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刀京~ blade city~  作者: 久我太刀
3/11

夢幻―ムゲン―

申請すれば現場の情報や遺体も見せてくれる。そう確約して高山と別れた。

外に出ると遠く、暴力の音が木霊した。悲鳴。次いで銃声。車のブレーキ音。

秋葉原はそういった喧騒からは程遠い。もはや単なる荒野だ。

耳をすませば蟲の声や川のせせらぎまで聞きとることが出来る。

星の明かりとまばらな電灯を目印に、俺は目的地へと向かった。

東京の区や町といった括りはほとんど形骸化している。

東京の人口減少は23区の維持を困難にし、東京という一つの街兼国になった。

一転して弱小国となり、電気や水道を引くことで手一杯。

個人の資産も大きく減少。車など、先ず入手不可能だった。

従って俺の移動手段も歩きである。電車やバスは最初から無い。

時代は明治以下にまで後退した。日本人が東京を捨てるのは当然の帰結だ。

政府の統治も不完全。そこに付け入り、集まる後ろ暗い者達。

本当にどうしようもなく、頽廃している。

だが、俺はこの東京が好きだ。人が少なくなった分静かで、煩わしさがない。

車が少なく、交通機関も無くなったからか空には星がよく見える。

今こうして歩いている今も星は煌々と輝き、静かな夜を演出していた。

「まるで世界に俺しかいないみたいだ」

そう呟いてすぐ、またどこかで銃声が鳴った。

舌打ちし、音の先を睨む。

「本当に俺だけになればいいのに」

世界を滅ぼしたいわけではない。自分だけ生き残りたいわけでもない。

だが、この現状を見ていると、人間なんて全部滅んでしまった方がずっといい。

そんな黒い思考が俺の躰に泥みたいに入り込んでくる。

腹のあたりがじわりと痛む。泥を飲んで広がったような、黒い、感情。

「っと、通り過ぎるところだった」

嘗ての東京メトロ入り口。地下鉄へと続く階段は瓦礫に埋もれていた。

また一段と壊れたのではないか。自分の事務所以上の崩落の危険に躊躇する。

「まあ、まだ大丈夫だろ」

罅割れたタイルの階段を慎重に降り、ホームに向かった。

勿論電機は通っていない。ペンライトをつけて目的地に向かう。

ここは東京から忘れ去られた場所だ。今やほとんどの人間がここを気に留めない。

俺ですら、ここに住んでいる人間と親交が無ければ、来ようとも思わなかっただろう。

ホームを抜け、線路に降り、さらに進む。対岸の線路との合流地点を抜け、さらに奥に。

線路自体が大きく弧を描く地帯に入ったところで外円の壁にあいた穴を見つける。

「よっと」

穴を抜けるとそこはもう一つの線路。その線路を辿っていくと、大きな空洞に着いた。

『秋葉原駅』。トンネルの上部にはそうあった。

だが、記録上、秋葉原駅は先ほど通ったホームであり、この空洞ではない。

大正時代、地下鉄のシステムを導入する際はここまで開通する予定だった。

だが工費と近隣住民との折り合いがつかず、駅だけ作られ放っておかれたのだ。

さて、俺は何もここに駅を見に来たわけではない。会いたい奴がいるのだ。

駅区画の隅に、かつての売店だったのであろうスペースを改造した場所があった。

喫茶店の様な外装で、看板にはひらがなで『ぶきや』と書いていた。

ここだけは明かりが灯っており、正しく夜の小粋な喫茶店という感じだ。

ドアを開けると蝋燭にランプ、暖炉の火。暖色の明かりが店を照らしていた。

ショーウインドーには可愛らしいケーキや焼き菓子が並んでいる。わけではない。

そこにあるのは鉄。鉄。鉄。銃器に爆薬、剣に鎧。所狭しと並んでいる。

コーヒーの匂いなど香らず、するのはガンオイルと硝煙の匂いだけだ。

こんな部屋で火など焚く奴の気が知れないが、ここの主人はそんな気のふれた男だ。

「見事だ。実に美しい。そうは思わないか?」

仄暗い店の奥に目をやると、大柄の影がイスに座り、何かを眺めていた。

「日本刀は平安から南北朝にかけてが黄金期だ。実に優れたものが多い」

どうやら手元にあるのは日本刀だ。暖炉の炎で刀身がゆらゆら輝く。

「俺から言わせりゃ戦国時代以降の日本刀なんて鉄くずだ。あんなものに価値は無い」

手元の刀を愛でつつ、店先にぶら下げた戦前の名刀を罵倒しだす。

「心鉄が入っているから丈夫で曲がらず切れやすい?馬鹿じゃねーの?二種の鋼に分けたところで合わせて精錬しちまえば鋼同士の炭素交換が生じて結局は同じ鋼になる。それどころか衝撃を受けて接着部にひずみが生じる。第一研げばどうなる?皮鉄は少しずつ削げ落ちて、結局は無意味だ。科学的に何の根拠もない。実戦に裏打ちされ、研げば研ぐほど真価を発揮する太刀とは雲泥の差だ。黄金と金メッキだ。虎と張り子だ」

