それとすむもの 3
今日は天気も良く窓からは日差しが入り、白と黒の明暗が廊下を彩っている。それなのに、何故だか拭えない薄暗さが全体をぼかし目立っている。普段は生徒たちの声で賑わっている印象が強い為か、廊下を歩く二人の足音がやけに聞こえてくる。ただ響くのではなく、湿った壁に阻まれて行き場を失ったようにやけに耳に残る。
「近いですね、大丈夫ですか?」
「ご心配ありがとうございます。まだ大丈夫です」
酸素が失われていく感覚、"それ"に近付いている証。静まり返った空間に足音二人――澱んで沈んでいく。
「着きました。こちらです」
「ですね……」
着いたのは生徒が普段から使用している教室。引き戸の小窓を覗くと――境界は、静かに、そして堂々と、鎮座していた。
「すいません……ちょっとキツくなってきたので、私は少し離れます……後はお願い出来ますか?」
「もちろんOKです!扉を開けるので、離れてて下さい」
ガラガラガラと音を立てながら扉を開く。
「じゃ……始めます!」
バレーボール大の球形をした境界。いつもの如く複数の配色がうねり重なり混ざり合っていた。
まずは、教室の窓を閉めカーテンで目隠しをする。引き戸も閉まっていることを確認したら、バッグからロウソク5本と火立てを取り出し、宙に浮いている境界の真下に1本、中心で囲うように菱形に4本、計5本をそれぞれ机の上に立てていく。
次に、真下に置いたロウソクに火を灯し、菱形に囲ったロウソクにも南の方角から反時計回りにゆっくりと火を灯していく。
「よしっ……これで場は成った」
ロウソクの内側は祓戸となった。後は、最後の仕上げ!
「詞奏術・中段――環解ノ詞」
渦巻き栄へと、散り散る定め
界重ねども、誰ぞ常ならん
乞ひ願はくは、環を解き給ふ
奏上と共に、火がチリチリと揺らぎ、南の方角にあるロウソクから時計回りに静かにゆっくりと火が消えていく。境界の内部がグニャリと蠢くのを感じ、祓戸に空虚で満ちていく。最後に残った真下にあるロウソクの火がジリジリと踊り出し、外郭を炙るように溶かしていく――そのまま最後の火も消え、境界も溶けるように消え去った。
「ふぅ……御霊還し完了!」
任務は終わった――カーテンを開けて、引き戸も開けてダテさんを呼び出す。
「ダテさんー!終わりましたよー!」
廊下の隅で様子を見ていた彼は、オレの声を聞いて笑顔でこちらへ向かってくる。
「アキさん!終わりましたか?」
「オールOKです!」
オレたちはそれぞれの顔を見合って笑顔でハイタッチ!
「お疲れ様でした、アキさん!」
「とんでもないです!」
「境界のムスビは消えていますね……!では、本部へ早速報告します」
「お願いします!」
ダテさんはそのままスマホを取り出し、境界本部へ御霊還しの報告をする。
「さて、オレも片付けて帰りますか」
電話するダテさんを横目に帰宅の準備に入っていると、ダテさんが慌てたような声に変化していくのが分かった。
「そんな……!わ、分かりました。それではすぐに"対応"してもらいます。はい、はい……失礼します」
「あ、あの……オレ何かやっちゃいました?」
電話を切り深呼吸を挟んだダテさんが、神妙な面持ちでオレへ告げる。
「アキさん」
「はい」
「お疲れのところ誠に恐縮ですが……境界が顕現しました。再度対応お願い出来ますか……?」
「えっ、本当ですか……?」
思わず聞き返してしまう――顕現頻度に一貫性も法則も見つかっていないが、担当地域で立て続けの顕現なんて過去に一度も無い……少なくともオレが物忌に成ってから。
「残念ながら、事実です……」
ダテさんも真剣な表情をしているが、内心では事態を飲み込めていないのが分かる……瞳に動揺が見え隠れして、肩も少し震えている。
「顕現してしまったものは仕方無いですね!さぁ、急いで向かいましょう!」
「そ、そうですね……行きましょう!」
オレたちは無人の校舎を後にする――胸中に秘めた熱を抑えて。
ダテさんを車に乗せて約10分、大して離れていない場所に"それ"はいた。
そこは一般的な十字路――そのど真ん中に境界が当たり前のように居座っている。
「ダテさん、人払いを至急お願い出来ますか!?」
「承知しました!」
ゴルフボール大の球形が、毎度の如く座標に縫い付けられたように宙に浮いている。まだ小規模の為、特有の圧はあれど先程よりも禍々しさまでは感じられない。配色も白を基調に青や紫が多く、濁った黒さはまだ無い。
「本当に顕現したばかりなんだな……」
こんな近い場所で、まるで交代するかのように顕現する境界に謎が深まっていくばかり……
「何がしたいんだ……」
容易に人の命を奪う存在の目的はなんだ?オレたちが何をした?それとも、オレたちに何をさせたい……?
