春海―シュンカイ―
「ほらよ。革製の鞘袋はサービスだ。似た色合いをチョイスした」
黒塗りの鞘に、黒革に金糸をあしらった鞘袋を被せ、百鬼は俺に夢幻を手渡した。
「結局、どうやってこれを手に入れたんだ?そもそもいつ手に入れた?」
「もう随分昔さ」
革を通す特性の縫い針を小型のアルミケースにしまいながら、百鬼は答えた。
「俺がこの店を立ち上げたばかりの時。扱っているものなんてちゃちな銃ぐらい」
百鬼は東京騒乱の前後で武器商人としての頭角を現した。
各国が燻っている状況下で、一般市民もまた武装を必要としたのだ。
当然、やくざや民間警備会社も武器を欲しがり、挙句警察も百鬼から武器を仕入れた。
東京騒乱での戦闘は全て百鬼の武器を使って行われたといわれるほどである。
だがそれ以前の、マフィアが蔓延る以前の各国による戦後統制直後は全くの無名だった。
そのころから東京の崩壊とビジネスの可能性を予見していた百鬼は慧眼だろう。
しかし最初期は戦後の武器回収の回収品をいくつかくすね、細々と店をやっていたらしい。
今や地下の帝王となりつつあるこの男の過去、そこには並々ならぬ苦難があったのだろう。
道具を棚に仕舞い込み、懐かしそうに過去に思いをはせながら、百鬼は答えた。
「そんな穴倉の奥底で、やって来たのさ。鬼が」
サングラス越しの視線は俺の右手にある太刀を見ている。
そしてその視線を見ていた俺は、ただただ驚愕していた。
今、この男は何といったか。
「鬼狂閃士郎。警察に自首する前に、そいつはここにやって来た」
百鬼とは十年来の中だ。そんな男が、稀代の殺人鬼と逢っていた。
「おい、初耳だぞ」
「誰にも言ったこと無いからな」
「何で、黙ってた」
「話したところで警察に捕まるか、誰かに殺されるかしかないからな」
今でこそ百鬼という男は東京では名の通った売人だ。命を狙おうというものは少ない。
だが青二才が東京で武器を売るということは、炎の中、火薬庫を担いで通るに等しい。
「ただでさえ危ない橋を渡っていた時だ。これ以上リスクは犯せなかった」
それに、と百鬼は片づけを終えて戸棚から煙草のケースを取り出した。
「あんな顔されちゃあな。応じざるを得ないってもんだ」
「顔?」
煙草を咥え、テーブルの蝋燭の一つで先端に火を灯した。紫煙を肺にため込み、吐き出す。
「まるで子どもだった。今にも泣きそうな、そんな顔をしていた」
「子ども?」
史実では人を斬ったことを認めこそすれ悪びれることもない狂人となっている。
そんな男が泣きそうな顔をして自分の懐刀を預けたという。想像もつかない。
「瞳の奥は伽藍洞。痛哭に顔を歪め、亡者の様に覇気無き佇まい。鬼には見えなかったな」
「……閃士郎は、なんて言ってこいつをお前に預けたんだ?」
「東京を騒がせることにも飽いた。ただそれだけ。刀を置き、翌日には捕まっていた」
当時、閃士郎の姿は東警の目の前に晒され、衆人環視に石を投げさせたという。
近代国家にあるまじき醜態だが、これが鬼にふさわしき末路と切って捨てる者もいた。
「あの場にいたのか?」
「ああ。間違いなく俺の店に来た男と分かった。顔は、その時のものではなかったがね」
「というと?」
「悪鬼羅刹。鬼として、周囲の人間の恨みをまっすぐ受けていたよ」
衆人に罵倒を浴びせるのではなく、悔恨の涙を流すでもなく、命乞いをするでもない。
狂人として、鬼人として、人を殺したことに一切の呵責亡きまま、死んでいった。
つまりは何ら公開を持たず逝ったという事になるのだろう。
殺めていった者達への一切の謝罪なく。しかし己の行動を正当化もせず。
『俺は殺した。故に罰せるものなら罰せよ』。つまりはそういうことなのだろう。
「俺は思った。ひょっとしたら、コイツはそんなに悪い奴じゃないのかもしれないとね」
二つの顔を見たからこそ、百鬼は閃士郎という男を異なる観点から批評できる。
「あいつは、人を殺したことに対する罪を十分に感じ、それを粛々と受けることを選んだ」
生者に謝ろうとも仕方がない。謝るべきは、あの世に送った者達にだ。
「紛れもない悪として、罰せられる道を進んで選んだかのように、俺には見えたよ」
「詭弁だ」
右の刀を握りしめ、鬼狂閃士郎を意識する。あの男もまた、こうして柄を握っていたのか。
「罪を理解して死んだ。ああそれで?結局、人を殺した事実は変わらない」
鬼狂閃士郎に殺されたものたちは数多くいた。そして連鎖的に東京争乱へと発展した。
「そいつに家族を殺されたものたちは、じゃあどうすればいい?」
『秋晴、君はもう少しお淑やかさというのを身に着けるべきだね』
