第77話 ヴェンデリン、記憶喪失になる(その4 )
「ブランタークさん、どうします? ここにエリーゼやフリードリヒたちを連れてくれば、ヴェルは思い出しますかね?」
「それは俺にもわからん。ただ今の辺境伯様を家族に見せるのはよくない気がする」
「エリーゼたちが可哀想である!」
「ですが、このままというわけにはいきますまい。一日も早くお館様には領地に戻っていただかないと」
「ゆえに、某たちで一日も早くバウマイスター辺境伯の記憶を取り戻させるのである!」
「導師様、そんな方法があるのですか?」
「今からその方法を話し合うのである! その前にまずは一杯!」
「……まあ、せっかく酒場に来たからな。酒を飲まないのは無礼にあたる」
「導師、ブランタークさん。今はそれどころではないしょう」
「そうですよ! お館様の記憶を一日も早く戻さないと!」
「まあ落ち着けって。エルの坊主にローデリヒ殿よ。こういう時こそ、酒を飲むのがいいんだよ」
「まずは一杯やって心を落ち着かせ、いいアイデアが思い浮かぶようにするのである!」
「「……」」
シンゴーさんの正体が、竜殺しの英雄であるバウマイスター辺境伯様だったなんて!
彼のことは有名だったけど、こんな田舎ではそのご尊顔を知る手段もなかったから、驚いたなんてものじゃない。
さらに驚いたのは、魔法使い二人が、バウマイスター辺境伯様の家臣と思われる人たちを無理やり誘い、テーブル席に座ってお酒を飲み始めたことだ。
「(こんなんでいいの?)」
一日も早く、バウマイスター辺境伯様の記憶を取り戻さないといけないのでは?
酒場の娘としては、お酒も料理も沢山注文してくれるいいお客さんなんだけど……。
「(アイシャ、本当に彼らは、バウマイスター辺境伯様の記憶を取り戻す気があるのか?)」
「(今はその相談だって……)」
「(その割には、もの凄い勢いでお酒をお代わりをしていますね。特に魔法使い二人が……)」
シンゴーさんの正体がバウマイスター辺境伯様だと村中に知れ渡り、慌ててリーアとミンファが駆け付けたのはいいけど、彼を探しに来たはずの四人……正確には、その中の魔法使い二人だ……は、酒場でお酒を飲みまくり、おつまみや料理を食べまくっていた。
とてもバウマイスター辺境伯様の記憶を元に戻すための話し合いには見えず、同行している二人も半ば呆れ果てていた。
「この酒場のエールは、キンキンに冷えていて美味いのである!」
「この蒸留酒、熟成が進んでいて味がまろやかなのに、スモーキーな香りもつけてあって……最高だな。今度は水割りで!」
「某にも、熟成された蒸留酒をくれなのである! 長年熟成させたにしては随分と価格が安い……そうであったか! この酒はバウマイスター辺境伯が魔法で作ったのであるか!」
「ほほう、記憶をなくしても魔法の腕前は衰えていないんだな。おかげで、いい酒が飲めるぜ」
「それでお二方、お館様の記憶をどうやって戻すのでしょうか?」
ローデリヒという名のイケメンな人は、バウマイスター辺境伯の家宰……若いのに大出世をしているのね。
だからこそ、二人の魔法使いがお酒ばかり飲んでバウマイスター辺境伯の記憶を戻る話し合いがまったく進んでいないことが不安なようだけど。
「記憶喪失の定番といえば、頭を打ったとかだろう? 辺境伯様も『飛翔』で飛行中に木にぶつかったか、地面に落ちて頭を打ったとかだと思う」
「つまりは、それと同じショックを与えるのである!」
「ひっ!」
導師様と呼ばれている魔法使い……体がとても大きくて、筋肉の塊のような人なのに魔法使いなのが不思議……が拳を振り上げたところ、テーブルの端で四人の様子を伺っていたバウマイスター辺境伯様が体をビクッとさせた。
記憶を取り戻すために、あんなに大きな人にぶん殴られたら堪らないと思ったようね。
