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「お前が『エチゴヤ』の、ジェラルド・クーゼンの娘だな?」
「は、はい。そうです…?」
その『エチゴヤ』の店の中に居るのだから、他の誰でもなく、ミアが"ミア・クーゼン"なのは間違いようが無い筈なのに。
ミアはそう冷静に考えながらも、表面上は普通の子供らしく、驚き怯える様子を見せて問い掛けに答えてみた。
こういった状況が巻き起こることは別に、珍しい訳ではない。ミアも何度か経験がある。だから、さぁどう対処しようか、と冷静に心の中で考え構えることなんて、簡単に出来る。
さぁ、今度のこの人達は何が目的かな?
お金、それとも店にある何かの商品?それとも…。
店の外にまで溢れた、招かれざる客達を気づかれないようにミアは一瞥した。
風の英雄王国には、第二の都と呼ばれている港街がある。
他の大陸へと向かうにも、また他の大陸からやってくるのにも、最も最短で、なおかつ安全を確保出来る港を有しているその街は、王都に匹敵するだけの活気に満ち、政治的にも重要とされている地だ。風の英雄王国内の品物や人だけではなく、大陸中から各々の土地で産出された商品に、商人や傭兵や冒険者、時にはお忍びの貴族達まで集まってくるのだから、その賑わいは言葉に出来る以上のものとなる。
そんな港街の中心に大きく、そして長く伸びているのが、本通りと呼ばれている多くの店が立ち並ぶ一本の道だ。
大陸中に名を轟かせている商会の支店が何軒も軒を並べ、日常の生活での必需品から旅の様々な道具、武器に娯楽用品まで、ありとあらゆるものが本通りの中だけで揃うと言われている。
食事に関しても、平民が気軽に通える食堂から、美食を楽しむ高級店が揃う。
そして、遠方から訪れる客達をもてなす宿屋も、貴族御用達のようなものから、格安で泊まれるものまで様々なタイプの宿屋が充実している。
街に集まってくる人々の殆どが、本通りから外れることなく、一日でも数日でも、充実した日々を過ごすことが出来るようになっている。
勿論、本通りを外れた場所にも魅力が無い訳ではなく、そちらに足を向ける客も多い。
酒と女を楽しむ華通りは本通りから少し外れた場所に扉の口を開けているし、表で堂々と商売が出来ないような様々な店がひっそりと馴染んでいることだってある。
ジェラルド・クーゼンの店も本通りからは少し外れた場所に、静かに、そしてひっそりと佇んでいた。
店の入り口に大きく掲げられた看板には『エチゴヤ』という不思議な店名が記され、人通りの滅多に無い場所に立っている割には、毎日客足が絶えることはなかった。
店の周囲にあるのは、呪いの道具を扱う店だったり、いわく付きの武器ばかりを扱う店があったり、怪しげな雰囲気の薬屋があったり、決して雰囲気の良い場所ではないのだが、どうしてだか『エチゴヤ』の周囲にだけは心落ち着く、そんな空気が常に漂っている。
その周りの雰囲気と、店からの空気のせいなのか。少なくとも、店主であるジェラルドはそうだと考えているのだが、『エチゴヤ』に関して不思議な噂が出回っていた。常連の客である冒険者に一度尋ねてみたところ、どうやらその噂は今や街を飛び出て、遠方の国にまで出回ってしまっているらしい。
曰く「幸運を得られる店がある」という噂が。
『エチゴヤ』という店に出向き、その店の商品を何でもいい、一番目に付いたものを購入すれば、それまでに得たことも無いような幸運を手に入れることが出来、そして幸せになれるのだ。
そんな噂が真しやかに流れているのだという。
どうしてだろう、とジェラルドは頭を捻らせたが、その理由は幾ら考えても思い浮かばない。
けれど、噂を信じた客達は毎日のように店を訪れ、「これだ!」などと叫びながら何かしらの商品を購入していく。そして、不思議なことに、それらの客は次に訪れた際には「噂は本当だったんだな」などと陽気に笑い、ジェラルドとミアに感謝の言葉を口にするのだ。その為にまた、噂は大きく、より確信的に広まっていく。もう何度、そんな繰り返しを『エチゴヤ』の親子は目の辺りにしただろうか。
"幸運を得られる店"
幾つもの実体験を掲げたその噂を信じて、客は毎日のように訪れる。
気前の良い客、噂を半信半疑の様子で試そう思っている客、自身も商人である客、貴族、平民、大人から子供。様々な客が訪れるが、勿論それらが全員"良い客"な訳もない。
(この人達はどうだろう。ただの物盗りじゃなくて、噂を信じた"悪い人"なのかな?)
