ジュリア・ディーロイド
昔話をしよう。
それはおよそ300年前。
幸せで、暖かかったあの日々。
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「おうさま~おうさま~犬っころと幼子が落ちてたよ~」
辺りを巡回していた蝙蝠が、東屋に置かれたソファで寛いでいるレイの周辺を飛び回る。
「もっと分かりやすく話せ」
レイは、産まれて間もない蝙蝠相手に無茶な要望を出す。
「だ~か~ら~犬っころと幼子がいるんだって~」
蝙蝠はパタパタと辺りを旋回しながら声を上げる。
レイは溜息をつくと、側に控えているジェイに視線を向けた。
するとジェイは一礼をしてその場から消える。
ここはディーロイド城。
美しい花々が咲き乱れる庭園は、常に腕の良い庭師により最高の状態に維持されている。
そしてこの城の代名詞とも呼べる青い薔薇は、城の広大な裏庭に、季節問わず咲き乱れていた。
不夜城と名高いこの城の主、レイ・ディーロイドは、夜な夜な眷属たちを招いて宴を催す。
眷属の殆どは朝日と共に眠りにつくのだが、真祖であるレイには太陽など関係ない。
新緑の眩しい季節、心地良い春の朝日を浴びながら、東屋でゆっくりと紅茶を嗜んでいた。
レイは太陽に透けて輝く銀色の髪と、濃いブルーの瞳を持つ。
血の通っていない陶器の様な白い肌と相まって、まるで精巧な人形のように見える。
吸血鬼の真祖である彼は、宵闇の王と呼ばれていた。
吸血鬼は元来享楽的ではあるが、真祖であるレイは比較的温厚で物静かであった為、人間ともそれなりに良い関係を築いている。
全ての吸血鬼の源である彼の意向を汲み取ってか、他の吸血鬼や魔獣達もそれに倣っていた。
しばらくすると、ジェイが青い髪の幼い少女の手を引いて東屋にやってきた。
少女の片方の腕には、どう見ても生まれて間もない真っ白な子犬が抱かれている。
「?」
レイは沈黙した。
匂いからして人間の少女と雑種犬。
ジェイはそんなレイに気付いて、1通の封書を手渡した。
「どうやら麓の村で口減らしがあったようです」
レイは受け取った手紙に目を通した。
それは少女の母親からので、そこには少女の年齢と名前、もし裕福な人に拾われたら育てて欲しい旨が書かれていた。
「何ともまあ、勝手なものだ」
レイは手紙の主に大層呆れた。
口減らしというからには、他にも数人の子供達がいただろう。
コレはたまたま私の領域近くに捨てられたから良かったものの、他の者達はどうなったのだろうか。
幼子の肉は、獣達にはデザートのようなものだ。
しかし、
「村の連中は売らなかったのか」
レイは呟いた。
「ここ最近、人間の王は人身売買を厳しく取り締まっております故」
ジェイがレイに答える。
「なるほど」
レイは少女をじっとみつめた。
彼女の名はジュリア。歳は今年4歳になる。
フワフワの青い髪と紫の瞳。
日焼けで肌は荒れているが、整った顔立ちをしている。
今は緊張しているせいか、下唇を突き出し泣きそうな顔でこちらを睨んでいた。
「ふむ。なんとまあ、珍妙な色だ。まるで私の薔薇のようだ」
レイは立ち上がると少女の側まで歩き、おもぬろに彼女を抱き上げた。
「よし、お前は今日から私の娘だ」
レイの気まぐれでジュリアと1匹の子犬は城に迎えられ、すくすくと育っていったのだった。
城に来たばかりの頃、ジュリアは毎晩激しい夜泣きを続けていた。
煌びやかな大ホールではいつものように宴が行われ、さまざまな眷属達が思い思い楽しんでいた。
そこに、とんでもない爆音が響き渡る。
「びえ~~ん、びえ~~ん、ひぎゃあああああああああ」
大ホールに大泣きしたジュリアを抱いて、ジェイが入って来たのだった。
「おやおや、宵闇の王の娘ともあろう者が夜泣きなど」
「どれどれ~」
クスクス笑いながら、数人の美しい吸血鬼達がジュリアを囲んで花や菓子で機嫌を取ろうと試みるが、
「びぎゃあああああああ、うぎゃああああああああ」
泣き声は酷くなる一方だった。
「おおおお、姫に嫌われてしもうたわ」
「泣き声の何と愛らしいことか」
吸血鬼はへこたれる事なくあの手この手でジュリアを構っていたが、前方からレイが現れた為すっと跪いた。
「なんだジュリア、お主夜が怖いのか?」
ジェイからジュリアを受け取り自ら抱える。
泣き過ぎて真っ赤な顔をした彼女の大きな紫の瞳からは、大粒の涙がひっきりなしに流れ落ちている。
「ふえっ・・・・ふえっ・・・ひっく・・・」
「ふふふ」
レイはジュリアの背中をトントンと優しく叩きながら、バルコニーに向かう。
「面白い顔だ」
レイはいたく上機嫌でジュリアの頭部に唇を寄せた。
「見てみなさい。月が大層美しいぞ」
夜の風がジュリアの火照った頬を冷ましていく。
彼女はレイに言われた通りに空を見上げた。
そこには濃いブルーの夜空に銀いるの美しい月が浮かんでいた。
「美しいだろう?闇が深い程に輝くのだ。夜も悪くないだろう?」
レイはジュリアの頭を優しく撫でる。
「お月さまはレイの髪の色とおんなじ。瞳は夜のお空の色ね」
ジュリアはレイの両頬を小さい手の平で挟み、未だ涙の残る瞳を細めながら嬉しそうに笑った。
「ふふふ。愛い奴め」
レイはジュリアの頬にキスを送る。
その姿を眷属達は微笑ましく見守っていた。
しばらく2人は月を眺めていたが、腕の中で船を漕ぎ出したジュリアに気付き、レイはジェイに彼女を託した。
「お休み、私のお姫様」
ジュリアの髪をひと房掴むとキスを送る。
レイはその日から、ジュリアが夜泣きする度に彼女を月見に誘った。
すると、ジュリアの夜泣きは次第に治まっていったのだった。




