5‐4‐4 Regret
テラスの真下で神代鏡は後悔していた。
(『魔女』って言われているのも納得だわ。あの女)
彼らより先に外に出て、風にあたっていた彼女の真上で偶然に発生したやり取り。
彼女たちの気持ちは、知っていた。
知ってその上で、今回という機会を妨害し明を奪い取ることも考えた。
でも、しなかった。
おそらくは未来の情報を持っている『魔女』の言葉を信用したから。
結果的に、水月自身から、自身の手を汚さずに恋敵を排除してくれる流れを教わったことになる。
きっと、それほど深い関係になる前に水月はいなくなり、悲しみにくれる彼を慰めればそのまま望む未来が手に入ることになる。
あるいは、『魔女』は何もできなかったからこそ、何もしない方がうまくいくといったのかもしれない。
でも、その未来は、親しい人と引換えになる。
あるいは、抗って違う道を勝ち取ることも選択なのかもしれない。
少なくとも、助けられた時の天宮水月は、その場の流れに身を任せるのを認めなかった。
あくまでも公平に相手に選択させようとした。
だが、今回は条件が違う。
『教皇』は、まともにやり合えば確実に負ける相手だ。
しかし、それと同時に目的以外には興味を示さない相手でもある。
関われば自分と友が死ぬ、関わらねば友が死んで終わり。自分が関わって何ができる相手でもない、何もしなくても咎められることもない。まして、自分はそのことを知らないはずであり当事者でもないのだ。
(それとも、何も知らぬままに望んだ未来が望まぬ形で実現したからこそ、なし崩しの方がうまくいくと言う言葉だったのかな)
他人の考えなどわかるはずもないが、何かを経験したからこそ言葉にして伝えられたのだろう。だが、今回に限っては、堂々巡りの結論は変わらなかったはずだ。
何も知らぬまま強引に関係を迫っても後悔したろうし、知った上で何もしないとしても後悔する。
なぜなら、今回の問題については、事実上選択できる未来は存在しない。
どんなことをしても、『教皇』が天宮水月を殺すことが防げないという部分が固定されている以上根本的な解決が存在しないからだ。
その意味で、自分が取ってしまった行動はジャックポッドと言ってもいいだろう。
水月の気持ちを伝えさせ、その上で明の気持ちを高め、結果として消せない傷を与える。
落ち込み、弱っている相手に貴方は悪くないと囁き、慰めているだけで自分も友を失った被害者でありながら略奪愛を確実に成功させるのだ。
(笑うしかないって、こういうことをいうのかな)
柱にもたれ掛かりながら、鏡は笑う。
こんなことならば、何も聞かなければ良かったと思う。
結局、未来は変わらないのだから。
「あはは、はは、ははは」
消えていくような声で、
静かに空気を吐き出していく。
彼女のその微笑みは、
勝利の歓喜であり、
敗北の嘆きでもあった。
月に輝く涙さえもが、
麻薬のような暗い高揚感をもたらしていく。
「涙に濡れ、悲嘆にくれる顔さえも貴方は美しい」
御堂風雅。彼が言っている言葉は、いつも冗談じみてはいるが本来の意味を失ってはいない。
「女の泣き顔を愛でるなんて、随分と悪趣味ね」
昂ぶっていた感情が夜風にさらされ、冷めていく。
「自分が好きな相手の表情がどう変わろうと、好きであるという事実が変わるわけではないでしょう」
笑っている顔も、泣いている顔も、怒っている顔も、本人が本人であることを否定する材料にはなりえない。風雅の考えは、歪んではいるが、純粋でもある。
「はあ。私も大概だけど、貴方も難儀な相手を好きになってしまったのね」
「貴女様ほどではありませんよ。それに、私の方は、恋をしている貴女に惚れてしまったので、この願いが叶うとはあまり思っていませんからね。もちろん、私に惚れていただくのが理想的ではありますが」
「まあ、身分の壁を超えて婚約を果たした主人に仕えている貴方からしたら、この程度は障害でもないか」
倒産寸前のグループ企業を立て直し、一族の頭首になってその娘との愛を勝ち取った三島平治こと現、天正院平治のサクセスストーリーの例もあるので笑うに笑えない鏡。そんな主人に仕えている彼らからしてみれば、愛というものは、それだけでどのような障害も突き破れるものであるかのように写っているのかもしれない。
「そもそも、障害があるから諦めるようなものは、最初から愛ではないのですよ。障害があろうがどうしようが抑えきれない感情が愛なのですから」
「あなたに言わせると世の中の九割方のカップルは不純なのね」
「美人だけど借金があるから嫌だ、金はあるけどブサイクだから嫌だとか、そもそも何様のつもりなのだと言いたいですがね。瑣末なことにこだわって、肝心な相手そのものを全く見ていない。私には、どこかパラメータの調整作業のようにすら写りますよ」
「私も大概歪んでいるとは思うけど、貴方には私がどうして魅力的に思えるの?」
他人任せとはいえ、恋敵を排除することを厭わないような残酷さを持った神代鏡という人間のどこに魅力を感じたのか、疑問に思った。
「貴女が諦めていないからですよ。障害を取り払ってでも、ただ真っすぐに相手だけを想うことができる人間はそれだけで尊いものです。そのための努力をしないで結果だけを求める多くの人間とは違う」
「そんなことをしても想いの分だけ後悔は募るし、自分自身が嫌になるけどね」
月が雲に覆われる。
暗い天井を見上げる神代鏡のその顔には、どのような感情からなのか微笑みが浮かんでいたのだった。
エタルとか思われそうなのでそろそろ更新。
すげー遅れてすいませんです。はい。