5‐4‐2 Regret
「えー、本日は、遠路はるばるこのような僻地に来ていただきありがとう……」
晩餐前の定型文のような挨拶をする明を鏡が遮る。そして、マイクを奪い取り一言だけで要件を済ませる。
「いただきます。これでいいんだよ」
「どうせ身内しかないなしね」
付け足すように水月が言う。
「それもそうか。改めて思おうが、水月って、お嬢様だったんだな。衣装を変えただけでこうも印象が変わるものとは」
普段、ジャージ姿か制服を着ているところばかり見ていた明には、ドレス姿の水月は新鮮に映っていた。どちらも彼女の一面であるが、むしろ、こちらの方が本来の天宮水月の姿といえるだろう。
「でも、明は、綺麗なドレスを私が着ているから見ているんじゃなくて、私が綺麗なドレスを着ているから見ているんだよね?」
意識の問題なのだろう。
ふとした瞬間には、もう明の目の中に納まっていた。
きっと、美人と言われる人間が華美に着飾っていたとしても、あるいは、人間以上に華美な装飾を身にまとった誰かがいてもこうはならなかった。水月の言うように、彼女がこうして着飾っているからこそ惹きつけられた。
「まあ、そうとも言えるな。俺には、女の服の事はよくわからないからな」
きっと、数万円の服を見ても、有名でデザイナーが作ったオートクチュールを見ても同じような感想しか言えないだろう。彼女が着ているからこそ、惹きつけられたのであり、見とれてしまっていた。
「服には興味がなくて私に興味があるなんて、明ってば。そういうのは、夜まで待っていてね」
「既に夜だが、そこまでは言っていない。改めて、可愛いとは思ったがな」
天宮水月を形容する言葉に、美人という言葉はあっていないように明は感じた。そもそも顔が少女然としているので美人というよりは美少女であり、美しいというよりは可愛いという印象を持っていた。
「着飾っても、美人とは言ってくれないんだね」
白い花のようなドレスを見せつけるようにくるりとその場でターンする水月。ただそれだけの動作で彼女は、この場を支配した。
風に舞い散る木の葉のように踊る髪。
流れる髪からふわりと漂うバラの香り。
水面に広がる波紋のようにたなびくスカート。
靴が床を鳴らす足音さえも美しさを縫い付けるかのように調和を成していく。
伏せた目を開くと人を魅了する微笑みがそこにある。
「これは、女性から見ても美しいですわね」
目を伏せて扇で口元を覆い天正院が絞り出すように言う。自分自身に不満がある訳ではないが、それでいても負けた、と思わせる魅力がそこにあった。
「なるほど、噂とは尾ひれがつくものと思っていましたが、むしろ的確に状況を伝えている場合もあるのですね」
社交の場に同席することの多い風雅から見ても美しいと思った。客観的に見て自身は相当に目が肥えていると自覚していながらも。
「あと20キロ程重ければ俺のタイプだったんだが」
とはいえ、美醜というものは主観に依存する。美しくのだろうとは思いつつも、雷雅の好みからは外れていた。
「むしろ、こっちが本来の天宮水月、と言ったところなんだろうな。まあ、今の俺には縁しか目に入らないがな」
一歩脇に移動して縁と正面から見つめ合うようにする平治。水月を背に正面に縁がいるので確かに彼女しか目に入っていない。やっていることは完全にコントであるが、光速で二人の世界に入り込んだ彼らにはあまり関係ないようだった。
「私が魔女なら水月は女神か聖女様だね。浄化される気分だよ」
「馬子にも衣装とは言わないんだね、鏡」
「他人を悪く言うことは、自分自身の卑しさを認めることだからね。美しさに嫉妬したとしても負けたくはないからね」
「鏡のそういう真面目なところ、好きだよ、私」
黒のスーツ姿の鏡と白いドレスの水月。背の高い鏡と背の低い水月の二人が並ぶと映画のワンシーンのようにも映る。
「美形が二人いると姫と王子でも見ているようだな」
「私と水月が姫と王子なら君は、馬か何かかい?」
