第44話 神気
衝撃を受けた瞬間、世界の景色が一変した。
(なん···だ······?)
唐突に周囲がスローモーションにでもなったかのように遅くなり、吹き飛ばされ宙に浮く自分を酷くゆっくりと感じていた。軈て、鈍い痛みと共に地面に叩き付けられるに至っても、何が起こったか全く理解することが出来なかった。唯一つ認識出来たのは、全身を襲う途轍もない激痛だけであった。
「ぐあっっ──っ!?」
今まで経験したことの無い痛みに、全身が悲鳴を上げる。表面には傷一つ無いのに、まるで身体の中を直接抉られているかのような痛み。おまけに手足に力が入らない。何やら、力の根元そのものにダメージを与えられたかのようだ。
(つっ!?一体何を食らった?この全身に広がる痛み、広範囲の衝撃波か何かか······?)
これまでとは段違いの威力。その上、何か異質な力を感じる。此処に来て、ザハラクが本気になったということなのか。だが、分身まで消されたのはどういう訳だ?【朧身の術】と違って、範囲攻撃で消されるものではない。影分身が消える条件は、時間切れになることの他は本体同様HPが尽きるか、もしくは本体が死ぬか気を失うかして意識を途切れさせた時だけのはずである。発動スキルを強制的に終了させるスキルなど聞いたこともない。もしかして、自分が知らないだけでこの世界には存在するとでも言うのだろうか?
頭の中で様々な疑問が渦巻いて混乱しかけていたが、今は戦闘の真っ只中だ。一刻も早く立ち上がることが先決だと思い直し、痛みを堪えて全身に力を入れる。必死に手足に力を込めて身体を起こすも、途中でよろけて膝を突いてしまう。歯を食い縛りながらその状態で顔を上げると、ザハラクが此方を見下ろして睥睨していた。追撃して来ないのは余裕の表れか、あるいは───。
「何を食ろうたか理解らぬといった顔をしておるな」
したり顔でそう宣うザハラク。ムカつく顔だが、どうやらご親切にも解説がしたいようだ······。
此方としても立て直す時間が稼げるのは好都合だったので、大人しく耳を傾けることにした。
「それは【神気】、神の気じゃ」
「神の気、だと······?」
言葉面で何となく想像がつくが、どうにも嫌な予感しかしない。そう思っていると、ザハラクが話を続ける。
「神とその眷族のみが使える攻防一体の気法、とでも言うところかの。攻めに乗せれば如何なる防御をも貫く最強の矛となり、護りに使えばあらゆる攻撃をも防ぐ鉄壁の盾となる」
何だよそれは。此処に来てそんなの有りか?今まで本気じゃないのは分かっていたが、それを使わずにいたのはやっぱり遊んでたってことかよ······。
理解ってはいても釈然としない思いを拭い切れないでいるところに、ザハラクは更なる追い討ちを掛けて来た。
「【神気】は【神気】を以てしか抗えぬ。何せ、それ以外のあらゆるスキルを無効化するからの」
「なっ!?」
(マジかよ······チートにも程があるだろ)
だが、驚くと共に納得もしていた。何故なら、幾つか展開していた防御スキルが全く機能していなかったからだ。突破されたという以前に発動すらしていなかった。それに、分身が消されたことにもこれで説明がつく。恐らく、衝撃波に【神気】を乗せて放射状に放ったのだろう。
「しかし、流石じゃの。あれを受けてその程度で済むとはの」
(その程度だって!?)
