても、できることは限られていた。

 崩れた家を元に戻すことはできない。

 焼けた柱を立て直すことも、失われたものを取り戻すこともできない。


 それでも、倒れた木材を寄せる。

 割れた石を積む。

 泥に埋まった道を掘り返す。


 アシュとガルドが、黙って手を動かした。


 ガルドは肩に傷を負っていたが、何も言わずに瓦礫を運んだ。

 何度か休めと言っても、鼻で笑うだけだった。


「お前に言われたくねえよ」


 それが返事だった。


 ノアは、数日だけ村に残った。


 地下の封印跡を見て回り、残っていた白い紋様や壊れた箱を調べた。

 必要なものだけ記録し、いくつかの印を壊して回った。


「これで全部終わるわけじゃない」


 ノアは言った。


「同じものが、他にない保証もない」


「行くのか」


 アシュが訊くと、ノアはいつものように淡々と頷いた。


「ああ。世界を見てくる」


「そうか」


「お前たちはここに残るんだろ」


 アシュはしばらく黙った。


 焼け跡を見た。

 崩れた礼拝堂を見た。

 フィアナが祈っている場所を見た。


「ああ」


 短く答える。


「俺は、ここから逃げるわけにはいかねえ」


 ノアは少しだけ目を細めた。


「そうか」


 それだけ言って、翌朝には旅立った。


 止める理由はなかった。

 ノアはノアで、見に行かなければならないものがあるのだろう。


 その背中が山道の向こうへ消えるまで、フィアナは黙って見送っていた。


 村の外れに、小さな小屋を建てた。


 最初は雨風をしのぐだけの粗末なものだった。

 木材は近くの森から切り出し、使えそうな石は村の外れから拾った。


 ガルドが木を運び、アシュが柱を立てる。

 フィアナは布を整え、使えそうな器や鍋を洗った。

 ルゥは役に立っているつもりで、何度も木片をくわえて運んできた。


 邪魔になることも多かった。


 だが、誰も怒らなかった。


 小屋が形になった頃、村の中央には小さな慰霊碑も作った。


 立派なものではない。

 大きな石を削り、灰祈りの村の名と、分かる限りの祈りの言葉を刻んだだけだ。


 そこに名前はほとんどなかった。


 誰が死んだのか。

 誰が器にされ、誰が祈り、誰が焼かれたのか。


 分からないものが多すぎた。


 それでも、碑を立てた。


 忘れられないように。


 ここに誰かがいたと、残すために。


 アシュは毎朝、村の片づけをした。


 フィアナは慰霊碑の前で祈った。

 悲しみや憎しみがすぐに消えるわけではない。

 祈れば救われるわけでもない。


 それでも、祈り続けた。


 選ばれるためではない。

 誰かに強いられたからでもない。


 ここに残ったものが、少しずつ静かになるように。


 アシュは、ただ瓦礫を運び、土を掘り、崩れた道を直した。

 ガルドと一緒に、村の外れの柵を作り直した。

 使えない井戸を塞ぎ、危ない建物を崩した。


 それで何かが変わるわけではない。


 許されるわけでもない。


 だが、何もしないまま生きるよりはましだった。


 数か月が過ぎた。


 小屋の周りには、少しだけ生活の匂いが生まれた。


 干した布。

 薪の山。

 簡単な畑。

 雨を受ける桶。


 アシュとフィアナとルゥは、そこで暮らしていた。


 ガルドは少し離れた場所に簡単な寝床を作り、狩りに出ては獲物を持ってくる。

 ルゥも時々ついていった。


 ある夕方、ガルドとルゥが小さな獣を持って戻ってきた。


「今日のは大物だぞ」


 ガルドが得意げに言う。


 ルゥも胸を張るように鼻を鳴らした。


 フィアナは笑って、受け取った獲物を見た。


「ありがとうございます。では、今日は少しだけ豪華にできますね」


「頼むぞ」


「任せてください」


「頼もしくなったもんだ」


 ガルドが笑い飛ばす。


 アシュは小屋の壁にもたれながら、そのやり取りを聞いていた。


 こういう時間が来るとは思っていなかった。


 穏やか、という言葉を使うには、まだ何かが足りない。

 灰の村は近くにある。

 慰霊碑もある。

 朝になれば、また片づけをする。


 けれど、夕方に煙が上がり、鍋の匂いがして、誰かが戻ってくる。


 それだけで十分な日もあった。


 その日、山道の向こうから三人の人影が見えた。


 最初に気づいたのはルゥだった。

 耳を立て、低く鳴く。


 アシュは立ち上がる。


 ガルドも短剣へ手を伸ばしかけたが、すぐに動きを止めた。


「……なんだめずらしい客だな」


 近づいてきたのは、ノアだった。


 その後ろにレオフ。

 そしてもう一人。


 ルーク・エスハルト。


 以前より少しだけ顔つきが変わっていた。

 若さは残っている。

 だが背筋や目つきに、前とは違う重さがあった。


「久しぶりです」


 ルークが言った。


 アシュはしばらくその姿を見てから、短く返す。


「生きてたか」


「簡単には死にませんよ」


 ルークは真面目な顔でそう返した。


 その横で、レオフが苦笑する。


「相変わらず不器用ですね」


 ノアは小屋の方を見て、少しだけ眉を上げた。


「思ったより形になってるじゃないか」


「うるせえ」


 アシュが返すと、フィアナが小さく笑った。


「ノアさん、お久しぶりです。レオフさんも、ルークさんも」


「フィアナさん。お久しぶりです」


 ルークは丁寧に頭を下げた。


 それから、アシュへ向き直る。


「第七席を拝命しました」


 アシュは黙っていた。


 少しだけ間が落ちる。