「はぁ、はぁ……アキさんー!お待たせしました!」
急ピッチで人払いを済ませたダテさんが近付いてくる。
「ありがとうございます!」
「いえ……なんとかなったので、後は……」
「OKです!早速やりましょう!」
――御霊還しを行います。
まずは場を整える――手の平サイズの白紙4枚と水の入ったペットボトルをバッグから取り出し、それぞれの白紙に黒ペンで円を描く。
次に境界が中心になるよう円を描くように反時計回りに地面に置いていく。
続いて、円の描かれた紙の中心にペットボトルから水を一つずつ少量滴下させていく。時計回りにゆっくりと。
「これで祓戸の完成だ」
小さな境界は何も答えない――ただ、そこにいるだけ。
「さっさと還ってくれ」
逸る気持ちを落ち着かせながら、オレはゆっくりと詞を発する。
「詞奏術・下段――和合ノ詞」
火の神、水の神、生り坐せる
渦巻き、禍巻き、和合も白す
境界の外郭がフワフワと剥がれていく――静かに、ただ静かに……待つだけ。水晶のような白い内部はだんだんとぼかされ色味を失う。祓戸は少しずつ確実に空虚となる。
そして、境界は当然のように消え去った。
「ふぅ……御霊還し完了です」
「アキさん、お疲れ様です」
後方で様子を見ていたダテさんは、境界が消えたのを確認すると、労いの言葉を掛けながらこちらへ向かって歩いてくる。
「いやー、二連続は流石に疲れますね……!」
「お見事でした!本当にありがとうございます!」
連日の対応は経験していたが、同日に連続対応は初めてだった……バディを組んでからと言うもの、二人で補い合いながらのムスビ運用が基本だったが、一人だとそういう訳には当然いかない。一個人が有するムスビ総量はピンキリだが、オレもまだ発展途上の成長途中……略式とは訳が違うか。
「はい、はい……えぇっ!!」
デジャブ――歩道の脇で腰を下ろし休んでいると、ダテさんの驚き慌てた声が響く。
「えぇ、はい、はい……そんなバカな……」
「……」
「はい、分かりました……それでは、失礼します……」
「……」
「アキさん……」
「ダテさん、まさか……」
底無し沼に足を滑らせたような絶望を予感させる表情のまま、ダテさんは残酷な事実を告げる。
「……境界が顕現しました」
「……マジ!?」
何が起きている……?こんなこと今の今まで一度も無かった。状況が飲み込めず、グニャリと質量のある困惑さが二人を抱き締める。
「アキさん、いけますか?」
「……やるしかないでしょ!」
クソっ、どいつもこいつも好き勝手顕現しやがって……こちらの都合は一切お構い無しかよ……
混乱の中、それでも任務を全うする為にオレたちは、一緒に片付けをして移動の準備に入る。
そんな中、リリリン!リリリン!リリリン!と、つなぎの脇ポケットから特定の相手を指す着信音が鳴る――この音は、ソラさん……!
境界の連続顕現は協会としても異例だろう……ソラさんもそれに気付いて、こちらへ向かってくれている!?
「だ、ダテさん!ソラさんから電話――」
車に乗り込もうとしているダテさんへ声を掛けようとした瞬間、こちらの方を観察している視線に気付く。
「……誰か見ていますね?忙しいのでさっさと姿を現して下さい」
敵意は違う、悪意も感じない……なんだ、この不思議な気配は……?首を左右に動かしキョロキョロと辺りを見渡しても誰もいない。望遠レンズ越しでもない、近くにいるのは分かっているのに、気配はあれど姿だけ消している――つまりは、ムスビの成せる技。
「"同業"ですよね?」
リリリン!リリリン!リリリン!と、止まない着信音……それは、何かを暗示しているかのよう。
「協会の物忌さんは流石ですね。やはり練度が違う……ふふっ」
目の前に影一つ――道路に染み付いた影は、意思を持ってグネリと動き出し、やがて人の形を作り正体を表す。
「初めまして、どなたですか?」
「ご丁寧にどうも……ふふっ。私は"調和のミナ"と申します……ふふっ」
調和――世界の均衡を保つもの。ソラさんに聞いた時からずっと考えていたこと……主の望む世界とは?
次話は5/12 6:00投稿予定です。