冗談じゃない。あれでHPの半分近く持っていかれた。その上、気力と魔力にまで直接ダメージが通っている。この手足に残る倦怠感はその為だ。正直、動くのもつらい状態だった。
そんな此方の怪訝な表情に気付いたのだろうザハラクが、やれやれと言った風情で口を紡ぐ。
「理解っておらぬようだの。並の人間なら跡形も残らずに消し飛んでおるわ。その身体といい、そなたは特別なのじゃよ」
何が特別だよ。これで此方に打つ手は無くなった。絶望と呼ぶのも生温い状況だというのに。
(甘く見過ぎていた······)
神の力がどの程度のものか、計り知れないとは言えある程度予想は出来ていたつもりだった。しかし、実際にはその想定を遥かに上回っていた。見込みが甘かったと言わざるを得ない。
何処かで、この世界は自分に優しいのだと思い込んでいたのかも知れない。いざとなったら、また都合の良いスキルなり能力なりが発現して切り抜けられるものだと。そんな虫の良いことを考えていたのだ。
(フッ、特別が聞いて呆れるな······)
確かに並の人間ではないのだろうが、神に対抗しえないという点では普通の人間と何ら変わりない。唯圧倒的にレベルが高いというだけでは神の次元には届かないのだと、今更ながら思い知った。
では、自分と言う存在は一体何なのか。今此処に、この世界に自分が存在する意義とは何なのか。誰が何の目的で自分をこの世界に遣わしたのか。蛇神と闘わせる為か?それにしたって、このタイミングなのは解せない。まだ何も理解らない、この世界のことを何も知らない状態で今のこの状況、本当にその何者かの思惑通りなのだろうか。此処に至っては、自殺しろと言っているようなものだ。無茶ぶりにも程がある。
漠然と考えていたのは、神の一人か、もしくは神々の更に上に立つ存在か、そんな者を思い浮かべていたのだが。どうも、とんでもない思い違いをしているのではないかという気がしてきた。何がどうと言葉には出来ないのだが、蛇神を見ているとそんな感じがしてしまう。確かに浮世離れしていて何を考えているか分からないところがあるものの、露悪趣味と言うかバトルジャンキーなところを隠しもせず、妙に人間臭さを残していて神らしくない。蛇神だけがそうなのかは分からないが、どうにも神というイメージにそぐわないのだ。この世界の神の定義に疑問符を付けざるを得なかった。あるいは、そう見せているだけなのか······。
(それに······)
そもそも勇者とは何なのか。
図書館といったもののないユバの街では詳しく調べることは出来なかったのだが、周りで少し聞いた話に依ると、直近では500年程前に別大陸で出現したのが最後だと言う。その時の最大の敵は魔王だったらしいが、それ以前には、邪神だったり厄災竜だったりとその時々で脅威となる存在は違うそうだ。その殆どは伝承として辛うじて残されているだけで、勇者のことも詳細な記録は伝わっていないらしい。唯、神に遣わされてあらゆる魔法とスキルを使い熟す存在であるということだけが言い伝えられている。
自分がそんな大層な存在だとは認めたくはないのだが、実際に「勇者」などというクラスが生えてしまった以上、何らかの役割を負ってこの世界に呼ばれたことは最早否定しようもないことだろう。
とは言え、自分はまだ「勇者」になってはいない。今は周りが勝手にそう呼んでいるだけだ。不本意極まりないことだが。
もしかして、「勇者」を育てていけば蛇神に、神にも対抗し得る力を手に入れることが出来るのだろうか。この世界に遣わした何者かは、それこそを望んでいるのだろうか。自分にとっても、元の世界に戻る為の手懸かりがその先にはある。手段と目的が合致していると言えるかも知れない。だが······。
「フッ······」
思わず自嘲気味の苦笑を漏らす。
「何じゃ、もう観念したのかえ?」
諦観の表情と取ったのか、ザハラクからそんな声が掛けられる。心なし蔑んだような目を向けられていた。この戦闘狂の神様にとっては、己の楽しみが長く続くことこそが肝要なのだろう。例えそれが、手慰み程度の遊び半分のものだとしても。そんな神を前にした絶体絶命の現状で、ごちゃごちゃと考えを巡らせていたのが無意味な現実逃避だったことに気付いて、我知らず笑ってしまったのだ。
「つまらぬ。これでお終いかえ?もう少し楽しませてくれると思っておったのだがの」
終わる?死ぬってことか?このまま何も出来ずに。
この世界で死んだらどうなる?もしかしたら、元の世界で目が覚めたりはしないだろうか?これまでのことが全て夢だったとかで。
いや、虫が良過ぎるな。死は死だ。この世界から自分という存在が消える。それだけだろう。元の世界の自分は、もう既に存在自体無くなっているかも知れない。転移物には有りがちな設定だ。
ならば死を受け入れるのか?
(死ぬのは嫌だな)
誰だって死にたくはない。それは当然のこと、と言いたいところだが、どういう訳かこの世界に来たことで、殺す覚悟と共に死ぬ覚悟も出来てしまっている。生と死は相対的なものだ。そう言った概念がこの身体には刷り込まれているのかも知れない。
だからと言って、素直に死を受け入れられるかと言えばそれはまた別問題だ。冷静に自分自身を俯瞰して見ているだけで、生への執着心が無い訳ではない。出来れば長生きしたいと思うのは人間としての本能だ。この世界に来て、まだ何もしていないのだから。まだ何も成し遂げていない内に諦めるのは間違っている。
(そうだ、まだ諦める訳にはいかない)
