その9 前半
12月に入ると街は少し騒がしくなる。
あちらこちらでイルミネーションがキラキラと輝き、店にはクリスマスセールなどのポスターが貼られていた。
一颯は流石にコートを羽織るようになり、おこめ探偵事務所に入ると最初にピッとピーを見るようになった。
ピーは暑いのも得意ではないが、寒いのはもっと不得意ということで一颯が入るとスッと背を向けて水を飲むという散歩拒否の態度を取るようになったのである。
坂路理沙はそんな一人と一匹を見ながら
「…一颯君とピーちゃんの心が手に取るようにわかるわ」
と心で突っ込んでいた。
しかし。
依頼はそれでも入ってくるのである。
出勤した一颯と七尾友晴に尾米正は笑顔で
「依頼人が待っているので対応お願いしますね」
とさっぱりと呼びかけた。
経営はするが探偵業は丸投げの探偵事務所の社長であった。
リショット
考えれば8月頃の黒崎茜の狂言爆破事件の際に山陰から七尾友晴がやってきて早4か月。
坂路理沙としては何時自分に帰還命令が下るかとハラハラしていたのだが…そう言う話が出ることは全く無く既にすっかり忘れている状態であった。
もちろん、一颯が『帰すつもりはない』と言ったことを彼女は知らない。
その為にそれに付随する山陰の益田家の思惑も知る由もなかったのである。
一颯は正の呼びかけに
「了解」
と答え、コートをハンガーにかけると簡易の応接室に姿を見せた。
そこに30代の女性が座っていた。
大きなウェーブが掛かった黒髪に艶やかなピンクの口紅が一颯の目を引いた。
彼女は立ち上がると頭を下げて
「貴方がこの事務所の探偵の方でしょうか?」
と告げた。
一颯は頷くと
「ああ、そうです」
と答え
「どうぞ」
と座るように勧めた。
そして、同じようにコートと身支度をした七尾友晴が来ると彼女の正面に座り
「それでご依頼は?」
と聞いた。
友晴は携帯で動画を撮り始め、メモを手にした。
女性は両手を組み合わせて
「あの、今朝のニュースは見られましたでしょうか?」
と告げた。
一颯は頷くと
「ああ、サラリとは」
と答えた。
女性は息を吐き出し
「私の名前は長柄圭子と申します」
長柄義一の妻です
と告げた。
一颯は「ああ」と声を零した。
正も友晴も一颯をちらりと見た。
理沙は少し考えるとキーボードの上の指を動かした。
つまり、理沙以外はピンと来たということである。
長柄圭子は視線を下げて
「私の夫が自宅の前で何者かに殺されて…警察には私が疑われているのですけど」
私はやっていないんです
と告げた。
一颯はソファに凭れ
「ただ夫が殺されたということで妻である貴方を疑う警察の事情も分かります」
と言い
「こちらへ来られたのはアリバイが無いということでしょうか?」
それで真犯人を見つけて欲しいと
と告げた。
圭子は頷き
「アリバイはあります」
夫が殺された一昨日の夜は友人と九州の福岡に旅行へ行っていて
「事件を聞いて戻ってきたんです」
と告げた。
一颯は腕を組むと
「でしたら貴方は警察の捜査対象から外れると思うので態々探偵を雇う必要はないかと」
と返した。
圭子は大きく息を吐き出し
「それが、警察はそれでも私を疑っていて…近辺を聞きまわったりしているんです」
と答えた。
一颯は少し考え
「つまり、アリバイがあっても疑われる…動機があるということですか?」
旦那さんとの間が上手く行っていなかったとか
と聞いた。
圭子は頷いて
「ええ、でも漸く夫が離婚に応えてくれようとしていたんです」
と告げた。
「だから、私には殺す理由はなかったんです」
一颯は頷いて
「なるほど」
と答え
「お受けしますが、俺は探偵なので依頼者の利益になることばかりではないことを理解しておいてください」
と告げた。
彼女は笑むと頭を下げて
「宜しくお願いします」
私の無実を晴らしてください
と告げた。
一颯は「あ」と言うと
「それで貴方が九州の福岡に旅行へ行ったときの宿泊施設の名前と同行していた人の名前をお願いします」
と告げた。
圭子は頷くと
「九州の伏流庵という旅館で親友の江坂裕子と福田加奈子の二人と行ってました」
これが写真です
と写真を見せた。
一颯は笑顔で
「では、これをお借りします」
調べましたら報告いたします
と返した。
圭子は立ち上がり
「宜しくお願いします」
と立ち去った。
友晴は一颯を見て
「それで九州の方へ行かれますか?」
と聞いた。
一颯は腕を組むと
「そうだな」
と呟き、ふっと笑むと
「その前にあいつに連絡しておくか」
と携帯を手にした。
友晴はそれを見ると理沙に向いた。
理沙は笑みを浮かべると
「島津春彦さんね」
島津家のご次男
と告げた。
友晴は「なるほど」と呟いた。
一颯は電話を入れて向こう側から応答があると
「ああ、久しぶりだな」
実は仕事でそっちへ行く予定があるんだが
「確か島津の配下に伏流庵ってあったな」
調べられるか?
