第97話 優位
「誰だ。」
巨体のバドグが反射的にこん棒を構えた。
殺気を感じたミヤナも
警戒モードに意識が切り替わったためか、
着ているものが一瞬で変化した。
まるでカメレオンのように適応するようだ。
「なんだこれは。」
ふたりは目前に現れた男の姿に
ギョッと目を見張った。
そしてそれにも増して
考えられないほど酷い状態でありながら、
その男がやたら元気な様子でいるのを見て
なおいっそう驚いた。
皮を剥がされ、
筋肉や筋がむき出しになっている男の体から
血が滴って、
眼窩の肉が痩せ落ち、
ギョロッと飛び出た眼から
ギラギした危険な光を放って、
片手で掴んだ三日月のように
反り返った切れ味の鋭そうな
幅広の刄を上にして
右肩に担いだ刀が
鯖色に鈍く光っている。
「うふふふ、
生皮村へ、よーこそー。
ひゃはははは。」
行く手に立ちはだかった男が女のように、
なよっとした仕草に、
ふざけた口調で甲高く笑った。
武術に自信があるのか、
余裕を見せている。
女とこん棒を持った鈍そうな男が相手だ。
どっちにしたってたいしたことはない。
ちょっと脅せば恐れ戦いて戦意をなくし、
剣を交えるまでもなく、
簡単に倒せるだろう。
ふふふ。負ける気がしない。
男は完全に優位を感じて
舐め切っていた。
「なんだとぉー。生皮村へようこそだぁー?
馬鹿野郎、来たくて来たんじゃねえや。」
イラッとしたバドグが声を荒げた。
「何者だお前は。ふざけてるんじゃねえ。
われらの邪魔をすると命はないぞ。
死にたくなければ、そこをどきな。」
ミヤナも怒鳴った。
相手が危険な波動を出しているために、
態度は威圧的になった。
男にしてみたら、
ふざけた言い方をすれば
少しは受けるだろうと
勝手に思っていたが、
受けるどころか怒鳴り付けられて
深く傷ついてしまった。
考えてみたらこの状況で、
ふざけたりするものではないだろうと思うのだが、
ふたりを弱そうだと思った途端、
どういうわけか訳もなく
ふざけてみたくなったのだ。
始末するのは訳もないと
気持に余裕があり、
意識が優位になって
勝ったつもりになってしまったために
舐め切ってしまった。
人間というのは、
自分が上だと思い込んでしまうと
自分の置かれている状況が見えなくなるのだ。
しかし男がどれほど繕っても、
出している波動は
殺意を孕んでいるのだから、
いくら冗談を言ったとしても
相手には冗談と受け取ることが出来ない。
それどころか、
どう誤魔化しても
敵意と反感が生じてしまう。
独りよがりで、
いい気になっていたために、
弱いと思い込んでいた相手に怒鳴られ、
ふわふわと膨らんでいた優越感を
踏み潰された痛みは
思いのほか深かった。
皮のない顔の筋肉が屈辱でひきつった。
「黙れ。そういう物言いも今のうち。
もうすぐ泣いて命乞いすることになるわよ。
いや、今あたしの顔を潰したお礼は
生皮を剥ぐだけじゃすまないのよ。
そのまま肉も細かく削いで、
骨も砕くの。
この痛みこそ地獄というものよ。
ケーケケケケ。」
言葉は柔らかいが
皮なし男は辱しめられた屈辱感で
二人を抹殺したいという憎しみに高ぶった意識が
残虐な言葉を吐き出している唇の筋肉を
小刻みに痙攣させていた。
「おもしれえ。やれるものならやってみな。」
負けず嫌いのミヤナが
挑発的な言葉を投げつけた。
弱い女と思っていた相手から
思わぬ言葉が返って来た皮無し男の目が
一瞬衝撃を受けた色を浮かべたあと
怒りの色に変わった。
またいちだんと傷ついてしまったのだ。
相手を恐怖で戦かせるほど
危険な波動を感じさせるのだが、
実際はとても傷つきやすい性格なのだろう。
傷ついたその反動の怒りと怨みで
屈辱感をはらすため狂暴になるのだ。
「言ったわね。生意気なやつ。」
男の体から
憎しみの業火が噴き上がった途端、
頭の真ん中から長い角が一本、
ズルッと生えて、
目がつり上がり、
口が大きく左右に裂けたかと思うと、
突然、
グアッとミヤナの体に体当たりして来た。
瞬間移動なのか。
あっ、ミヤナが後ろに転がるのと同時、
閃光一瞬、鋭い風切り音が横切った。
「ほお。」
意外だという困惑の想いが男の顔に表れた。
「まさか、これを外されるとは。」
慌てた想いが聞こえて来る。
女だからたいしたことはないと
侮っていたが
自信が微妙に揺らいだ。
なかなかこれを外したやつはいないのだ。
ほとんどが一太刀で勝負がついているはずだった。
ミヤナが後ろに転がった勢いで、
そのまま飛び上がると
体勢を立て直して反撃の構えをとっていた。
「ふん、一発屋か。」
最初の一太刀だけでしか勝負出来ないことを
揶揄して
ミヤナは男に罵声を浴びせた。
男はまさに痛いところを突かれ、
またいちだんとその衝撃に深く傷ついた。
ミヤナは挑発して
相手の怒りを増大させているのだ。
腰を低く落とし、
刀の柄に手を添え、
男が怒りにまかせて、
ふたたび飛び込んで来るところを待っていた。
そこを一瞬、
抜刀して今度はこちらから
一刀両断にすることを狙っていたのだ。