第60話 吐く息
「誰だっ。」
イタチは勢いよく、
跳ね起きた。
そのまま素早く
体勢を立て直すと、
低く身構えて
油断なく
暗闇に目を凝らした。
あたりは
何事もなかったかのように
静まり返っている。
誰もいない。
おかしい。
確かに何者かの吐く息が
イタチの首に触れたのだ。
それは牙をあてようと
口を開いたときに
洩れたものだったような
気がする。
それも確かな実感が
あったのだが。
しかし、
それらしい者の姿が
見当たらないということは
気のせいだったのだろうか。
恐怖の想いが妄想を生むのか。
念のため、
もう一度辺りを見回した。
やはりいない。
半信半疑ながらも
周囲に目をくばりながら
洋服の埃を叩くと
油断なく歩き始めた。
それでも気になって、
時折後ろを振り返った。
今通って来た山道が
暗闇の中に消えて
闇が迫って来る。
後ろを振り返ると余計に
恐怖が増してしまうのだが、
それでも
誰もついて来ないことを
確かめなければ
いられなかった。
恐怖に怯えながら
前を歩いて行く男を
見失うまいと歩を速めた。
足元がおぼつかない。
道の凹凸が酷く、
ウッカリすると
躓きそうになる。
気が抜けない。
前を行く男も
得体の知れない恐怖に
落ち着かない様子で
頻繁に後ろを振り返る。
「やっぱり恐いよな。」
イタチは自分が感じている恐怖を
あの男も感じているのだと
共感を覚えた。
それにしても
先ほどから
胸のあたりが妙にざわついて、
イタチの意識に
何者かが
侵入しようとしている
気配を感じるのだ。
これはどういうことなのだろう。
正体を明かさず
コソコソ俺を探ろうなどとは
胡散臭く気に入らないやろうだ。
イタチはむかっ腹をたてながら
その正体を暴こうと
意識の触覚を
暗闇の中に差し込んで探ってみた。
しかし何も
その触覚に
触れて来るものはなかった。
それにしても重苦しい波動だ。
それがジットリと
意識に絡み付いて、
じつに気持ちが悪い。
おかしなところへ
入り込んでしまったな。
イタチは不気味な戦慄に
身を凍らせた。
不意に男の後ろ姿が
前方の暗闇に
うすぼんやりと浮かび上がった。
曲がりくねった道で
男の姿が見え隠れして、
後ろから尾行するには好都合だった。
男は相変わらず
警戒を怠らず
神経質過ぎるほど
周囲に気を配っている。
ふっと、
イタチの意識に
男の想いと記憶の映像が
飛び込んで来た。
男は繰り返し
殺られたときの感覚が
蘇って、
悔しさと怨みの想いが
燃え上がっている。
「ちくしょう、
俺をこんな目に会わせやがって。
あいつらを八つ裂きにしたって
気がすまねえ。」
男には報復することしか
頭になかった。
そしてその想いは
時が経つごとに
ますます強くなっていく。
突然、
車に乗って
どこかへ向かっている
男の記憶が蘇った。