「お前なら問題ないだろう」


 それだけ返した。


 ルークは表情を崩さなかった。

 だが、わずかに肩へ力が入ったのが分かった。


「第一席ラウゼン卿から伝言を預かりました」


 その名に、ガルドが目を細める。

 フィアナも表情を引き締めた。


 アシュは黙って続きを待った。


 ルークは一度だけ息を吸い、言った。


「席は空けておく。いつでも戻ってこい、とのことです」


 アシュは鼻で笑った。


「相変わらず勝手なことを言う」


「そうですね」


 ルークは否定しなかった。


「私もそう思います」


 少し意外だった。


 ルークは続ける。


「ですが、私個人としても、あなたには戻ってきてほしいと思っています」


「第七席様がそれを言うのか」


「元部下として言っています」


 ルークの声は真っ直ぐだった。


「王国には、あなたのような人が必要です」


 アシュは答えなかった。


 ルークはさらに言う。


「あなたがしたことは、すべて教会の責任です。あなたは命令に従っ――」


「戻る気なんかねえよ」


 アシュが遮った。


 声は低かった。

 怒ってはいない。


 ただ、答えはもう決まっていた。


「俺は、自分のやったことの責任を取らなきゃならねえ」


 ルークは黙った。


 アシュは村の方を見る。


 黒く焼けた屋根の残骸。

 積み上げた瓦礫。

 慰霊碑。

 フィアナが毎朝祈っている場所。


「こんなことで許されるとは思ってねえ」


 言葉はゆっくり出た。


「何年かけても、たぶん足りねえ。死ぬまでやっても、足りねえかもしれない」


 それでも、と続ける。


「俺にできるのは、これくらいだ」


 風が小さく吹いた。


 灰の村の方から、乾いた匂いが届く。


「ここを片づける。碑を守る。忘れられないようにする。フィアナが祈るなら、その横で俺は手を動かす」


 アシュはルークを見た。


「それが、今の俺にできる精一杯の償いだ」


 ルークは何も言わなかった。


 言い返す言葉がないのではない。

 言い返さない方がいいと分かっている顔だった。


 やがて、ルークは静かに頭を下げた。


「分かりました」


「ラウゼンには、そう伝えろ」


「はい」


 少し間を置いて、ルークが言う。


「あともう一つ伝言を。『達者でな』と」


 アシュは顔をしかめた。


「俺の答えを読んでたのか」


 ルークが少し笑った。


「でしょうね。流石は第一席といったところです」


 ガルドが吹き出しかけた。


 フィアナも小さく笑う。


 アシュはため息をついた。


「今日はもう遅い。飯でも食ってけ」


「……いいんですか」


 ルークは、戸惑った。


「もちろんです。今日はガルドとルゥが頑張ってくれたのでご馳走を用意できます」


 フィアナの言葉に、心なしかルゥも満足そうだ。


 その夜は、久しぶりに人の声が多かった。


 小屋の前で火を焚き、フィアナが煮込みを作った。

 ガルドが獲物の話を盛り、レオフが適当に相槌を打つ。

 ノアは相変わらず必要なことしか言わないが、皿は黙って空にした。


 ルークは最初こそ硬かったが、フィアナに勧められるまま椀を受け取り、静かに食べた。


 ルゥは全員の間を歩き回り、最後にはアシュの横で丸くなった。


 夜が深くなる。


 火の音が小さく爆ぜる。


 アシュは少し離れた場所から、灰の村の方を見た。


 闇の中で、慰霊碑だけが薄く見えている。


 あそこにはまだ悲しみがある。

 憎しみもあるかもしれない。

 祈ったからといって、すぐに消えるものではない。


 それでも、明日もフィアナは祈るのだろう。


 アシュは明日も瓦礫を運ぶ。


 ガルドは文句を言いながら手伝う。

 ルゥは邪魔をするか、狩りに出る。

 ノアはまた旅に出る。

 ルークとレオフは王都へ戻る。


 それぞれの場所へ戻っていく。


 アシュは、戻らない。


 ここに残る。


 フィアナが隣へ来た。


「寒くありませんか」


「別に」


「そうですか」


 そう言って、フィアナはアシュの横に立った。


 しばらく二人で、村の方を見ていた。


「アシュさん」


「何だ」


「ここで、生きていくんですね」


 アシュはすぐには答えなかった。


 灰の匂いがする。

 もう焦げた痛みだけの匂いではない。

 雨と土と、わずかな火の匂いが混じっている。


「ああ」


 短く答える。


「ここでできることをやろう」


 フィアナは小さく頷いた。


「はい」


 ルゥが足元で寝返りを打つ。


 遠くで、夜風が慰霊碑の周りの草を揺らした。


 赦されたわけではない。


 きっと、これからも赦されない


 それでも、朝は来る。


 その朝に何をするかだけは、もう決めていた。


 アシュは灰の村を見たまま、静かに息を吐いた。


 罪の後にも、道は続いている。

『灰の王は赦されない』 ー fin -


アシュは赦されたわけではありません。

それでも逃げずに、灰の村に残って、自分にできる償いを続けていく。


フィアナもまた、選ばれるためではなく、自分の意思で祈り続ける。


二人はこれからも自分たちにできることを、少しずつでも積み重ねていくでしょう。



ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

追いかけてくださった方がいれば、本当に嬉しいです。


評価、感想などいただけると嬉しいです。

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