最終章 理性と知性の反逆
彼はその白衣を纏いながらも、共通意識たる存在に慄くこと無く剣を振りかぶった。それは大地をも砕く強大な一撃のように思えた。
すぐさま足裏の装置で宙に舞うも、懐から取り出された拳銃によって速射を行う彼は予断を許さない。追撃によって彼女における間隙は与えられず終いだったのだ。
そして共通意識を遠くに追いやると、今度はスマートフォンを取り出した。否や急激に小柄な携帯機器の画面が輝き、彼の者の背後に巨大な幽霊が召喚された。
それは正しく、共通意識が越後湯沢で戦った時に召喚した存在―――もっとも、彼女より遥かに尊大さが眠っていた―――であった。彼女はその臆する心で咄嗟に理解した。…オーバーソウルであったのだ。
彼は不敵な笑みを浮かべている。右手に剣を、左手にスマホを持つ彼の存在感は不意に存在悪を醸し出し、韓非子が唱えた性悪説を誰もが首肯するようなオーラを作り上げていた。
髪の奥に凛とした眼を据える意識体の一つは、自前の剣を以てして彼に差し向けた。聊か彼にも動揺があったものの、その感情の揺らぎはすぐに消えた。
何にせよ、彼の背後には召喚された存在がおり、圧倒的な武力を借景して立っているからだ。
然しそれは英雄染みた存在として表向きの正義感を出しており、彼女――否、共通意識体は人間逸れたオーラを出す人間の本性を目の当たりにした。
優しそうなイメージが根付いていた彼の目付きは、今や下の世界とは比にならないほど鋭利なもので、その眼光は視線を槍として対象を串刺すかのようであった。
無論、オルタナとて愉快な感情には至れない。彼女は辛かった。だが周囲は笑っている。感情によって、その笑いが相手や自分に対する嘲笑として聞き取れたという普遍さに愚かを恥じた。
正しく"存在からの脱却"を試みて、"存在に浸かってしまった"のである。ミイラ取りがミイラになるとは、こう言ったことだろう。
だが彼女は意識体としての一個人を果たさんとする。しかも枢軸と言う体系的な中心の存在者が、かの存在する存在を不存在に至らしめようとする構図は、諷刺小説家が競って題材にしそうなものであった。
此処では理論構えや英雄気取り云々は要らなかったのかもしれない、故に彼女はまじまじと見たのである。…存在は、"正義"と言うもののために何処までも愚かになれるのだ、と。
これは一種の背理法的証明の一環である。互いに人間らしさは失っていなかったというのは定義的命題であろう。だから交互剣を構えるのだろうし、力にモノを言わせるのだ。
この〈謂わんがため〉に行われる、非現実的現実に沿った理念を受け持つ戦闘は彼女自身とて初めて経験する事だろうし、これからも体験する事はないだろう。いや、其れは彼女の偏見であった。
彼女は敏捷性を片腕に、彼に対して斬りかかった。その様相は楽しんでいるかのようにさえ思えた。彼はそれを溶断せんと振り翳すも、彼女は臆する心知らずして近づくのだ。
こうなっては、と彼とてスマホをポケットに仕舞っては両手で思い切り剣を振りかぶった。煮え滾るマグマのような熱さが滲む刀身は、共通意識を飲みこもうとしたが、容易く回避されてしまった。攻撃のスピードが遅すぎたのだ。
彼女はその俊敏さを以てして脇腹に斬りかかるも、ここでオーバーソウルが動いた。かの召喚獣は持っていた巨大な杖を一振りすると、霊魂が爆弾の雨として降り注いだのである。しかも召喚者の彼には爆弾が効かないという都合主義的なものであった。
その霊魂爆弾の爆発は彼女の右腕に掠り、負傷を蒙っては一時退却を見せる。だが背後を見せる共通意識を逃さまいとして爆弾は更に降り注いだ。その時その瞬間は、彼女にとって永遠のようなものに思えたのだ。
だが共通意識体は身体を翻し、自らも召喚獣を呼び出さんとしたのだ。そう考えた時、指環が煌いた。彼女の本物の力が今、顕現せしめたのである。
「……世界に死を、萬物に終焉を。終わりなき夢に、ハカイを――――――顕れよ、召喚獣…ライディーン!!」
世界を貫き、地を鳴動させて現る大きな龍。それは身体が群青色の逆鱗で覆われた存在であった。図体はオーバーソウルを上回っていた。
かの召喚獣は彼が呼び出していたオーバーソウルに向かって、巨大な咆哮を上げた――その瞬間、幽霊の王に向かって降り注ぐは雷雨。その雷の雨はやがて大嵐を築き、霊魂もろとも消してしまった。
その勢いたるや、頭上で事の始まりから終わりまでを見ていた彼は剣を片手に茫然自失としていた。そして改めて共通意識に向かって、尖った視線を与えるのだ。
