第48話 摩利支天
博士や研究員達は
すぐさま意識を
摩利支天に向けた。
意識が距離を縮めると、
摩利支天が
目の前に現れてきた。
稟として
目元涼しく鼻筋が通り、
この世のものではない
美しさに誰もが息を飲んだ。
しかし
鎧の強い光りが
眩しくて、
一瞬見えただけだった。
摩利支天が
金色に光り輝く猪に乗って
音も無く飛んで行く。
そのあとを
地球上から集められた
気の荒い野性猪の大集団が
地響きをたてて
猛スピードでついて行く。
ザリエルは
ただ事ではない地響きを
訝って、
その方向へ意識を向けた。
その途端、
ふっと眉を曇らせた。
「くそーっ、
厄介なものが
迫って来るぞ。
摩利支天のお出ましか。」
どうやら、
ザリエルは摩利支天を
知っているようだった。
地響きがみるみるうちに大きくなり、
土埃が
濛々(もうもう)と
舞い上がったかと思うと、
目と鼻のさきで
ピタリと止まった。
舞い上がった土埃の中から
荒い鼻息と唸り声が聞こえて来る。
土埃が徐々に薄れて
見通しがよくなっていくと、
暗黒軍の大集団と
摩利支天の猪の大群が
対峙して、
ザリエルと摩利支天が
睨み合っていた。
ザリエルは
眩しくて
摩利支天を
まともに見ることが出来ない。
しばらく無言のままでいたが、
不意に
「まだそこから抜けられぬか。」
沈黙を破るように
摩利支天が
ゆっくりとした
穏やかな口調で口を開いた。
ザリエルは一瞬
むっ、と
迷惑そうに眉を寄せると
「ふん、
そう簡単に
抜けられるものではないわい。」
大きなお世話だというように
ふて腐れて、
吐き捨てるように言った。
「抜けるどころか
我らは領地を
次々増やしておるぞ。
そのうち、
すべてを
我が手中に治めるのだ。
そなたが
地上に生を受けたときには
我らの思う壷だ。
すべてを忘却した
赤子のそなたには
我らが仕掛ける陰謀に
なす術もなかろう。
そのとき、
そなたも我が軍門に下るのだ。
そして、
神も我らを認めるであろう。
いまのうちだけだぞ。
偉そうに説教出来るのは。」
ザリエルは嘲笑いながら、
さも自分が天下を取ったように
強がって言った。
摩利支天は
黙って静かに聞いている。
ザリエルは続けた
「こんな猪ごときに
わしが退散するとでも
思っておるのか。
我が軍団の恐ろしさを知らぬな。
黙ってこのまま
こいつらを引き連れて
退散すれば見逃してやるが、
さもなくば
吠え面をかくことになるであろう。
いまのうちに
おとなしく引き下がれ。」
ザリエルは相手を言葉で威嚇して
脅しをかけた。
だが、相手は乗ってこない。
続けて威圧しようと
言葉を探したが、
頭の中がなぜか硬直して
思考回路が
固まってしまったのだろうか。
脅しの言葉が
まったく出てこなくなってしまった。
「畜生、
わしの意識に
何か細工しやがったな。
考えが思うようにいかねえ。
くそったれめ。
わしとしたことが、
こんなちゃちな細工が
何で解けないのか。」
ザリエルは
摩利支天に対する憎しみが
一段と燃え上がった。
そして、
お互い押し黙ったまま
ジッと睨み合って、
しばらく時間がたった。
うしろにいる兵士達は
どうなってしまうのだろうかと、
咳ひとつせず、
ことの成り行きを
見守っていた。
摩利支天の猪達は
いまにも突撃しそうな気配で
身構えている。
「私が肉体に宿る日は
いつになることやら、
一億年後か二億年後かわからぬが、
それまで待つ気かな。
それほど永く地獄にいて
どうなるというのか。
信頼も安らぎも喜びもなく、
殺戮と恐怖と飢えの世界が
そんなにも
気にいっているというわけか。」
摩利支天が静かに言った。
突然、
ザリエルは先ほどの自分が
あまりに饒舌だったことに
自己嫌悪を感じ始めた。
何だか酷く気分が落ち込む。
いつもなら
沈黙の中で
冷静に状況を把握し、
的確なひとことが出て来るのに、
先ほどの自分は何だ。
ただ口先の威嚇で、
うわすべりしていただけではないか。
威嚇したつもりが
かえって
自分の動揺を
さらけ出しているだけだ。
ザリエルは意識の底に
敗北感が澱んで
自分が小さく感じられてきた。
部下達が
いまのうろたえている自分の意識を
見抜いてしまったら、
部下達を引きつけている求心力を
失ってしまうのではないか。
ザリエルは
内心恐怖がよぎって
気持ちがすっきりしなかった。
このままじゃ部下にしめしがつかない。
この事態を打開しなければ
誰もわしについて来なくなるだろう。
気持ちが焦って、
それをごまかすように
いらついた態度で
「ええい、
こんなところで睨み合っていても、
らちはあかぬ。
蹴散らして
叩き潰してくれる。」
と言いざま、
念を凝縮させて
落雷が直撃するイメージを
想いの中に描いた。
その途端、
大扇山にかかっている雷雲から
摩利支天めがけて
太い稲妻の柱が
一直線に落下した。
大音響とともに
目が眩むほど、
あたりが真っ白に光って、
まわりが見えなくなってしまった。
全員が
しばらく呆然としているうちに
目がなれてくると
「ああっ、
なぜだ、どうなっているんだ。」
ザリエルは絶句した。
当然、
落雷の直撃で吹っ飛んだ
と思っていた摩利支天と
猪達が何事もなかったように、
そのままそこにいて、
おまけに全ての猪達が
金色の光りに覆われ、
平然としていた。