二十四話
2019/11/04
第二十四話を投稿致しました。
――ピンポーン。
ソファに座り直して寛ぐ気になっていた時、突然チャイムが鳴った。
……なんだろう。なんだか妙な胸騒ぎがする。
なるべく足音を立てずに玄関まで行き、覗き穴から外の様子を伺う。
「――誰もいないな。いたずらか?」
しかしドアの向こう側に人影はない。この階には子連れの家族も住んでいるので、近所の子供のいたずらだったのだろうか。
そう思ったが、やはり気にはなるのでチェーンをかけ、静かにドアを開けて隙間から外の様子を確認する。
「――中にいたのね」
ばたん、と思わず勢いよくドアを閉める。
僅かに開けた隙間からは、外の暗闇に紛れた片目だけが浮かんでいた。こちらを覗き見る瞳と目が合ってしまい、次いで聞こえてきた声に恐怖を感じて条件反射で閉めてしまった。
ばくばくと、心臓が張り裂けそうなほどに脈打っている。あまりに予想外な出来事に、ろくに確認もしないで閉めてしまったが、一体なんだったのか。
もう一度覗き穴から外を伺うと、そこには見知った人物がいた。
金色の癖の一切ない真っ直ぐな髪に見慣れない白のワンピースが良く似合う。不機嫌そうに頬を膨らませて、まるで今俺が覗いていることを知っているかのように上目遣いでこちらを見ている。
驚きのあまり閉めてしまったけれど、得体の知れない何かどころか、クラスメイトの女の子を相手に放置する訳にもいかない。チェーンを外して玄関を開けて、開口一番にまずは謝っておこう。
「ごめんね。琴葉だと思わなくて」
「……あんなに脅えた顔することないじゃない」
「そうは言ってもね、いきなりは流石に驚くよ。それよりも一つ聞いていいかな?」
「何かしら?」
「琴葉さ、どうやってここまで来たの?」
「父に送ってもらったわ」
「ああ、そうなんだ……じゃなくて、ここ住民以外は基本的に中まで入ってこられないはずなんだけど」
「そんなことが気になるなんて、徹ったらおかしいわね」
あれ、おかしい。デジャブのような感覚だ。最近同じようなやり取りがあった気がする。
「琴葉といい、恵といいここのセキュリティは本当に大丈夫なんだろうか」
「恵が、なに?」
こちらを真っ直ぐ射抜く、無感情で光を失ったような双眸。ふくれっ面に微笑、ころころと変わる表情の中でも一際異彩を放つ、この有無を言わさぬ無表情。
「そ、そういえば何か用事でもあったの?」
じとっとこちらを見つめる瞳が一度瞼に閉ざされた後、開かれた時には感情の光が戻っていた。
「電話でもいいかと思ったのだけれど、直接お話したくて来ちゃったわ」
「……来ちゃったかあ」
「もしかして、取り込み中だったかしら?」
「いや、特に何もしてなかったから大丈夫だよ。とりあえず、ここだとなんだから中入る?」
「ええ、是非」
瞳を輝かせ、嬉々として頷く。一応用意しておいた来客用のスリッパを履いてもらう。リビングまで案内する間後ろから聞こえてくるパタパタという音に、なんとも言えない不思議な感じがする。
「――それで、ちゃんと説明してもらえるのかしら?」
「説明ってなんのこと?」
新しくコップを出してお茶を注ぎ、ソファにちょこんと腰かけた彼女に差し出す。それを一口、口に含むと姿勢を正してなにかに説明を求めてきた。
「とぼけたって駄目よ。貴方は本当に、目を離した途端女の子と仲良くするんだから」
「女の子……ああ。もしかして鏑木先輩のことかな?」
「そうね。それで、その先輩は女性なんでしょう?」
「うん。二年の鏑木千鶴って言う名前で、ゲーム愛好会の部長さん。部員が先輩だけで、あと二人集めないと廃部になるからってお願いされたんだ」
「……女の人と二人っきりで、ね」
「そういえば、駅の近くのゲームセンターでランキングトップだった人いたよね? あれ、鏑木先輩らしいんだよ」