そうは言いつつも鏡自身理解していた。今この場での主賓は誰で、自分自身の立ち位置が一体どういうものなのかという事を。水月以外の何もかもが彼女の添え物に過ぎないという事を。
「それだと鏡は、姫の恋路を邪魔して馬に蹴られる役回りだよね」
それは、偶然が作った、ただの言葉遊び。
彼女の言葉には、皮肉も邪魔者を排除する意図もなかった。
それでも鏡には、役者が違うと感じられた。
「はは。そういうことなら、ここは姫の仰せのままに、ってね」
大仰に跪き、パーティーの風景の中に溶け込んでいく鏡。
今は道化を演じて、この場を立ち去る。
あとには、奇しくも水月と同じバラの香りだけをほのかに残して。
そう、いたずらに流れに逆らうことが全てではないのだから。
「ねえ、明。私は、貴方が望む私になれたかな?」
そこにあるのは、全てにおいて如才ない完璧な令嬢の姿。
明の目に映る彼女は、そんな完全さをあっさりと捨て何事にも頓着しない気楽さも持ち合わせている。そこに彼女の本質があった。
過去において、彼女は音楽という舞台で一角の人物になる前に舞台から降りた。
彼女自身が持つ才能の限界に気付き諦めたのではない。
瞬時に審査員という相手の心理を見抜き、最適解を選び続けることに嫌気がさしたのだ。膨大な過去の資料から傾向を分析し、適切な訓練を重ね必然としての結果を勝ち取り続けることに無意味さを感じていたのだ。
「どんな姿でも、水月は水月だ。だから、俺が望む姿があるとするなら、ありのままの君がそこにいてくれればそれでいい」
それは、水月がずっと望んでいた答え。
誰より何よりも彼自身の声として聞きたかった言葉。
相手が望む姿としての天宮水月ではなく、ありのままの自分自身を認めてくれる存在。
水面に映る光り輝く月としての自分ではなく、光に照らされなければただの石である月あってもいいという明が好きだった。
「大好きだよ、明」
言った後に後悔した。
あふれ出した感情は止まらない。
涙にぬれた笑顔だった。
朝露のように目元を彩った水滴は、光を受けてうっすらと輝く。
そんな顔を見せたくなくて、水月は明の胸に飛び込んだ。
「俺も大好きだよ、水月」
垣間見た笑顔は、明がこれまでに見たどんな笑顔よりもきれいだった。
小さな肩をそっと抱いて明は語り掛ける。
彼女の望む言葉を。
「ずっと我慢してたんだよ」
涙と流れ出した感情は言葉と共にあふれ出す。
その言葉は、唐突な告白のようにも、とても長い間待っていたようにも聞こえる。
明はきっとどんな彼女も許しただろう。
流れに身を任せ、強引に愛し合うこともきっとできただろう。
でも、そうはならなかった。
彼女自身が公正でない自分を望まなかったから。
「貴方が望む私になりたかった。でも、貴方は私に何も望まなかった」
誰かが望む自分になりたくなかった水月が、誰かに望まれたいと思い、そして、望まれないことを望まれた。
「貴方の心がわからなかった。望むばかりの私が嫌になった」
(貴方の近くにいたい)
(貴方の声が聞きたい)
(貴方の心が知りたい)
「望まれさえすれば、私はまた完璧に演じられる。相手が望む答えを提示し続けることができたはずなのに」
(それしか私は知らない。そうすることでしか、相手に評価してもらえなかった)
「そうして俺が何か言ってしまったら、それは天宮水月じゃあないからな。天宮水月が演じている別の女性だよ」
「好きになってもらえさえすればそれでよかった。こんな気持ち初めてだった」
「状況を楽しんでいる私がいて、悔やんでいる私がいて、流されて、結局、何もできなくて。それでも今度は、後悔だけはしたくなくて」
そして、感情は決壊した。
もともと彼女は、強くはないのだ。
ただ、強くあろうとして強い自分を演じようとすれば、完璧に強い自分が演じられてしまうというだけで。
「これじゃ、食事どころじゃないな。テラスに行こうか」
「うん」
女性に関しては、服の良し悪しも困った時の扱い方もよくわからない明だったが、泣く子の手を引くことぐらいはできるのだった。
九月中に更新間に合わないですいません。