「あのう……。シンゴーさんを無理にこの村から連れ出すことは得策ではないと思います」
「シンゴーさん? ああ、辺境伯様がここで名乗っていた名前か。ミズホ風なのが辺境伯様らしい。確かに、無理にここから連れ出そうとすると、記憶が戻っていない辺境伯様が怖がって逃げ出すかもしれないからな。しばらく、ここで記憶が戻るのを待つしかないか……」
「それがいいのである! 酒をもっとくれなのである!」
結局、バウマイスター辺境伯様の記憶が戻るまで、四人もこの村への滞在を決めたみたい。
魔法使いの二人はお酒を飲みまくるから、酒場の娘としては大歓迎なんだけど、私としては一日も早くバウマイスター辺境伯様の記憶が戻ることを祈るのみだ。
できればお婿さんになってほしかったけど、奥さんと子供たちがいるのなら仕方がないし、身分があまりにも違いすぎるから。
「バウマイスター辺境伯様、記憶は戻りましたか?」
「アイシャさん、これまでどおりシンゴーでいいよ。昨日の四人から、いきなりお前はバウマイスター辺境伯だって言われても、全然実感がなくてさ。それよりも、お酒を納品しないとね」
「そうでした! 魔法使いの二人が飲みまくって、在庫がなくなる寸前なんです」
翌朝、シンゴーさんはこれまでどおり、酒場に納めるお酒を魔法で作り始めた。
記憶もないのに、バウマイスター辺境伯領に戻るのは嫌なんだと思う。
他にも、昨晩魔法使い二人があり得ないくらいお酒を飲んでしまったので、酒場の在庫が危なくなったという理由もあったのだけど。
「あの二人はザルだよねぇ、本当に。それにお金持ちだ」
魔法使いだから……シンゴーさんもお金持ちっぽいというか、その気になればすぐに大金持ちになれそうだけど。
シンゴーさんのおかげで安く手に入るとはいえ、熟成された高価なお酒を何十杯も注文して飲み干してしまったのだから。
「シンゴーさん、それは?」
「なぜか廃糖蜜を大量に持っているから、それで新しいお酒を……。俺はどうしてこんなことができるのか、自分でもよくわからないんだけど」
バウマイスター辺境伯領は南にあって砂糖の生産が盛んだから、廃糖蜜が手に入りやすいのだと思う。
「(やっぱりこの人は、バウマイスター辺境伯様なんだ)」
「魔法で廃糖蜜をお酒にしてから蒸留すると、無色透明な蒸留酒ができあがる。これはこれで、独特の風味があって面白いお酒だな。これをラム酒と命名しよう!」
どうしてラム酒って名前なのかよくわかないけど、似合っている感じがしていいと思う。
「シオゴーさんは、今みたいに暮らしていると楽しそうですね」
「記憶がないからよくわからないけど、こうやって暮らしていると性に合っているのかもしれない」
もしかしてシンゴーさんの記憶が戻らないのって、バウマイスター辺境伯としての生活が過酷すぎて、本能が記憶を戻したくないと思っているのかも。
そんな風に思った私は、密かにリーアとミンファ三人で相談を始めた。
「もしシンゴーさんの記憶が戻らなかったら、この村にずっといてくれるのでしょうか?」
「それは嬉しいけど、バウマイスター辺境伯家が困るのでは?」
「あっ、でも、リーア。バウマイスター辺境伯様には奥さんと子供たちがいるから、シンゴーさんの記憶が戻らなくても気にしないかもしれない」
「ミンファ、それはどういうこと?」
「シンゴーさんの正妻からすれば、もう跡取りはいるからシンゴーさんがいなくても構わないって思うかも。貴族の正妻なんて政略結婚だから、実家の都合で動くことが多い。バウマイスター辺境伯がいなければ、バウマイスター辺境伯家を自由に差配できるから」
「シンゴーさん、そういうのが嫌だったのかもしれませんね」
「どんな奥さんなんだろう?」
私たちの脳裏に、夫婦の愛情など微塵も感じていない冷酷そうな奥さんの姿が思い浮かんだ。
