6-2-4 negotiation
「やはり、戦闘は避けられなかったか」
転送によって、ウィザードと隣接する座標に移動したフェアリーから明が言う。
「すまないね。ただ、私以外の誰かが交渉にいった場合は、最悪全面戦争になっていたかもしれない」
もちろん、セルゲイは滅びの美学など持ち合わせてはいない。
だが、戦力の分析については必ずしも正解を選び続けているわけでもない。
内部の分裂を理由に『電研』と『黒の旅団』に一定程度のダメージを与えられると踏んで攻撃を仕掛けてくる可能性は十分にあった。
しかし、組織の一部に対して短期的な勝利をすることはできても、戦闘の口実を与えてしまい、その後の敗北は必至だ。
賢明な選択をするのなら、戦わないこと以外に選択肢はないはずだった。
「彼自身の思考や選択はどうあれ、末端に至るまで指示が行き届くかどうかは別問題だからな。単なるつゆ払いをしたつもりが、それを理由に動いてしまう人間はどちらの組織にもいるだろう」
「良くも悪くも、私が主導するのならこれは試合という枠内で収まる。もちろん、命を賭ける部分は同じで、結果として命を失うかもしれない。だが、勝利を得るために相手の命を奪うことにはならないはずさ。君には甘いと言われるかもしれないけどね」
「友人なのだろう? できるのならば、助けたいというのは正常さ。ロジカルにしか考えないのなら、正しくはないがな。情報と照らして損になるからと、あっさりと人を殺す方が余程狂っているさ」
「ありがとう。今回は、君の好意に甘えさせてもらうことにするよ。だから、私がこの手でセルゲイ・ロマノフを制圧する」
「それ以外の敵は、私達が引き受ければいいんだね」
ウィンディーネがウィザードの脇を固めるように槍を構えて出現する。
「面倒な役割をさせてしまったね。だが、頼りにしているよ」
「大丈夫、勝つのは私達だから」
「そうだな、勝つのは俺達だ」
呼応する言葉に感じる信頼とわずかに覚える嫉妬。
「「私達こそが勝者になる」」
鏡の中にある黒いものが魔女の思考と一致する。
何度も助けられていたのに、その思考を拒絶していた。
認めていなかった彼女の中にある闇。
だが、それも含めて自分なのだ。
過ちなのは知っている。
だが、彼女もまた私なのだろう。
なればこそ、受け入れよう。
(そう、私はクロエではなく、黒衣。影が前面に出るべきではないと思っていた)
(でも、貴方は私自身なのでしょう? おそらくは、未来の自分)
(やっと、理解したようだね。私こそが、神代鏡の影であり望んでいた光)
(でも私は、未来で死んだ。死んだはずだった)
(何の因果か私の意識は、過去の時点へと飛ばされた。同じ時間に多重に存在することはできなかったから自分自身を受け入れ先に指定されたうえで)
(自分自身がやり直すことはできなかったけど、私を支えることで結果的に自分自身が救われるように動いていた?)
(本来クロエとしての私は、ここにいるべき存在じゃないからね。でも、おかげで気付いたこともある)
(この世界そのものに、自分を含めて多くの異物が混入している、とでも)
(今の私なら、黒木智樹が絶望して狂ってしまったのも理解できる。地面だと信じていたものが実は薄い氷の上だったと理解したときのような恐怖)
(抽象的ね)
(私を融合を果たせば、すぐにわかるさ。何にせよ、私は貴女であり、貴女は私。それだけのこと)
(人生をやり直したいだけなら、私の意識を奪えば済む話だもね。今は、貴女を信じることにした。だって、貴女は私自身なのだから)
(今は、ただ信じてくれればいい)
(委ねるわよ)
(受け入れなさい)
意識が溶け合い、混ざり合っていく。
避けがたい絶望、嘆き苦しんだ日々が流れ込んでくる。
それは、彼女自身が歩んできた歴史だ。
「行こうか、その先にある未来をつかむために」
戦場を駆け抜けていく一陣の風。
ただ一直線に大将首へと突き進んでいく。
射線を誘導し、すべての手駒を同時に動かしつつ戦場を蹂躙していく。
「これが、本来の『神の眼』と『共感』の使い方。これが『魔女』と呼ばれ恐れられていたクロエの力」
その二つのアビリティで相手の情報すべてを筒抜けにしつつ、『共感』によってすべての駒を同時に動かし、そして、変化していく戦場を『神の眼』によってリアルタイムで確認していく。
個人での戦闘力に目を奪われてしまっていたが、彼女の『魔女』としての能力は本来、対群でこそ活かされるべき力だ。何重にも重なり合った思考を同時にこなす、驚異的な並列処理が彼女にはできるのだから。
「違うね。これは、神代鏡自身の力だ。ただ、貴女はその力を行使しなかっただけ」
クロエとしての彼女が行動して後天的に獲得したアビリティやツールコードではない。あくまでも、彼女自身が獲得したすべてだ。そして、未来の自分が得た力ならば、いずれは彼女自身が到達できるものなのだ。
「恐れていたのかもしれない。自分自身を」
戦場でマクトを圧倒したあの力は、自らの内から発せられたものだったのだと理解してしまうことを。
戦場に飛び交う無数の弾丸をもろともせずに突き進む、『共感』でつながった数十の手駒と共に。
今までは、目の前の戦場に対して最適な行動をすればいいと思っていた。
だが、更に効果的な手段は、戦場自体を自分自身が望むものへと作り替えていくことだと気が付いた。
最適解を選び続けるのではない、行動した結果を最適解にしてしまえばいい。
それは、今の彼女自身の思考とセルゲイの思考の決定的な違いでもある。
「もはや、大勢は決した。降伏してくれ」
古城を背にしたエンペラーに大剣を突き付ける、ウィザード。
「もう引けぬさ。引き金を引いたのは私なのだから」
一体この数分間でどれだけの友軍が倒れ伏したのだろうか。
早すぎる戦況の変化にセルゲイは、情報の整理すら追いつかないでいた。
「万全を期した布陣、連絡用のルート。変化していく戦場に合わせた複数の作戦が一瞬のうちに食い破られた。それでこそ、神代鏡だ」
「力を見せつけたうえで、圧倒する。これしか選ぶことができなかった。純粋に知恵を働かせ知力と武力を競い合う、そんなことができる余裕がないくらいに君は強かった」
チェスや将棋の盤面の変化を追っていくような読み合いはなかった。ただただ、一方的に結果を押し付けていった。そういう戦場だった。
あたかも用意された棋譜を辿っていくだけの作業のようですらあった。
「私が知りうるすべてで、君を倒すのに十全な準備をしたはずだった。過剰とさえ思っていた。だが君は、天才は、一瞬でその差を抜き去り、そして、君が上回った」
「天才、か。そんな御大層なものではないと思うんだがね」
もし神代鏡がそうであるのならば、未来の悲劇は防げたのかもしれない。
他人がそれをどう評価するかは別として。
「決着をつけよう、戦いを終わらせるために」
ビットは軒並み串刺しにされ、手元にある武器は奇しくも互いに一振りの剣のみ。
「ありがとう、友よ」
二人は交錯し、皇帝は魔術師の腕に抱かれるのだった。
何とか今月中の更新にこぎつけました。