幸運を独り占めしようと企む者、幸運を得た人によって痛い目を見たと八つ当たりに来た者、他人よりも協力な幸運を寄越せと命じる者。"良い客"に混じってそんな者達が訪れたのも、一度や二度などではない。
"悪い人"、そうミアが判じた者達にはしっかりと痛い目を見せるようにしているのだが、それでも"悪い人"が絶える事はない。
それがまぁ、人間というものだから仕方無いか。
なんてミアが思っていることなども知らずに、噂の幸運を求める客の姿は毎日毎日、店の手伝いという名目でカウンターに座ったミアの目を楽しませてくれた。
「ふぅん、大したことのねぇ店だな」
ミアの怯えた様子をガラの悪い粗野な男は鼻で笑い、その後にジロジロと不躾な視線を店内へと向けた。
店は休業しているのだから、店内の明かりは完全に落とされている。複数あるとはいえ小さな窓によって外から差し込む光程度では、店内全体を明るく照らすことが出来る訳がない。薄暗さの中に陳列されている商品達を見回し、男は再び鼻を鳴らし、笑い飛ばしてみせた。その反応は男だけではなく、男の後ろで店の外にまではみ出した仲間達も思っていたことだったらしく、大きな笑い声が巻き起こった。
しょぼい。貧相。がらくたばかり。
噂は本当なのかよ、という笑い声の合間に聞こえた言葉に、やはり幸運を求めてやってきた者達か、とミアは考えた。
男達の下卑た笑いを浴びせられる中、顔を伏せてフルフルと震えているミアの様子は、男達に怯えた哀れな子供にちゃんと見えている。
俯きになって前髪に隠れたミアの目がどんな光や色を宿しているかなんて、男達には到底想像も出来なかった。
「お父さんがいなくて良かった」
「はっ?」
男達の大きな笑い声の中で、ミアの小さな呟きは簡単に掻き消された。
一応、一番近くにいた男には、何かを言ったということだけは届いたようだが、その内容までは届きはしなかった。
ミアは顔を上げ、男の顔を真っ直ぐに見た。
その目は何故か、黒の中に赤色の混じった、乾いた血のような色をしていた。
父が留守の時で良かった。
ミアはそう思う。
対処が回りくどくなくていいから。
手に力を込め、ミアと父とで作り上げた大切な店を馬鹿にする男達に、罰を与えようとミアは動き始める。
こういう荒事は本来、ミアの得意とするところではないが、力に漲っている今なら得意でなくとも、この男達を退けるくらいは容易いことだった。
ぎゃぁっ!
何だ、テメェッ!!?
「おいっ、どうした!?」
でも、ミアが腕を振り上げようとした瞬間、ミアのすぐ近くに居る男達ではなく、店に入りきらず外に居た男達の方から悲鳴と怒鳴り声が聞こえてきたのだ。
それには、ミアもきょとんと目を丸め、驚きを露にした。
ミアの赤黒い目を受けていた男も、仲間たちの異常に振り返り、ただの子供でしかないミアに簡単に背を向けて動き出した。
そして、誰の注目も受けなくなったミアの背中に、囁くように小さな、全く知らない男の声が掛けられた。
「助けに参りました、お姫様」
舞台の上で役を演じている俳優のような、そんな大仰な口調でそれはミアに話しかけてくる。
一瞬、お姫様とは誰のことだろうか、なんて考えてしまう程、その声と言葉は現実的ではなかった。
「大丈夫だと思うけど。もしかしたら、もしかするから、ちょっと家の中に入ってようねぇ」
だが、その声の持ち主であろう男の手が、自分の肩にポンと置かれたことで、ミアはお姫様は自分のことなのだと理解した。
そして、次に考えたのは、近所に住む街の治安を護る警邏兵である男から以前、友人達と一緒に教わった『背後からの変質者を撃退する方法』だった。