悲しい嘘
二人で恋人記念日の祝杯をあげた翌日。
「あ、痛ぁ…。さすがに今日はヤバいかも。頭ん中、ぐわんぐわん鳴ってる。
二日酔いとか、ほぼないのに。」
「私も同じ。マスターに、してやられたって感じ。」
「お祝いしてくれんのは嬉しいけど、朝の四時までワインは、きっついわー。
結局、全部で何本空けたんだろ?」
「わかんない。まぁ、相当空けたことだけは確かだわ。
もっと早くに帰れば良かったね。
閉店時間までいたから、マスターに捕まっちゃった。
あぁ、今日の撮影は私もヤバい。ファインダー覗いても焦点、定まらないかも。
今野さんに叱られるから一応撮ってるフリはするけど、今日の写真は無しね。
健人くんのその目はまずいでしょ、写真に残したら。」
「俺って寝不足すると、すぐ目にきちゃうから困るんだよなぁ。
しかも花粉症も相当きてる。目薬差さないとヤバい。」
ドラマのスタジオ片隅でコソコソ話をしていると、チーフマネージャーの今野がやって来た。
「今日の仕事はこの撮影だけにしたから、これが終わったら二人で事務所に来るように。」
険しい顔してそれだけ伝えると、足早にどこかへ行ってしまった。
「うわ、ヤバっ!二人とも二日酔いなのがバレてる。今野さん、相当怒ってたんじゃない?
てか、このあと新聞と雑誌の取材も入ってたんだよ?
それをキャンセルしちゃうなんて、かなり怒ってる証拠だ。」
健人が言ったが、私は何かがおかしいと思った。
「ねぇ。今日のみんなの様子、なんか変じゃない?昨日までと空気が違う気がする。
だいたい、いつも健人くんの周りにはたくさんの人が集まってるのに、なんで今日は誰も来ないの?
おかしいと思わない?」
「そう言われてみれば…。」
二人は、正体の掴めない不安に周りを包囲されてた。
一気に酔いも覚めたものの、重たい気持ちで仕事する羽目になった。
その日の撮影が終わり、逃げるようにタクシーに乗り込む二人。
しばらく沈黙が続いた。
「なんだろね。絶対みんなおかしかった。誰も私の近くに来ないし話しかけてもこない。
なんか、みんなに無視されてた気がする…。」
私はうつむきながらそう言った。
健人もまったく同じことを思ったが、返事はできなかった。
「今野さんは私たちに、何を言おうとしてるんだろ…。
私、事務所に行くのが怖い…。」
膝に乗せたカメラバッグをぎゅっと抱え込むと、健人は私の肩をそっと抱き寄せた。
「大丈夫。俺が必ずゆき姉を守るから。どんなことがあっても必ず守るから。
だから大丈夫だよ。大丈夫…。」
健人が、自分に言い聞かせるように前を見てる。
私は健人の温もりを感じながら、もし困難が待ち受けてるのなら、自分も立ち向かわなければならないと覚悟を決めた。
健人の盾になるのは私でなければならない、と…。
健人の事務所に到着。
ビルの足元に立ち、二人で上を見上げる。。
「よし、行こうか。」 「うん。」
八階までのエレベーターの中。
二人は固く手をつなぎ合っていた。お互いの心を確かめるように。
八階到着の合図が鳴ると、二人はスッと手を離し表情を引き締めた。
健人が先頭を切って事務所の中を進む。
なぜかみんな、顔を上げようとしない。やっぱり変だ。
深呼吸してから、今野の待つ応接室のドアを開けた。
「失礼します。」
「おぅ、お疲れ。どうだった、今日の撮影は。
まぁ中に入れや。浅香さんも、どうぞ。」
二人並んで今野の前に腰を下ろす。
「ここに呼ばれた理由は解るか?」
心の準備が整わないうちにいきなり本題に入られ、二人は焦った。
だが、平静を装って健人が「いいえ。」と答える。
本当は「二日酔いの件ですか?いや久々に飲みすぎちゃって。」とでも言おうと思った。
が、どう考えてもそんな空気ではなかったのでやめにした。
「実はな。昨日の夜、週刊誌数社から問い合わせのメールが来てな。
それが、『斎藤健人と専属カメラマンが恋愛関係にあるという情報が入ってきたが、それは事実か』という内容だったんだ。」
「えっ!誰がそんなことを!」
私達は心臓が止まりそうなくらい驚いた。
すぐには次の声が出てこなかった。
「で、まずは本人に事実確認してからじゃないと答えられない、と返信しておいた。」
今野は健人から視線を外さずに、表情一つ変えないでそう言った。
「専属カメラマン、とは浅香さん。あなたのことですよね?」
まばたき一つせず、今野が私の目を見て聞いてきた。
ここで視線を外したら負け。
私はひたすら平静を装い、落ち着いて話すことに努めた。
「はい。たぶん私のことで間違いないと思います。」
「それでは。君たちが恋愛関係にある、と言う噂は本当なのか。あるいはまったくのデマなのか。
それを君たちの口から教えてくれ。事実…なのか?」
私は、心臓の鼓動が辺りに聞こえるのではないかと思うほどの緊張に包まれた。
健人もまた、追い詰められて崖っぷちに立たされてる絶体絶命感を覚えてた。
黙りこくる三人。
誰もお互いの視線を外そうとはしなかった。
しばらく無音のあと、健人が私の隣で「ふぅぅ。」と息を吐いたのが聞こえた。
「それは、事実で…」
「事実ではありません!ただのデマです。
私と健人くんは、ただの親戚。それ以外の何者でもありません。」
健人の言葉を打ち消すように言い放つ。
横顔を見つめる健人の視線を無視して私は、強固な盾であり続けた。
愛する人を全力で守るために。