「ああ、もういいよ」

コイツの日本刀愛は本物だ。だが愛するあまり、危ない世界に片足突っ込んでいる。

「秋星。お前がそんなんだからな」

「もういいって。分かったから」

暖炉近くまで椅子を引きずり、男の対面に座った。

「やあ百鬼」

「よぉ秋晴」

百鬼なきり。本名かどうかは分からない。サングラスに巨躯の強面の男。

この東京で武器を売り捌く武器商人だ。

捌く武器は銃器に限らない。武器として存在するあらゆるものを扱っている。

この男を敵に回すことは、国家を転覆させることと同義だという噂すらある。

アメリカの核のボタンを持っているとか、科学、細菌兵器を持っているとか。

実情は知れないがウソと断言もできないぐらいにはこの男は何でも売る。

まさかと思うようなものも、売っている。どこで仕入れたのかわからないが、売っている。

東京唯一の『なんでもそろっている』武器屋、それが百鬼の経営する『ぶきや』である。

「儲かってるかい?」

挨拶代わりの決まり文句。近況は会話の導入としては基本だ。

「最近は弾薬の補充ばかりだ。誰も俺のコレクションを見てすらくれない」

少し悲しそうに、手元の日本刀を撫でながら呟く。

大柄の男が背中を丸めて刀を愛おしそうに撫でるその姿は、正直言ってヤバイ。

「うん。かなりヤバイ」

「そうなんだよ。かなりやばいものが入ってきてるんだが」

そういって百鬼は店の窓から駅を眺めた。

その目線を追うとシートにかかった大きな何かがあった。

詮索はしない方がいい。色々と疲れるのが落ちだ。

「何だその眼は。あれ、ひょっとして見たい?あのシートの中、見たい?」

「見たくない」

「しょーがないなー。お前は友人だし、特別に見せちゃお―かなー」

面倒くさい。

「見てほしいのか?」

「どーしてもっていうならー」

「じゃあ見たくない」

「つれないなー」

「仕事で来たんだ」

「ついでに見てく?見てかない?」

「仕事の話しよう」

何度方向を修正しようとしても引き戻される。まるで蟻地獄だ。出られない。

「じゃあ見せろよ!これでいいだろ」

「……」

「なんだよ」

「何か俺が無理やり見せようとしてるみたいじゃん」

もう十分我慢した。殺そう。もう、殺しちゃってもいいかな、コイツ。

「冗談だよ。睨むなよ」

おどけて百鬼はサングラスのブリッジを押し上げ、刀をテーブルわきに立てかけた。

「鬼狂閃士郎の件だな?」

「……ああ」

この百鬼という男は実は相当な切れ者である。意図を既に察していたようだ。

馬鹿を演じているのか、ただの馬鹿か。それは不明だが。

「閃士郎の件になるとお前は余裕がなくなるからな。頭は緩まったか?」

夜道を歩いていた時の、腹の下を黒いものが這いずるような気分は癒えていた。

気を利かせたのだろうか?そんな配慮がこの男の脳に?それはないだろう。

「お前は東京中に武器を撃っているよな?」

「それが俺の仕事だ」

「閃士郎の武器について心当たりはないか?」

「閃士郎の武器?」

高山が言うには、ファイルと事件性が一致したはいいが、凶器いついての進展はない。

比較を行おうにも、閃士郎の使用した件の太刀は、現在警察の手元にないらしい。

紛失、盗み、戒めとしての破壊。いくらでも考えられるが現存する可能性は低い。

「警察には残っていないらしい。反りの深い太刀らしい」

「太刀ねぇ」

日本刀、中でも太刀というものは『人を斬る』という点において最高の逸品である。

だが、戦国時代に入り、深刻な鉄不足を解消すべく、現在の合わせ鍛えが生まれた。

柔らかい心鉄を硬い皮鉄で覆う。これは日本刀を制作するための苦肉の策だったのだ。

こうして生まれた刀は『新刀』として区別され、太刀の様な『古刀』と一線を画す。

その新刀、実戦ではどうかというと、実は太刀よりはるかに劣るのだ。

考えてみてもらいたい。合わせ鍛えに一体何の意味があるというのか。

しなやかな刀を作るのなら鉄に含有する不純物の内容を調整すれば済む。

硬さを求めるなら焼き入れを工夫すればいくらでも硬い刀が作れる。

こと、『硬い』という点では成程新刀は追随を許さぬだろう。

だが単に硬いだけでは衝撃に脆くなる。それを支えるのが心鉄だという。

だが衝撃が連続すれば、鉄と鉄の接合部に亀裂が生じ、やがて瓦解するだろう。

この日本刀における「合わせ鍛え神話」とも言うべき偏見は、全く以て嘆かわしい。

「僅かな情報だけでもいい。どんなものかだけでもわかれば………」

ここまで喋って己の間抜けに気付いた。この男はさっきから何を持っている?

