健人の好きな仕事
お昼過ぎのテレビ局ロビーは意外と静かだった。
一時からのスチール写真撮りには健人に同行するため、雪見は一人で
ロビーの椅子に腰掛け、健人たちが降りてくるのを待っていた。
膝の上にはドーナツの箱と、さっき買ったばかりの『ヴィーナス』が乗っている。
健人と今野がお腹を空かせてるだろうと、お昼ご飯になりそうな物を
チョイスしておいた。
後はロビーの自販機から飲み物を買って、車に乗り込めばいい。
所在なさげに窓の外を眺めていると、突然「あのぅ、すみません!」と
横から声を掛けられた。見てみると斜め前に座ってた受付嬢の一人だった。
「あのぅ、もしかして浅香雪見さんですか?」と聞いてくる。
見覚えの無い顔なのに私の事を知ってるなんて…。
「はい、そうですけど…。あの、ごめんなさい!どこかでお会いしました?」
「やっぱりそうだ!」と彼女はもう一人の受付嬢に向かって手を振った。
訳が解らずきょとんとしてる雪見に向かって彼女は、笑顔で答えた。
「今朝『ヴィーナス』買って見ました!健人くんと写ってるやつ。
素敵なワークウーマンだなぁと思って、いっぺんにファンになりました!
私も猫が大好きなんです!
今日の帰りに浅香さんの猫の写真集、買って帰ろうと思ってたんですよ!
こんな所でお会いできるなんて、感激です。」
それだけ言うとぺこんと頭を下げ、また小走りに自分の持ち場に付いた。
雪見は、見ず知らずの人から掛けられた言葉が、耳に妙にくすぐったく
斜め向かいからの視線が気になって、顔を上げられないでいる。
『それにしても今朝買ったって…。あ、そうか、キオスクがあったか!
なーんだ!わざわざ本屋の開店を待ってなくても良かったんだ。』
変なところに雪見は感心している。もっとグラビアの反響に驚けばいいのに。
そこへ健人からのメールが届く。「今、どこ?」と一言だけ。
すぐに「一階のロビーにいる」と返信したら、「地下駐車場にいて」と
返事が。慌てて自販機で缶コーヒーを買い、すぐ階段で地下に降りた。
程なくして健人と今野がエレベーターで下りてくる。
「お疲れ様でした!」 「待たせちゃったね。何してた?」
車に乗り込みながら、健人が雪見に聞いた。
「ドーナツ屋さんで『ヴィーナス』読んでた!」と、ドーナツの箱と
缶コーヒーを健人に差し出す。
「やった!お腹ペコペコだったんだ。サンキュ!」
嬉しそうにドーナツを頬張る健人が、子供みたいで可愛い。
「今野さんもあとで食べて下さいね。」「いつも悪いね、ありがと!」
スチール写真撮りのスタジオまでは十分ほどの距離。
その間に健人は、ドーナツを食べつつも忙しく喋りまくる。
「ねぇ!『ヴィーナス』どうだった?見せて、見せて!
うわっ、凄いじゃん!こんな最初の方に見開きで載せてくれたんだ。
ゆき姉、めちゃ可愛い!やっぱ、思った通りだ!本職のモデルみたい。
さっすが、阿部さんは凄腕カメラマンだ!このゆき姉がこうなっちゃう
んだから。あ!次の写真もいいねーっ!俺あとで『ヴィーナス』買いに
行ってこよ!記念に取って置かなくちゃ。」
健人の機関銃のようなおしゃべりに、雪見は口を挟む隙がない。
やっとの事で、みんなからたくさんのお祝いメールをもらったこと、
さっきテレビ局の受付嬢から声を掛けられたことなどを話した。
つぐみちゃんからもメールが来たよ!とは伝えたけど、さすがに当麻の
事は言えなかった。もし万が一にもメールを見せて!と言われたら…。
「ところで顔合わせはどうだった?」と、素早く話題を切り替える。
あれこれ話し込んでいるうちに、あっという間にスタジオ到着。
ここからは雪見も仕事開始だ。
カメラマンと打ち合わせ中の真剣な横顔、撮影の合間に見せたホッと
一息ついた時の笑顔。ヘアメイクさんに髪を直してもらってる最中の
おちゃめな顔!
毎日のようにファインダーを覗いていても、二つとして同じ表情はない。
写真選びに苦労するだろうなぁ、と思いながらシャッターを切った。
スチール写真撮りもその後の取材も、時間通りに進んで無事終了。
あとは当麻のラジオにゲスト出演を残すのみとなった。
健人はこの仕事を何日も前から楽しみにしていて、なにを差し入れに
持って行こうか、車の中で雪見とあれこれ考えていた。
「やっぱ、甘い物系かな?」
「うん。当麻くん、見かけに寄らずスイーツ大好き男子だもんね。
ラジオ局に行く途中に美味しいケーキ屋さんがあるよ!
ここのプチフール、小さくて可愛いくてめちゃ美味しくて、最近の私の
手土産ランキング一位かな?」
「それにしよう、それに!俺も食いたい!」
「あのね、当麻くんやスタッフさんへの手土産だと言うことをお忘れなく!」
途中雪見が車から降り、24個入りのプチフールを二箱買って出発。
ラジオ局へと急いだ。
当麻は、毎週金曜日夕方五時半から始まる生放送『当麻的幸せの時間』
というレギュラー番組を、もう丸二年担当している。
毎週一人ゲストを招き、その人なりの幸せな時間を紹介してもらったり
当麻の好きな曲やゲストの好きな曲を流したりと、三十分間思いっきり
当麻とゲストが幸せな時間を過ごす、というコンセプトで番組を制作している。
健人は多分、一番出演回数が多いゲストであろう。月に一度は出てると
思うから、ほとんど準レギュラーと言っても良いかもしれない。
なんせお互い全く気を使わなくて済むので、結構やりたい放題言いたい
放題なのだが、プロデューサーはかえってそれを面白がり、二人に好きにやらせてくれた。
と言うのも、健人がゲスト時のリスナーの反響が半端ではなく、いかに
この二人の人気が凄まじいものであるかを物語っていた。
たった二年で金曜日の看板番組になったのも、健人の功績があったから
こそと、プロデューサーは密かに思っている。
雪見も健人から面白い現場だよ!と聞いていたので、初めて目にする
当麻のDJ姿と仕事ぶりを楽しみにしていた。
いよいよ当麻のいる放送スタジオに到着。
「おはようございまーす!」と挨拶をしながら健人がドアを開ける。
スタッフさんが一斉に「おはようございます!よろしくお願いします」
と笑顔で頭を下げた。
当麻は大きなガラスの向こうの放送ブースで、プロデューサーと二人
真剣に打ち合わせ中である。放送開始まであと三十分。
健人も一応は打ち合わせに参加しなくてはならないので、厚いドアを
開けて当麻のいる場所へ入って行った。
雪見の到着に気が付いた当麻は、ガラスの向こうから最高の笑顔で
ピースサインを送った。
雪見は、まだ返してはいない当麻からのメールの返事を、この場所で
考えている。
でもすでに手にはカメラを構え、瞳は健人だけを追うプロのカメラマンになっていた。