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人は死後、天国か地獄に行くという。
『仮想空間』なる、意識完全没入型のネットワークが登場するようになった科学万能時代。未だに、否、そんな時代だからこそなのか、都市伝説となってまことしやかにうわさされているのが、電子幽霊。
いわゆる、ワイヤードゴーストだった。
意識体という魂そのものを具現化したようなものがあればこそ、それは現世のようでもあり、死者の楽園のようでもある。
それは、仮想空間上での『死』を現実でのものとして受け入れられない者が作った『異端』なのかも知れないが、そんなものを信じてしまうほどに、あっさりと何事も無かったかのように仮想での死は起こり得る。
肉体はほとんどそのままに、意識のみが刈り取られ、眠るように逝く死に様は、夢と現を誤認させる。現実で死んだ者が楽園や地獄に召されると言うのならば、仮想で死に仮想で蘇った彼らは、一体どこから来て、どこへ向かうと言うのだろうか。
そして、ここはそんな狭間の世界の一端。
どれだけの始まりと終わりがあっただろうか。
幾千、幾万の出会いと別れを繰り返して、二人はそこにいた。
「やっと、会えた」
青年の頬には歓喜の涙が流れ、声無く震える。
「……私の声が聞こえますか?」
明に呼びかける水月の声が静かに響き渡る。
「聞こえているよ、君の声が」
「ふふ、夢ではないのですね」
「ただいま、愛しい人」
穏やかな笑顔で彼はいう。
「お帰りなさい、私の愛しい人」
微笑を浮かべて白い少女は答える。
「「愛している」」
重なり合った声は、ただ闇へと融けていく。
「こんなにも、簡単なことだったんだな」
「死者を生き返らせるんじゃなくて、貴方自身が死者になっても再会は叶うもの」
シロエが創り出したのは、絶対に負けないための『教皇』ではなく、どうあっても彼らが再会するための願いだから。
「これは貴方自身の戦いであり、願いなの。望む未来を手に入れるための境界」
狭間の意識は、統合され一つに溶け合っていく。当代最強の戦士戦闘データを全て受け継ぎ、次の戦場へと向かう。
「そうだな、俺の戦いは終わったよ。だから、今度はお前の番だ。頑張れよ」
***
すべては、戦いに敗れた新城明の魂を黒木愛が空の器だった『教皇』の中に転送したことがきっかけだった。仮想空間内での時間的移動をした彼は、未来の情報と最高の肉体を以て、創造主たるアハリ・カフリに挑む、はずだった。
自らが、勇者として魔王を討つ為に鍛え上げてきたアティド・ハレは敗れた。
勝者は、最奥にある闇を見つめる。
玉座の間で青年の前に居るのは巨大な魔物だった。
王を喰らい、神さえも喰らうという悪の根源。
強者を強者が喰らい、より高みに登ることを強制された世界で両者は戦い、今日まで生きてきた。
今ここで二人が対峙するのは、偶然ではなく、あるいは、必然なのかもしれない。
「待っていたぜ、お前は俺を楽しませてくれるのかい?」
漆黒の悪魔は笑う、誘う、昂ぶる。
「戦士としてお前を倒す。ただそれだけだ」
青き機械の装飾を纏った青年は、その手に白銀に輝く剣を掲げる。最強の戦士から継承した記憶は、彼への殺意を消し去った。
憎い者を葬り去った抑えようのない歓喜の後にやってきたのは、絶望。
この世界は、初めから狂っていたのだ。
仮想が始まったその日から、仮想以外のすべては炎の中に葬り去られた。ここは、宇宙を漂う箱舟の中なのだ。
なるほど、その事実を認識してしまった黒木智樹は狂ってしまったのだろう。不完全な記録の檻の中に閉じ込められ世界が既に滅んでしまっているなどとは、誰も信じたくない事実なのだから。
だが、それでも諦める訳にはいかない。
偽りの安寧に身を沈めてしまうくらいなら、絶望的な現実に立ち向かう。
不器用でどうしようもない、それが自分の生き方なのだから。
「くくくく、それにしてもお前がくるとは。だが、できるつもりか? この世界の神さえも喰らったこの俺を殺すことが」
アハリ・カフリの本体の意識との統合を果たした際に、生き延びた人格としてここにいるのは、ニクム・ツァラー。 悪魔は嘲り、決意を問う。
陽炎のように揺らめく黒き魔物の姿が波打ち、獣となったかと思えば、竜となり悪魔へと姿を変えていく。その姿は、あたかも内に秘めた獣を押さえ込むかのようにも映る。
「だが、お前は造物主ではあっても神ではない。それに御託はいらないだろう」
妖精の戦士は、静かに、そして、強く言葉を紡ぐ。
「始めよう、これが最後の戦い。審判の時だ」
黙示録の獣は鳴らす、終末の鐘を。
「なら、神話の通り朽ち果てろよ。憎しみの根源が」
戦士は、揺るがぬ決意を胸に言い放つ。
「憎悪と共に我が名を叫べ、憤怒と共に我を殺せ。我が名は災厄、ニクム・ツァラー」
悪魔は望む、その敵として存在することを。
「他の誰でもない、新城明としてお前を倒す」
この戦いに意味などないのかもしれない。
だが、それでも今は彼女の意思に従おうと思う。
駒としてではなく、一人の人間として目の前の敵を倒したいと願う自分がいた。
シロエ・ロートシルト。
天宮水月が彼女の一部であるように、彼女もまた天宮水月の一部なのだから。