と聞いた。
それに島津春彦は
「わかった、一色君が来る前に調べておく」
メールで情報をおくってもらえる?
と聞いた。
一颯は頷くと
「坂路から送らせるから頼む」
と告げた。
春彦は頷いて
「了解」
と答え
「みんなにも知らせておく」
顔見せくらいは出来るだろ?
と告げた。
一颯はふわりと笑むと
「ああ、仕事とは別で楽しみにしてる」
と答えて、通話を切った。
友晴はそれを見ると
「…なるほど」
一颯さまは元々九州にいて事件があって名古屋へと聞きましたが
「ご親友とは仲が良いようですね」
と呟いた。
理沙は笑顔で
「そうね」
何時もの一色君とは違うけど
「私は好きね」
笑い方
とさっぱり答えた。
一颯は横目で
「坂路に七尾」
聞こえてる
と言い、頬を染めながら
「アイツは特別だ」
と顔を背けた。
理沙は笑って
「照れてるー」
かーわーいーい
と軽く茶化して
「それで?メール送るわ」
と告げた。
一颯は圭子から預かった写真を理沙に渡し
「これと一昨日…12月16日の夜にいたかを調べるように言っておいてくれ」
と告げた。
理沙はそれに
「はいはーい」
と答え、スキャナーで写真をスキャンしメールを送る準備を始めた。
一颯は正を見ると
「じゃあ、俺と七尾は長柄家の近隣の聞き込みをしてから直接九州へ行ってくる」
と告げた。
ピーははっと顔を向けると羽をばたつかせて
「ワタシ、ホムズ」
ワタシ、ホムズ
と訴えた。
連れて行けということだ。
一颯は笑みを浮かべると
「帰ったら雪降ってっても散歩に連れて行ってやる」
と返した。
ピーは羽根をしまい俯くと
「リサ、モリモリ」
イブキ、ワトンモリモリ
と恨めしそうにつぶやいた。
理沙は驚いて
「そこで私!?」
と言うとピーを見て
「じゃあ、モリアーティーらしく仕事終わったらさっむい中を散歩ね」
と告げた。
ピーは呆然と
「モリモリ…リサ…ヤバイ」
と既に辻褄が合っていなかったのである。
一颯と友晴は苦笑しながら事務所を後に長柄家の近隣へ向かいその足で九州へと出かけたのである。
九州へは新幹線で一本ということで陸路であった。
JRの福岡駅で島津春彦が一颯と七尾友晴を待っており
「久しぶり」
と出迎えた。
彼の横には松野宮伽羅と羽田野大翔が立っており、少し離れた場所で武藤譲が周囲を見張っていた。
相変わらずの警備ぶりである。
一颯は春彦を見ると
「久しぶりだな」
つーか、相変わらずお前らつるんでるな
と告げた。
「松野宮、お前絵の仕事は大丈夫なのか?」
結構売れっ子だろ?
伽羅はそれに
「大丈夫だよ」
花村先生も降ってきた時に描けば良いって言ってくれてるし
と笑顔を見せた。
…。
…。
降ってきたとき?何が??と一颯は心で突っ込んだものの
「まーいい」
と自己終結し
「それで」
と春彦を見た。
それに大翔が
「あ、悪い」
島津家の方に移動してからでいいか?