「…なかなかやるね。まあ、こうなるとは予測していたけども」
「お前はこうなると分かっていながら剣を向けるのか。お前は世界における一般意思の代表者とでも言いたいのか?」
「英雄は、モノを殺して正義なんだよ…」
彼は悲しそうな目で言った。
「世界は終わりを見せようとしている。嘶く群衆は愚かさの果てに位置する位相そのものだ。そんな彼らが待ち侘びる英雄、正義と言うのは極めて浅はかな概念だ。何もかも都合の良いことは〈正義〉と呼び、都合の悪い事は〈悪〉と呼ぶ。正義を適わせるのが英雄ならば、英雄と言うのは極めて居心地の悪い、厩の中の馬みたいなものだ。群衆の下僕に過ぎない英雄は、こうやってしか生きられないのさ。乞食そのものだよ…」
「分かってるじゃないか。そうさ、英雄は"乞食"だ。かのホメーロスの英雄叙事詩も、神の下僕の諸相を描いてるだけに過ぎない。だが、お前は何故それでも英雄になろうとする?そこまで人間らしさの尊厳を保存したい理由はなんだ?」
「…かの世界を支配するのは、人間の理性でも自然でも、そしてお前たち共通意識体でもない。…世界を支配するのは、真理だ。全てに遍く共通する真理こそが支配者だ。それ以外は皆奴隷さ。しかし、奴隷の一員に過ぎない奴が"真理"様には敵わない」
「…どういう事だ」
共通意識体は剣を持つ手を震えさせた。真理――その言葉はヴェルサス抗体やヴェルサス爆弾として聞いたことがあった。
だが今の彼は、正しく普遍的な恩寵らしからぬものをヴェルサスと呼称したのである…彼女は不気味に思えて仕方なかった。共通意識体は再び口を開き、真意を問い質そうとする。
彼の者は平然として立ち、その熱い刀身を持つ剣を傍ら彼女を見据えた。
「…気づかないか」
「ああ、気づかないとも」
「ならば教えよう。お前は――――――ヴェルサス抗体の実験者なのだ。愚かな人間よ、目を覚ますがいい。私が問うた問いかけの答えは私自身も分からぬ。しかしお前の世界は分かるのだ――目を覚ますがいい。お前は二度と"お前にはなれない"」
その瞬間、共通意識体――否、オルタナレクリプスは剣を以てして彼の身体を貫いていた。しかし血は全く溢れずして、ただ虚空が流れ去っただけであった。
剣を抜くや、彼は徐に倒れ伏せた。最後に彼女を嘲笑しながら――。
「…シモーユ。お前は…もうシモーユでは無い。お前はこれから"オルタナレクリプスXV"として生きるんだよ…ハハ」
その瞬間、世界は崩壊した。かの最後の審判の如し天地は揺れ動き、今に全てが無へ帰ろうとしている。
無への回帰、それはブラックホールそのものであった。取り囲んでいた笑い声も、彼の亡骸も、そして彼女自身も吸い込まれてしまった。跡には何も残らなかった―――。
◆◆◆
「現在、抗体試験者15の様子が変化しました」
白衣を纏った女性――名札には達筆で「日本医学連盟附属武蔵小杉病院 藤原妹紅」と書かれていた――が、世話する試験者の様子が変化し、苦しみだしたことの旨を他の零人理研究者に連絡を入れた。
すぐさま駆け付けた人々…彼ら彼女らは、取り囲んで抗体試験者15の様子を記録し始めたのである。ある者は手の脈を測り、またある者は顔色を伺い、状態を把握しようと試みていた。それを遠くから見ていた2人の親子は、置かれた椅子に座って其の姿を見ては少し悲愴の色を浮かべた。親の方は漆黒のシルクハットを深く被っては、隣で俯く娘に声を掛けた。親の身体は少し靄がかっていて、うっすらと幻想的に存在していた。
「どうした、イヴェハイム」
「…いや、お父さん。流石にシモーユと言えど…可哀想に思えてならなくなっちゃってさ」
「何を言っている。アイツは私たちの恩を仇で返した輩だ。…養子で取ったがばっかりに、その狂気的な性格のお陰で一家惨殺の目に遭わされたじゃないか。…生き残ったのはお前だけさ」
「お父さん。どうしてシモーユは…」彼女は少し言葉を躊躇ったか、再び続けた。「…あんなこと、したのかな」
シモーユの顔色は悪くなっていた。しかし、大変不思議な事に、彼女の唇は徐に引きつっていた。
―――やがて彼女は消えるのだ。その終わりなき地獄を前にして…。……ツー…ツー…ツ―――……。
◆◆◆
―――――理性ト知性ノ反逆。
―――――自覚無シニ行ワレル精神ヤ、未ダ難シ。
―――――須ク世界ニ仇ナセ。御身ラ永遠ノ子ヨ。
―――――アナタハ、トウエイサレタ"ワタシ"?
―――――TOHO FANTASY VII