過去のワンシーンが脳裏をよぎる。まだ俺が、私が、幼き時の。
「せめて、命乞いでも、おびえる姿でも見られれば、恨みもいくらか収まったろう」
『確かに、君は俺と同様、武術を学び、鍛錬もしている』
「だけど、何もかもを達観して死なれ、こっちは憎しみをどこに収めればいいんだ」
『でもね、武術を学び、俺の様になろうと考える以前に』
「俺は、どうやって、納得すればいい」
『君は、大嶽炎仙の弟子、壬生秋晴である以前に』
「俺はどうすれば、兄を殺された憎しみを打ち払う事が出来るんだ」
『俺、壬生災夏の妹なんだから』
大嶽炎仙。双虎流の使い手にして舶千会の用心棒兼剣術指南。
戦後日本は武術でも辛うじて飯が食える時代だった。
自衛手段としての武術。武器を散り上げられた東京住民の生き抜く術。
諸外国マフィアからの因縁吹っ掛けにも耐えうる能力の獲得が求められた。
今でこそ百鬼の影響により武器の入手が容易になった。
だがそれ以前の、閃士郎出現以前の東京では武器の入手は不可能に近い。
自動的に武術などと言った身一つで守れる、戦えるものが普及したのだ。
様々な流派が幅を利かせる中、炎仙はやくざと繋がり、なり上がった。
孤児で、以前から炎仙の弟子であった俺と兄も自動的にその庇護におかれた。
やくざといえど舐めた態度を取らない限りは穏便に済む。
武術と悪人面にもまれながら過ごした幼少期。今思うと良くグレなかったと思う。
自分で言うのもなんだが、真っ直ぐ育った。舶千会の面々ともうまくやっていた。
閃士郎が炎仙を斬るまでは。
あの傲岸不遜で列車砲に撃たれても死にそうになかった師匠が死ぬ。
それも、あんな人とも思えぬ肉塊になり果てて。
裏社会において一つの勢力としても名の通っていた炎仙の死は瞬く間に広まった。
当然、その炎仙の雇い主たる舶千会も、勢力は落ち、没落は時間の問題だった。
俺は、その時はただただ呆然としながら、仕方のないことだと割り切っていた。
人は死ぬ。それが情けない最期か栄えある最期かの差であると師匠は言っていた。
炎仙にとってこの終わりは悔いか、満足かは分からないが、受け止めるしかない。
だが、兄は、災夏は受け止めきれなかった。受け止めるわけにはいかなかった。
舶千会にとって、最早私たち兄妹を養う義理などない。路傍に捨てられるのが落ち。
兄はそう判断し、そうはさせじと刀を取った。閃士郎を殺すために。
師匠以上の腕となれば、舶千会も我々を切りはすまいと、そう考えたのだ。
その日から、家にも帰らず刀を差し、延々夜道を兄は歩いた。
その相貌に疲れが見えても、焦りが見えても、私にはどうすることもできなかった。
そうして、恐らく兄は会えたのだろう。閃士郎に。
兄が帰ってこなくなった二日後に、兄は頭を割られて死んだ状態で発見された。
だが、舶千会を追い出されることは無く、独り立ちするときまでをそこで過ごした。
兄の焦りは何だったのか。兄がああするまでも無く、舶千会は俺を見捨てはしなかった。
それはつまり全くの無駄死にという事ではないか。
せめてあの時、もっと兄と話していれば。
呆然と全てを受け入れようとするのではなく、もっと向き合っていれば。
兄は死なずに済んだかもしれない。
そう、今でも悔いている。
「確かに、お前の前でいう事じゃなかったな」
吸殻を握りしめ、百鬼は火を消し店の奥に引っ込んだ。
「いつまでも引きずるなとか、そんな無責任なことは俺には言えねえ」
再び戻って来た時、百鬼の手にはもう一振りの刀があった。
「俺にできる事は、コイツをお前に渡すことだけだ」
亡き兄の愛刀、春海。恐らくはこの夢幻と同様、それ以前かと思われる古刀である。
「戦うための一振りだ。幾度も研がれ、痩せ細ろうとも切れ味は変わらない」
渡され、引き抜くと見慣れた青白い刃紋が迎えてくれた。
また一段と痩せたか。反りは深く、鎬は低く。夢幻を牙とするなら春海は爪だ。
「鍔に受けた傷は修復できなかった。だからそこで芸をあしらった」
見ると鍔の円が欠けていたが、蓮の葉の様に切り込むことで美が際立っている。
「これだけは忘れるな。兄の意思はお前が受け継いでいる。お前が持っているんだ」
「……似合わないぞ。そのキャラ」
「あれ?やっぱそう?じゃあ戻すかね。御代ちょーだい」
救われてばかりだ。百鬼には。まるで、本当の兄の様に。
「あ?」
「何でもない。金額を言ってくれ」
顔を逸らせば照れと取られる。極めて事務的に対処するのが一番だ。
「そういう顔してるときって、照れてる時だよな」
「金額を言え!!」