と言い、一颯にそっと寄り添い
「あの8年前の襲撃事件に関連した事件が8月にあったんだろ?」
流石に駅で立ち話はな、悪い
と耳打ちした。
一颯は「名古屋駅のあれか」と小声で呟き
「わかった」
と頷くと、春彦と伽羅に
「悪いがさっさと移動してゆっくり話を聞かせてくれ」
と告げた。
春彦は伽羅と顔を見合わせると苦笑して
「わかった」
と答えた。
一颯と友晴は島津家へと案内され、島津家当主の春馬と彼らの母である更紗に挨拶をすると春彦の部屋へと入った。
これまでの経緯が経緯なので春彦の部屋に入るのは初めてであった。
一颯は意外とこざっぱりとした様子に
「思った以上に荷物ないな」
と呟いた。
春彦はそれに
「まあ、東京に色々置いてるからな」
と答え
「隆さんが俺に二つ鍵をくれたままなんだ」
いつでも直兄と俺が帰れるようにってな
と笑みを浮かべた。
「今は允華さんの仕事部屋になってる」
一颯は視線を伏せて「そうか」と答え
「それで、調べられたか?」
と聞いた。
春彦は頷くと
「ああ、確かにこの三人は12月16日に一泊している」
この長柄圭子って人は特に覚えていると言っていた
とチラリと一颯を見た。
「この人の夫は12月16日の夜9時ごろに襲われたんだったな」
一颯は頷いた。
「ああ、9時ごろに隣の家の人間が『ぎゃぁ』って声を聞いて飛び出したら遠くを走っていく人影を見たって言っていたからな」
間違いないだろう
春彦は少し考えて
「それが仲居の人に聞いたらその夜9時ごろに三人の内の福田加奈子って人を迎えに行くと長柄圭子って人が仲居とフロントに声をかけて出掛けて行ったんだ」
でも30分程で直ぐにその福田加奈子って人と一緒にフロントと仲居に声をかけたから覚えているって
「写真も確認したから間違いない」
と告げた。
一颯は腕を組むと
「完璧なアリバイだな」
と告げた。
春彦は唇に指を当てて
「なんだけどな」
と呟いた。
それに伽羅と友晴は二人を交互に見た。
一颯はニヤリと笑むと
「出来過ぎ感か?」
と聞いた。
春彦は頷いて
「時間もバッチリだし」
気になるかなぁって思って
と告げた。
「それと、全く関係ないんだけど…同じ日の夜に伏流庵の近くの橋で女性が転落死するって事故があって」
その夫は名古屋へ仕事で出張に行っていて完璧なアリバイがあるんだ
「なんか、頭の隅で引っ掛かって」
友晴はそれに
「偶然とかではなくて?」
と聞いた。
春彦は冷静に
「その可能性は大だと思うけどね」
と答えた。
一颯は友晴を見て
「あ、七尾」
長柄圭子の動画を島津に見せてやってくれ
と告げた。
友晴は「は、はい」と答え、携帯を出して動画を見せた。
春彦と伽羅はそれを見つめた。
伽羅は笑顔で
「綺麗な人だよね」
華やかで
と告げた。
春彦は苦笑して
「だから力になれってことか?」
伽羅
と笑った。
伽羅はジト目で
「はーるーひーこー」
と告げた。
春彦は笑って
「ごめん」
と言い、一颯を見ると
「だから気になったんだな」
と告げた。
「夫を失ってまだ3日なのに…伽羅の言った通りにピンクの口紅に髪を整え華やかな服か」
憔悴の色もない
伽羅はハッとした。
「そうかー」
友晴も腕を組むと
「確かに」
と告げた。
一颯は「そう言うことだ」と告げた。
「だが、アリバイは完璧だ」
同時刻に九州で友達といた上に仲居とフロントも彼女を確認している犯行は無理だ
「それにその近くで亡くなった女性の夫と彼女が関係あるという証拠もないしな」
春彦は頷いて
「ああ、あくまで俺の憶測だからな」
と返した。
一颯は春彦に
「ただ、お前が気にする理由もわかる」
と言い
「詳細を教えてくれないか?」
調べているんだろ?
と告げた。
春彦は頷くと机の上の書類を渡し
「これな」
というと
「転落死した女性の名前は若月紀美世で33歳」
夫は若月功平で35歳
「紀美世の実家は一寸した資産家で夫の功平は入り婿なんだ」
そう言うのもあって夫婦仲は余り上手く行ってなかったらしい
と告げた。