「――そう、随分と楽しそうに話すのね。私の知らない女とのお喋りはそんなに楽しかったのかしら?」
「えっと……え?」
「徹はどうして私だけを見てくれないのかしら。一体どうしたら……」
そう言うと琴葉はぶつぶつと聞き取れないくらいの声でなにかを呟き始めた。
「琴葉? ちょ、ちょっと落ち着いて」
「安心して、私は落ち着いているわ。ただ少しだけ、焼きもちくらいは妬かせて欲しいわ」
「そ、それならいいんだけど。俺が知っている鏑木先輩はそのくらいだよ。あとはメッセージで送った通りだ」
「わかったわ。あとは私が直接お話するから大丈夫よ」
自分の中で考えが纏まったのか、納得したように頷くと彼女はもう一度お茶を飲んだ。彼女が聞きたいことというのはそれだけだったようで、会話が途切れてしまう。
「俺も一つ聞いてもいいかな?」
「……何かしら」
「恵と、なんの話をしたの?」
「また……貴方には困ったものね」
「え?」
「私が目の前にいて、徹のお家で二人っきりなのよ? それなのに貴方と来たら他の女の事ばっかり。本当に、どうしたら私だけを見てくれるようになるのかしらね」
「あ、ごめ」
「いいのよ。貴方は悪くないもの。徹に寄ってくる虫を払うのは私がやるわ」
他の女性をまとめて虫と吐き捨てるように言った。これが彼女の一面、他者に対して結構辛辣な毒を吐くところがある。
「そんな事より、徹?」
「そんな事って……」
俺の質問は却下されたらしい。わざわざ掘り返して機嫌を損ねてもしょうがないので、観念して彼女の思うがままにすることにした。
「私ね、男の子のお家に来たのは初めてなの」
「そっか、中学までは女子校だったって言ってたっけ」
「そうね。だからちょっと緊張しているの」
「そういえば俺も、引っ越してきてから友達を家に上げたのは初めてだよ」
「本当? じゃあ初めて同士ね。嬉しいわ」
ふふ、と左手で口元を隠して笑う姿はとても可愛らしい。私服姿の女の子が家にいるという状況をようやく理解した俺は、どきどきと鼓動が早まり、顔に血が昇ってきたのを感じた。
「徹、真っ赤よ?」
「……琴葉だって人のこと言えないよ」
「あら、仕方ないじゃない。本当に緊張しているんですもの」
「琴葉がそんなこと言うから、俺も意識しちゃうんだよ」
「私の事、意識してくれているのね。嬉しいわ」
両手で包むように頬を抑え、蕩けそうな表情がすごく艶かしい。お互い見つめ合い、なんだかいい雰囲気になってきた。
「の、飲み物無くなっちゃったから取ってくるね」
俺に女性耐性は無い。長年バスケ一筋でやってきたので、彼女を作る暇なんてなかったのだ。そんな男がいきなりこんな美少女といい雰囲気になったって、選択肢は逃げの一択だ。
「……もう」
去り際、背中から聞こえた声に思わずどきっとした。お茶を注いで、火照った身体を冷ますように一息で飲み干す。
少しでも気持ちを落ち着かせてから戻ろうと思った時、背中に柔らかい感触がした。
「こ、琴葉さん?」
「なにかしら?」
「何をしているの?」
「言わないとわからない?」
いや、分かってはいるんだ。ただこの状況を頭が受け入れようとしていない。柔らかく、暖かい上に凄く果物のような甘く匂いがする。
「ねえ徹、お願いがあるのだけれど」
「何かな?」
背中に顔を埋める琴葉の声がくすぐったい。今日はなんだか凄く甘えてくる。話し合いのあとの恵も錯乱していたが、琴葉もだいぶショックを受けていたんだろうか。
本人達からは何一つ話を聞けていないけれど、二人の様子を見る限りただの喧嘩ではなさそうだ。琴葉は今こうして俺に縋るようにしているし、恵に至っては傷ついた末にカッターナイフまで持ち出したくらいだ。
少しくらいならいいだろう。そのくらいの軽い気持ちでいたけれど、続いた言葉に凍りついた。
「――私の初めてを全部あげるから、貴方の初めては私に全部ちょうだい」