チラッと視線を移し、督戦隊と対峙しているセツナ達の方に目を向ける。
このまま蛇神を解き放ってしまえば、残された者達がどうなってしまうのか想像もつかない。気紛れ故に歯牙にも掛けないという可能性もあるが、楽観は出来ない。余り楽しい未来になるとは到底思えなかった。
「はぁ······」
深く溜め息を吐く。
熱血はガラじゃないんだがな。仕方がない。
手足に力が戻ってきたのを確認して、ザハラクへと視線を戻す。
「ほう」
此方の目に決意の光が宿ったと気付いたのか、ザハラクが感心した声を漏らした。
(悪足掻きしてみるさ)
ひざまずいた状態から、【瞬考】【縮地】を使い一気にザハラクへと突っ込む。
「はあぁぁぁぁ───っ!」
ザハラクの頭部に勢いを乗せた突きを放ち、そのまま連打を続けるが───。
「ふはははっ、良いぞ良いぞっ、そう来なくてはな!」
棒立ちのままそれを受けているザハラクには、全く攻撃が通っていなかった。何か障壁のようなものに遮られ、ザハラクには1ミリたりとも届いていなかったのだ。何より、初撃の段階で【瞬考】は消されてしまっていた。どうやら、【神気】に触れた時点でスキルは打ち消されてしまうようだ。
(A○フィールドかよっ)
良く考えれば的外れな突っ込みなのだが、それは置いておいて、やはり通常の攻撃は効かないというのは本当だった。それに加えてスキル無効化も。どうにも手詰まり感が半端ない。
「それ、もっと足掻いてみせよっ」
どうするか考える間もなく、徐に人差し指を此方に向けたザハラクに嫌な予感を感じ、咄嗟に後ろに跳ぶ。間髪入れず指先から放たれた気弾が左肩を掠める。反射的に身体を捻っていた為に直撃は避けたのだが、【神気】の影響か思いの外強い衝撃に痺れが走り、空中でバランスを崩して着地とともにたたらを踏んでしまう。そこへ続けざまに気弾の連射が襲い掛かって来る。
「くっ」
数発は辛うじて避けられたものの、目にも止まらぬ超高速で撃ち出される見えない気弾を避け続けられる訳もなく、次第に直撃を受け始める。左腕、右肩、左腿、右脇腹といった部分に、容赦なく【神気】を纏った気弾が突き刺さっていく。
「がはっ、──っっ」
「そらそらっ、どうした、それで終わりかっ?」
攻撃を食らう度に力が抜け、為す術なく撃ち込まれてメッタ打ち状態となる。
逃げようにも気弾の嵐で釘付けにされて、思うように動けない。右に左にと撃ち分けられ、逃げ道を塞がれていた。
全身到るところを少しずつ咬み千切られていくかのような感覚。ガリガリとHPが削られ、痛みもどこからか突き抜けて次第に感覚が麻痺して来た。頭がボーッとして思考力が落ち、視界も霞み始める。立っているのが不思議なくらいだった。HPも残り1割を切ったようだ。
(こ···のまま······終わるの···か······?)
目の前が真っ赤に染まり、耳鳴りがして周りの音がわんわんと反響していた。そんな中、何処からか危険信号が鳴り響くのが聞こえてくる。
(何···だ?何の···音···だ······?)
《生命···持······危···領域に···入り···た······緊急······により···気の······放を···ます》
脳内に直接響くのは何時ものアナウンスのようだが、意識が飛び掛けていて何を言っているか良く聞き取れない。自分の中で何かのスイッチが入ったような気がするが、ボヤけた思考では全く認識が及ばなかった。しかし───。
身体の方は無意識に反応していた。
「何っ!?」
咄嗟の反応で身を引こうとするも間に合わず、気弾を放っていたザハラクの右手が肘から先を斬り飛ばされて宙に舞っていた。
呆然としてその軌跡を目で追っていたザハラクは、軈て地面に落ちて跳ねるに至って、それが自分の腕であることに気付く。遅れて来た痛みに、漸く自分が斬られたと認識したようだ。
(何だ······何が起きた······?)
目の前で起きていることを、まるで他人事のように捉えていた。
頭の中はまだ靄が掛かっていて不鮮明なのに、視界はシルフィードの目を通していた時のように、鮮明でいながらカメラ越しに見ているかのような奇妙な感覚だった。それに、自分の意思と関係なく身体が動いている。
(これは誰だ······本当に自分なのか······?)
追撃の一振りを躱し、間合いを離したザハラクが、身構えながらもその身を震わせ始めた。
「───クッ、クッククッ」
そして、唐突に高らかな笑い声を上げる。
「ふははははっ──!とうとう来おったか!待っておったぞっ」
戦闘狂を全面に押し出して、愉悦の表情を浮かべるザハラク。舌舐めずりして向かって来るのが視界に映る。
そこから先は良く覚えていなかった。
どうやら【神気】を纏ったらしい自分とザハラクとが熾烈な戦闘を繰り広げていたようだが、自分ではない何かに突き動かされて自動的に闘っている、そんな感じだった。まるで自分視点のゲームのリプレイを見させられているかのような。
一体どのくらいの間戦闘が続いていたのか、時間の感覚も曖昧で良くわからなかったが、その終わりは突然にやって来た。
「お師匠様───っっ!!」
セツナの悲痛な叫び声が響き渡る。
意識が現実に引き戻された。
気付くと、激突したザハラクと重なり合う形で止まっていた。
そして。
互いの胸を貫き合っていたのだった。
気弾のイメージは某宇宙の帝王です。
覚醒後の戦闘はだいぶ端折ってますが、何れ回想という形で解説しますので。




