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「いらっしゃいませ~」
その日はミアの予想通り、とても賑やかな一日となった。
十日間という、これまでに取ったことのなかった店の休みに、まだかまだかと待ちわびていた客達が一斉に押しかけてきたのだ。
いつもなら同じ日に来る事のない客達まで始めて顔を合わせることになった。そうなれば、同じ店を愛用している、同じ商品を購入した、などという些細な理由を持って、時間がある者達は店の前で交友を築き始めていたし、その人だかりを見た客達が欲しい商品が無くなってしまう前にと我先に、我先に、と店に入ってこようとする。
商品を選ぶには五人程が入る空間しかない小さな店でしかない『エチゴヤ』。
我先に、と入ろうとされては混乱しか起こりえないのは簡単に分かること。だか、そんな判断もマトモに出来ない程、彼等は焦っていたのだ。
だが、彼等の焦りをそのままに、店の中に入られてしまっては商品が壊れてしまうだろうし、店の棚や壁にだって被害は出てしまう。
ミアが一人だったら、いや父が居たとしても、その被害を抑えることは出来なかっただろう。決して屈強とは言えない父や子供でしかないミアでは、荒事を得意とする冒険者達を止める術など持ち得ない。本気になればどうにか出来てしまうミアではあるが、父の娘としてありたい為に人前でその力を揮うなんて出来るわけもない。
だが、今日は、今日から暫くの間は、そんな心配に悩む事も無くていいな、とミアは考える。
屈強な冒険者達もどうにか対処出来てしまう、心強い同居人達が四人も居るのだ。
我先に、と店へ入ろうとする客達をガロウズとアクナが止め、中の客が出ていくまで押し留めて置いてくれる。
ラースは足りなくなった商品の補充や精算を手伝ってくれる。
エレクトラは外で待たされ苛立つ客達にお茶を配ったりなど、ミアが提案したサービスを愛想よくこなしてくれている。
何時も以上の客が押し寄せてきているのだから、何時も以上に忙しく疲れ果てる筈だったミアだが、四人の活躍のおかげでカウンターの中に座って算盤を弾くだけで良かった。接客やサービスなどもこなす普段の営業日よりも、大分どころか多大に楽だと感じていた。
パチパチと澄み通った音を立てて、複数の商品を抱える程に購入する客から支払ってもらう金額を算盤を弾いていく。
常連で、ミアにも気安く話しかける客との会話を続けながらも、その手は止まることなく金額を弾き出す。その光景は常連客の間では、一種の見物として楽しまれている。
幸運を授かろう。そんな目的でやってくる、『エチゴヤ』など足下にも及べぬ程の品数や店の規模を持っている店の店主などの商人達は、その正確無比な計算方法と速さ、そしてそれを難なくこなしているミアを、家の馬鹿息子、孫の嫁に欲しいな、などと目を怪しく光らせて見ていた。
「いやぁのぉ、ミアちゃん。家の孫、どう思う?」
「毎回同じ事聞いてくるなんて、おじいちゃん。ボケちゃったんですか?」
「ボケとらんわ!ワシはな、ミアちゃんの為を思って言っておるんじゃよ?ミアちゃんはこの店よりももっと、もぉっと大きな店を取り仕切る才がある。ワシはそう感じておるんじゃ。じゃから、家の孫と」
「それを言うなら、私の所の長男はしっかり者でミアちゃんの事もしっかりと支えることが出来るぞ?」
「いやいや、うちの…」
そんな風に口を挟んでくる商人達を的確に捌いていきながら、ミアはせっせと商いに勤しむ。
「なぁ、ミアちゃん。あの飴玉って、まだ残ってんのか?」
そんな何時も恒例の、という光景を余所にこの日一番ミアに話しかける人々が多く口にした言葉はそれだった。
あの飴玉。
それが指すものが、自分達が貰う手筈となっている件のそれであることは、それを尋ねる客達の、そしてその問いの返事へと耳を傾ける客達の様子からも見て取れた。
誰だって、奇跡を起こすモノが欲しいのだ。
だが、ミアはそれさえも顔色一つ変えることなく、手先の算盤を少しも狂わすこともなく、こなしていった。
「飴が欲しいなら、そこの棚に並んでいるのが全部だよ?」
「いや、そうじゃなくてさぁ…」
ふい、と顔を完全に拗ねさせて背け、ミアは問い掛けに答えることは無い。
真剣に商品を選ぶ者。客同士の交流を楽しむ者。ミアに世間話を持ちかける者。そして、あの飴玉について尋ねる者。
多くの客が途切れることなく訪れてきて、この日の『エチゴヤ』の時間はあっという間に過ぎていった。
勿論、お昼をゆっくりと取ろうという時間も無い程で。
お腹が空いたからといって弱音を吐いたり、それを顔に出したりする事は、そんな事が日常茶飯事な冒険者達にとって有り得ないことだ。だが、ミアはそうではない。成長期の子供。一応は依頼ということでミアと共に生活する彼等四人にとって、ミアが健康を崩したりするのはあまりよろしくは無い事。
さて、ミアにどう言えば、店のことを初日な四人に任せてお昼を取ってくれるだろうか。
四人は目配せと僅かな動作だけでそれを伝え合った。
「ミアちゃん」
目配せによる無言の会話の末、ミアに声を掛けるのはエレクトラということに。
「はい。なんですか?」
外で待たされている客にお茶を出したり、一口大のお菓子を提供したり、エレクトラ達がこの『エチゴヤ』以外では見たことも体験したこともないサービスを担当していたエレクトラは確かに、場所的にも立場的にもミアに話し掛けやすかった。
「簡単ではあるけど接客とかも大分分かってきたから、ここは私達に任せて、お昼ご飯を食べてきたら?」
どうかしら、とエレクトラが提案してみれば、ミアは首を少しだけ傾げ、困ったようにどうしようかと顔を歪めた。
外で客達を宥めるエレクトラに、店に入ろうと逸る客達を制するガロウズとアクナ。そして、精算を助けて自分の家へと帰っていくラース。
忙しいとはいえ、開店したばかりの時間よりは人も落ち着いてきた。初めてとは思えない丁寧でしっかりとした動きを見せている彼等四人なら、ミアが居なくともちゃんと出来ることだろう。何かあれば、遠くに出ていくわけでもないのだから、ミアを呼べばいい。
躊躇う必要はそう無いのだ。
ただ、この忙しい中で一人抜けることが心苦しいなという、そんなただの感傷が自然と出てしまう。そして、少しだけ面倒臭いと思うだけ。
本来、食事をミアは必要としない。食べるのは人であると偽る為でしか無いのだ。これでもし、彼等が冒険者などによく見られる粗野で自己責任という観念の強かったなら、ミアが昼食を抜こうが放っておいてくれたのかな、と思ったりもした。
「大丈夫だぞ、チビ。なんかあったら。この店をよく知る俺が助けといてやるから」
外で客同士の話に花を咲かしていた常連の一人が、行け行け、と笑って口を挟んできた。
「じゃあ、頂いてきます」
こうなれば、店の中の空気はミアがしばらくの間席を外すというものへと成り果てる。
しかたない、とミアはエレクトラ達の提案を受け入れ、カウンターをラースに明け渡すと家へと引っ込んでいった。
自分が食べるふりをして、四人が簡単に取れる食事を作ってしまおう。
そうなれば、サンドイッチが最適か。
ならば次いでに、客達用の小腹を満たす酔うにと、多目に作ろう。
具は何にしようか、そんなことを考えミアは店から家へと戻って行ったのだった。