「私たちにも打算がないとは言わないけど、このままシンゴーさんの記憶が戻らず、この村で自由に生きていてほいしと思う」
「そうだな、昨日の巨体の魔法使い。多分、シンゴーを虐めているんだと思う。魔法使いっぽい格好だけど、どう見ても魔法が得意そうに見えないから、年下なのに優れた魔法使いであるシンゴーに嫉妬して……」
「それはありそうですね。シンゴーさんはバウマイスター辺境伯で、魔法使いとしても優れていて、とても優しくて、時おり子供みたいに狩猟、採集、魔法でのお酒造りに集中して可愛いところもあって、あの巨体とは大違いだから」
「今はシンゴーの記憶が戻らないことを祈りつつ、もしそうなったらこの村に残れるように村長や父に頼んでおこうと思う」
「私もお父さんに頼まないと」
「私も父に頼むぞ」
そんな話し合いのあと、シンゴーさんの記憶が戻るまで村に滞在すると言っていた四人だけど……。
「昼間から酒を飲んでもなにも言われない。バウマイスター辺境伯様様である!」
「無理強いはできないからな。俺たちは、しばらく辺境伯様の様子をしっかりと見ていないと。お姉さん、このラム酒を果実で割ったやつをおかわり! 辺境伯様、記憶がないといい酒を作るなぁ。このままでいいような気がしてきた」
例の魔法使い二人は、昼から酒を飲みまくっていた。
シンゴーさんのことは心配じゃないの?
「エルヴィンもバウマイスター辺境伯家の重臣なのだから、定期的に各所に連絡を取りつつ、持ってきた書類をよく読んでサインをしてくれ。お館様がいなくても、バウマイスター辺境伯領を統治する仕事は止まってくれない。お館様の記憶が戻るまでは、拙者たちが頑張るしかないのだ」
「うう……。わかりました……。導師とブランタークさんはいいよなぁ……」
イケメンの家宰さんと、実はバウマイスター辺境伯家の重臣だと判明したシンゴーさんと同年代の男性は、宿の部屋で書類を決裁しながら魔導携帯通信機であちこちと連絡を取って忙しそうだった。
「真逆の二人だな」
家臣の人たちはいい人なのかも。
そしてそれから数日経ったけど、やっぱりシンゴーさんの記憶は戻らなかった。
でも本人は、この村でマイペースに楽しそうに暮らしている。
「この廃糖蜜に魔法をかけると、なんと白い粉が! ですが、これは砂糖ではありません。この白い粉を少量……あまり入れすぎないで!……料理に入れると、なんと料理がとても美味しくなります。そこを行く奥さん、このシチューの味を確認してみて」
町の往来で、ラム酒作りに使っていた廃糖蜜に魔法をかけて謎の白い粉を作り、それを大鍋で温めていたシチューに振りかけ、偶然と通りかかったおばさんに試食させた。
すると……。
「具材が少ないのに、とても美味しい! これは魔法の粉なのね!」
「はい、この旨味調味料があれば、どんな料理も必ず美味しくなる。さあ、今回はお安くするよ!」
「買うわ」
「俺にもくれ」
「私も!」
シンゴーさんは、今日も謎の調味料を魔法で作って大人気を博していた。
この光景を見ていると、シンゴーさんはこのまま記憶が戻らない方がいいのかも。
そしてその時は、私たち三人で彼を一生支えていこうと強く決意sたのであった。
「早朝からの一杯は最高である!」
「これも辺境伯様の記憶が戻るまでだから。お姉さん、樽で熟成したラム酒を炭酸水で割ったやつを一杯!」
「ところでアイシャ、この二人はなにをしに来たんだろうな?」
「ええと……よくわかりません」
「シンゴーさんは、この二人を反面教師にして魔法を極めたんでしょうね」
この二人、本当に魔法使いなのか段々と疑わしくなってきました。
シンゴーさん、よくこんな人たちとつき合って……だから記憶が戻らないんでしょうけど……。