愛おしそうに撫でていたもの、その正体は。

「漸く気付いたか」

にやりと、口角を吊り上げ、立てかけられた刀を掲げる。

黒塗りの鞘に紺の柄糸。双輪がかった鍔。

「刀身の柄に銘が彫られていた。夢幻。こいつが閃士郎の使った刀だ」

夢幻―ムゲン―。ゆめまぼろし。素の名とは裏腹にこの刀の存在感は際立っていた。

鎌切から受け取り、鞘から抜き、間近でその刀身を見た。

反りが深い。それに、波紋が無い。黒い肌に白銀の刃があるのみ。

「柔らかく、しなやかな地鉄を使っている。現代の刀には無いものだ」

恐らく、日本以外の大陸から持ち込まれた鉄で鍛えられたのだろう。

「特殊な焼き入れをして高度を保っている。これこそ折れず切れ味のある刀だ」

「誰が作ったとかは分からない?」

「刻まれていたのは銘だけだ。使った鉄も、どこで作られていたかもわからん」

材質や刀匠の腕、炉窯の種類に研ぎ材の性質。どれもが完璧に作用している。

『美術品』としての煌びやかな装飾などは一切ない。

『人を斬る』というその一点に全力を注いだものだ。

「日本刀の真価は実用性。つまりは人を斬るという点にこそ美がある。見た目の美しさなんてものを追求するあまり、今の刀は化粧を塗りたくったブスみたいなもんだ」

「なぁ、何でお前がこれを」

「質問は、試した後でもいいんじゃないか?」

「なに?」

『試す』。その言葉の意味を半濁する。いや、分かっている。分かっているのだ。その意味は。

「そいつを、振ってみたいんだろう?」

手を差し伸べるように、俺の意図をくみ出す。

「それは…」

「目を見ればわかる。魅入られてるぜお前も、そいつも」

「………使ってみてもいいか?」

「勿論」

店のドアを開け、外に出ろと顎でしゃくる。

「好きに振ってみろ」

言われなくとも。

鞘を百鬼に渡し、十分に距離を取ったところで、俺は準備に入った。

まずは深呼吸。肺に酸素を送り込む。吸気は長く、呼気は短く。

肩は動かさず、腹を膨らまして呼吸する。

首元、肩口、膝、足首。それぞれの力を均等に抜き、体を支える。

均等に重心が来るように。体は揺れず、乱れず、一本の木の様に。

そうして体の準備が整ったところで地面に向けた切っ先をゆっくり上げる。

胸元に来たところで左手を柄尻にやり、親指と一指指と中指だけで握る。

肩より少し上。刀を少し寝かせ、左足を前に、右足を後に。八相の構え。

後は呼吸のタイミングだ。酸素が体中に行渡った瞬間でなければならない。

息を止め、タイミングを計る。

その時を、刀を振り下ろすときを、待つ。

徐々に視野が暗くなる。

暗くなる。暗くなる。その一瞬の先に、見えた。

「―――ッ!!!」

弓弦打ちの如き擦過音が響き、雷光の如き一閃が顕現する。

『まだだ』

切り下ろしと同時に指で柄をずらし右上がりの袈裟切り。

ついでその軌跡をなぞるように右上から左下への切り下ろし。

手首を返し、横一文字の切払い。

『すごい』

鎬が低い分、風を切って太刀が進む。

抵抗も無く、阻むものなく、縦横無尽、意思があるかのように刃が進む。

『先へ、もっと先へ』

弧を描くように足を裁き、四方八方に一部の隙無く巡らせる。

青白い軌跡だけが浮かんでは消え、まさしくゆめまぼろしの如くなり。

陶酔していく自覚があった。

のまれる。刀にのまれる。酔いしれ、深みにはまっていく。

『奥へその奥へ』

深奥まで達さんとする抗えない欲求に身を任せ、その本流に足を入れる。

「そこまで!!」

爪先を入れようかというその瞬間、景色は広がり、俺はここにいた。

「俺、は」

「どうやら本物に間違いないようだな」

百鬼は俺の手から太刀をひったくり、鞘に収め、布でくるむ。

「名刀。いや、妖刀の類か。いずれにせよこいつは最高の代物だ」

俺は、今、どこに行こうとしていたのか。何を見ようとしていたのか。

「此方が深淵を除くとき、彼方も又此方を見ている」

「え」

「この刀はお前に譲ろう。だが気をつけろよ。魅入られないようにな」

馴染んだ。実に。この両腕に。あの刀は、実に馴染んだ。

初めて触れた気がしない。あの感触をずっと前から知っていたかのように。

「俺は、いったい…」

「あぁ。そう言えば」

思い出したかのように鎌切は振り返り、俺も慌てて視線を返す。

「頼まれていたもんの調整が終わった。一緒に持っていくか?」

「ああ、頼むよ」

あの感覚は、腹に黒いも名が渦巻く感覚に似ていた。

だが、それよりずっと、

「心地よかったな」

いつになったら戦闘シーンが書けるのか。

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