緊急事態!
石垣空港から那覇空港へ、そこで羽田行きに乗り換えて到着予定時刻は
午後四時過ぎである。
窓の外の雲海を見ながら、さっきから雪見は考え事をしていた。
この左手首のブレスレットとお揃いの、青いピアス。
当麻は、借りたカメラのお礼だと言って雪見にそれをくれた。
なのに、なぜか健人には内緒だと言う。どうして?
ただのお礼なら、別に隠す必要なんてないじゃない。
健人だって、当麻がカメラを借りた事ぐらい知っている。なのになぜ?
ちょっぴり雪見に関して心配性の健人に、余計な心配をかけたくなかったから?
それとも…。考え事の途中で隣の牧田が雪見に話しかけた。
「ねぇねぇ!当麻くんたちと一晩、同じ部屋だったって本当?」
「え?あ、まぁ…。色々と事情があってね。あ!でもやましい事は一切
ないから!あれ?でもこの話、誰に聞いたの?」
「さっき空港でお土産見てる時に愛穂さんからメールが来て、昨日は
先に帰ってごめんなさい!のあとに書いてあったよ。
雪見ちゃんが教えたんじゃなかったの?」
牧田の思いもよらぬ言葉に、雪見は背筋がゾッとするのを覚えた。
「私、愛穂さんとアドレス交換してないもの!
竹富から戻って打ち上げの時に聞こうと思ってたから。一体愛穂さんは
誰から聞いたの!?」
雪見と牧田は顔を見合わせた。お互いの表情はすでに凍っている。
忘れかけていた新たなる攻撃が仕掛けられた予感を、二人とも同時に
感じ取ってしまった。やはり愛穂は敵であったのか…。
二人はただ無言で、今はその恐怖にじっと耐えるより方法がなかった。
羽田空港到着ロビー、午後三時半過ぎ。
そこには雪見の友人、香織の姿があった。
北海道の故郷から香織に会いに上京してくる母を、出迎えに来たところだった。
「なにこれ?ずいぶんな報道陣じゃない?それに出迎えてる若いコが
やたら多いのはなんで?誰を待ってるんだろ…。」
あまりにも人が多くて、母が自分を見つけられるか心配だった。
隣りにいた女子高生とおぼしき二人連れに聞いてみる。
「すいませーん!誰か芸能人でも来るの?みんな、誰を待ってるの?」
二人組は顔を見合わせ一瞬、『なに?このおばさん!』って顔をしたのを、
香織は見逃さなかった。
「斎藤健人と三ツ橋当麻!沖縄からの便に乗ってるんだって!」
「えっ!健人と当麻!?」
確か雪見も一緒なはず。真由子からメールがきてた。
『今、雪見んちで健人が拾った猫の世話をしてる。』って。
雪見が健人達との仕事で、一緒に沖縄に行ってるから、とも…。
香織が二人を名前だけで呼んだのを聞いて、またしても女子高生らは
少し眉間にシワを寄せてお互いの顔を見たが、それでもお構いなしに
香織は聞いた。
「なんで二人が沖縄から帰ってくるって知ってるの?」
「ツィッターで見た!三角関係のカメラマンも一緒だって。」
「そうそう!私は動画で三人を見たけど、なんかめちゃ仲良しな三人組
なんだよね。なに?この女!って感じ。こんなおばさんのどこがいいのか、
一目見てやろうと思って…。」
あんた達もいずれ三十代のおばさんになるんだよ!覚えておきなさい!
と言ってやりたかったが、香織はそんな度胸を持ち合わせてはいない。
真由子だったら、確実に食ってかかったことだろう。
三十代の、どこがおばさんなのよ!三十代が若い男を好きになって何が悪い!と…。
香織は急に心臓がバクバクし出す。ただ母を迎えに来ただけだったのに
思いがけない緊急事態に遭遇してうろたえた。
『なんて事なの!ツィッターに、動画まで流出してるなんて!
どうしよう!どうしたらいい?真由子に連絡?いや、それよりも先に、
なんとか雪見に知らせなくちゃ!』
次の便で帰ってくるとしたら、まだ今は機内にいて携帯は使えない。
ロビーに出てきてみんなに捕まる前に、何とかして雪見に伝えないと。
その頃、まだ何も知らない健人と当麻は、ぐっすりと夢の中にいた。
一晩中三人で語り合い一睡もしなかった二人は、座席に着くと同時に
深い眠りに落ち、それにつられるようにして横の今野も目を閉じる。
あと少しの時間で、大変な騒ぎに巻き込まれるとはつゆ知らず…。
「間もなく当機は羽田空港に着陸します。」
機内アナウンスに目を覚ました今野が、慌てて健人と当麻を起こす。
「うーん、よく寝た!」と健人はさっぱりした顔で伸びをした。
「今野さん、このあとのスケジュールは?」
今野は、真っ直ぐみんなで吉川の編集部に寄って、これからの予定を
打ち合わせした後に解散だと伝える。明日からはまた忙しくなるから
覚悟しておけ!とも。
「大丈夫!すっかりリフレッシュしたから、当分は頑張れます!」と
元気よく答えたが、そんな爽やかな顔も今のうちである。
那覇からの便が到着したことを掲示板が告げると、香織は急いで雪見に
電話をかけた。だがまだ通じない。切っては掛け、切っては掛け…。
そうこうするうちに札幌からの便も到着し、母が到着ロビーに出てきた。
「香織!久しぶり!元気そうで良かった。でも、さすが東京は凄い人
だね!あんたを探せないかと思った!」
お正月ぶりに会った娘に嬉しさ一杯の母であったが、香織はそれどころじゃなかった。
「ごめん、母さん!悪いけど大至急電話しなきゃならない所があるの。
電話終わるまでここにいてね!絶対いてよ!」
そう母に告げると香織は、リダイヤルしながら報道陣とは離れた場所に
移動した。
『早く繋がって!お願い!雪見、早く!……あっ!繋がった!』
「雪見?!」 香織は思わず大きな声を出してしまい、辺りを見回す。
それから周りに人がいない場所に小走りで行き、今の到着ロビーの状況
と、先ほど女子高生から聞いた話を早口で伝えた。
「嘘でしょ!」雪見は絶句した。一瞬、愛穂の姿が目に浮かぶ。
「どういうこと?動画が流出って!一体誰が…。」
いくつか思い当たる事はある。カイジ浜で、西桟橋で、高速船の中で。
ケータイを向けられてるような気配はしたが、いずれも愛穂ではない。
すれ違った人にケータイを向けられるなんて、東京じゃしょっちゅうな
事なので、沖縄の開放感も手伝ってあまり気にも留めなかった。
「このまま出てきたら、報道陣に確実に囲まれちゃうよ!どうする?」
香織が心配そうな声で、コソコソと話した。
「とにかくみんなに伝える!ありがとね!教えてくれて。また電話するから。」
それだけ言って雪見は香織からの電話を切る。
大変!早く健人くんたちに伝えなきゃ!