第52話 強情
「ザリエルよ。
また我らと共に働かぬか。
そなたは同意するだけで良いのだ。
後のことは
我らが全て取り計らう。
同意するなら
今までのことは
咎めぬことにしよう。
何も心配せず
戻って来るがよかろう。
また以前のように
将軍の地位を
保証しようではないか。
どうしてもそなたが必要なのだ。」
滝の中の声が
巧妙におかしなことを
ささやいてくる。
胸のところに潜んでいる蜘蛛が
金色の光りを脈動させて
警戒の色を深めながら、
巣の真ん中で
ジッと
成り行きを見守っている。
無踏は無言のまま、
あたりの様子を探った。
ヘデルのうしろに
相変わらず大蛇が九匹
ユラユラと頭を揺らして、
あたりを警戒しながら
無踏を見ている。
優子に切り落とされた大蛇は
元通りに再生されていた。
ヘデルの横方向に目をやると、
さらりとした長い髪で
細身の美人が立っている。
傲慢な顔をした女で
天女のように裾が長く、
袖が拡がり、
帯を胸前で結んだ服を着ている。
それは朱色の布地に
金糸で龍が雲を孕んで
睨みを効かせた
刺繍がしてあり、
朱色の靴は先が細く
上に反り返えって、
サファイアが
その先端に付いている。
色彩の乏しい暗黒の世界の中で
この女はひときわ眩く
輝いて見えた。
その右隣に
骨太で太った体に
筒袖の麻の着物を着て、
その合わせた前がはだけ、
大きな腹がはみ出している
巨体の男が
杖のように立てた鉄のこん棒を
右手に仁王立ちして、
無踏を興味深く
ジロジロと
見ているが、
顎を小刻みに
揺すりながら
鼻をクンクンさせて
あたりの匂いを嗅いでいる
その背後に
ズラッと
黒い影のような人の姿が
ひしめきあっている。
その数は数え切れないほど
空間の遥か彼方まで
広がっていた。
無踏がだんまりを決めこんで
答えようとしないことに
ヘデルはイライラしていたが、
我慢出来ずにまた激昂して
怒鳴り始めた。
「なぜ黙っている。
さっさと答えぬかー。
貴様ーっ、
このままで済むと思うな。
大王様がたずねているんだ。
さっさと言え。
言うんだ。」
またもや感情剥き出しで
剣を無踏の腹に突き付けた。
無踏はあまりにもコロコロと
感情が激変するこの男の
馬鹿さ加減に
何だか可笑しさが込み上げて
来て思わず
「フンッ」と
鼻から息が出てしまった。
無踏はハッとしたが
あとの祭りだった。
「うぬー、
鼻で笑ったなーっ。」
ヘデルはカーッとして
頭までブルブル震わせると、
口がグアッと裂けて
目が縦につり上がり、
体から炎を噴き出しながら
剣を大上段に振り上げると
一気に斬り下げた。
目にも止まらぬ速さだ。
無踏は危うく
斜め後ろに飛びのいてかわすと、
間合いを取って身構えたが、
すぐさま次の太刀が
袈裟に斬り込んで来て
頬を掠めた。
ヘデルは怒りの感情のままに、
ブンブンと
剣を力まかせに振り回して
無踏を襲ってくる。
「姐御」
太って腹が出ている男が
天女の格好をした女に
ヒソヒソと声をかけた。
「親分はすっかり
本気になっちまってるぜ。
だけどよ、
なんであんなに
プルプルするんだろうな。
あれじゃどう見たって気ちげーだ。
もうちょっと冷静になれねえのかな。
やんなっちまうぜ。
あんなんじゃ尊敬出来ねえよ。」
「ばか野郎、なに言ってんのさ。
地獄に尊敬なんぞありゃしないよ。
あるのは力だけで、
どっちが強いかだけなのさ。
そのくらいお前にも
わかりそうなものだけどねえ。」
まわりを憚りながら
女が男に小声で言った。
「そりゃあ、
そのくらい俺にだって
わかっちゃいるけどよ。
しかし、
あの無踏とかいう野郎は
そんなに強えーのかい。
どう見たって
強そうじゃねえんだがな。
そのうち、
ズタズタに
やられちまうんじゃねえのか。」
男は愉快そうに
ニヤついて言った。
女も当然のように
「まあ、時間の問題だろうねえ。
無踏とやらも意地を張らずに、
うん、と言うがいいじゃないか。
そうすれば
酷い目に遭わずに
済むというのに、
強情な男だよ。
でも、そこが
なかなかいいじゃないかね。」
男は怪訝な顔で
女の顔を覗いた。