私は負けない
「あなた、ドアの貼り紙が読めなかったのかしら。
関係者以外立ち入り禁止、って書いてあるのよ?」
つかつかと真っ直ぐやってきたローラは嘲笑気味にそう言うと、キッと雪見を睨みつけた。
それだけで威嚇するには充分だったが、もう一人、ゆっくりと近づいてくる人が更に身体をこわばらせた。
もちろん、教室中の緊張がMAXになったのは言うまでもない。
不機嫌なローラは、いつだって皆に緊張を強いるのだが、それより何より、ハリウッドの象徴とも呼ばれる大スターが目の前に立ってるのだ。
誰が平然となどしてられよう。
ところが。
みんなの態度は思いのほか大人だった。
興奮に頬こそ紅潮させてはいるが、キャーキャー騒ぎ立てる者など一人もいない。
背筋をピンと伸ばし、大統領でも出迎えるかのように、にこやかに歓迎の意を表した。
『あらかじめ知らされてたってわけ…ね。了解。』
彼がローラの父親であるということも、当然了承済みだろう。
そう悟ると、なぜか雪見は肝がすわった。
となると、だ。
いま一番慌ててるのは、この場でもっとも部外者である優かもしれない。
逃げ遅れた侵入者のごとく「やっべ…。」と呟き、隠しようもない大きな身体を雪見とホンギの間に沈めてる。
その声は、静まり返った教室の中ではローラの耳にも届いたはずだが、幸か不幸か『あんたはどーでもいいのよ。』と言わんばかりの完全無視。
雪見から1ミリたりとも視線を外そうとしない。
「ローラっ!」
獰猛な犬の手綱をグイと引くように、健人が鋭く短く制した。
が、一旦唸りをあげた闘犬の気を静めるのはそう容易ではない。
「許可したのは私よ!」とミシェルが仲裁に入るも、よけいな事をと言わんばかりの目で睨み返され、あえなく終わった。
そこへロジャーが。
「ローラ!少し落ち着きなさい。
ミシェル教授、申し訳ない。娘が大変失礼なことを。
大役をいただいた重圧のせいか、二、三日前からずっとこんな調子なのです。
どうかこの未熟者を、お許しください。」
非礼を詫びつつも娘を擁護したのだが、当のローラはプイとあっちを向き、教室を出て行ってしまった。
「やれやれ…。」
溜息まじりに言ったあと、バツ悪そうに小さく苦笑いしたロジャー。
その横顔はスクリーンの中と違って情けなく、娘のわがままに翻弄される、ただの父親にしか見えなかった。
みんなは、見てはいけないプライベートを目撃したようで気まずかったが、ローラに手を焼くロジャーが同志にも思え、『心中お察しします。』と優しい慰めの眼差しを彼に向けた。
一方、とりあえずは回避された危機に、優と雪見はホッ。
だが安心してる場合じゃない。
ローラが戻る前に退散しよう、と目配せした時だった。
「み、みなさーんっ!
ロジャー理事長がお忙しいところを、わざわざ激励にいらしてくださったのよ。なんて素敵な日なのかしら。
理事長。もしよろしければ、この子たちに何かアドバイス頂けたら光栄です。」
気まずい空気をミシェルが慌てて掻き混ぜたのは明白だったが、ロジャーは「OK ♪」とウインク。
ひと呼吸置き、おもむろに腕組みすると表情がスッと入れ替わった。
「ご機嫌いかがかな?諸君!」
よく通る艶やかな声。
ハリウッドが生み出した無敵ヒーローの決めゼリフに、教室は大歓声に包まれた。
取り囲むみんなの弾けるような笑顔、笑顔。
ロジャーも大スターとしてではなく一先輩として、気さくに面白おかしく舞台前のリラックス方法などを伝授してる。
仲間たちと一緒に、嬉しそうに話に聞き入る健人。
その横顔にはもう、微塵の不安も感じられない。
『良かったね、健人くん。
絶対成功するよ。絶対に…。』
雪見は心の中でロジャーに礼を述べ、皆が沸いてるうちにそっと教室を出ようとドアに手を伸ばした。
が、後ろからロジャーに呼び止められドキッ。
「ユキミ。私もそろそろおいとまするよ。
では諸君!素晴らしい舞台を期待してるよ。またあとで会おう。
じゃ、行こうか。」
スッと背に添えられた右手が、突きつけられた銃口にも思えて身を硬くする。
でも負けない。
私は負けない。