1話 誕生日
「魔王辞める。その代わり、この娘を置いて帰って」
魔王様の桜鼠色の髪を風が撫でる。新鮮な葉のような色の瞳と指先は、真っ直ぐ私にだけ向けられていた。
◇◇◇
私が住む王国——名をバラデア王国と言う——は、勇者を自称する腕っぷし自慢の若者が集う王国である。
彼らがこのバラデア王国に集う目的はただ一つ。
人類が三百年という膨大な時間を費やしてもなお未だに為されていない、"魔王"の討伐。その任務を受けられるのが、唯一のこのバラデア王国のみだから。
それが何故かという明確な理由もある。魔王城へと続く唯一の道が、この王国の地下に存在しているからだ。
「聞いたか? 雷の加護を宿した勇者、魔王にやられて帰ってきたって」
「聞いたよ。超強いって有名だった勇者でしょ?」
「そう。手も足も出なかったって。皆して泣いて帰ってきたらしい」
腕力自慢の勇者、魔力自慢の勇者、体力自慢の勇者。三百年の間に、ありとあらゆるが勇者が仲間を引き連れて魔王討伐へと出向いた。
だけどとある勇者は腕を失くし、とある僧侶は精神を喪失。未だに帰って来ない勇者一向も数多。そんな話ばかりが風と共によく流れてくる。
「そこで俺達の出番ってわけ! クレアが今日でめでたく十六歳を迎えて、俺達全員が魔王討伐のクエストを受けれる年齢になった。……奇跡の勇者と、その一行。俺達の活躍を王国中が期待している」
私の顔を見詰めながら、顔ほどの大きさはあるであろう骨付き肉に豪快にかぶりつく男の子。彼が肉に齧り付くたびに、彼の金色の短髪が僅かに揺れ、青色の瞳は細まった。
「改めて誕生日おめでとう。クレア!」
「アーサー。ありがとう」
私の名前を呼び、彼——アーサーは木製のジョッキを私の顔の前に突き出した。私もアーサーの祝杯に応えるように木製のジョッキを持ち上げ、目の前に掲げられたジョッキにぶつける。
軽快な音は鳴らなかったけれども、それは確かに私への祝杯の音だった。
「で……奇跡の勇者アーサー様。聞くまでもないけど、魔王討伐は本当に行くんだよね?」
「野暮なことを聞くなよ、バルド。俺は……俺達は、国民全員の期待を背負い続けて十六年間生きてきた。俺達がやらないで、誰が魔王討伐を成し遂げるって言うんだ」
王国の中心街にある酒場。
私とアーサー、そしてバルドと呼ばれた男の子の三人はそこに居る。木製の丸テーブルを囲うように座り、私の十六歳の誕生日を祝ってくれている最中だ。
酒場と言ってもお酒は二十歳にならないと飲めないため、私達は果物をすり潰した甘い香りが漂う飲み物を飲み、顔ほどの大きさの肉を頬張っている。これがまた皮目が香ばしくて美味しい。
「魔王討伐を果たせれば、多額の報酬と共に一生分の衣食住を無償で提供され続ける。夢があるよねぇ」
バルドは頬杖をつき、栗色の瞳を細めて恍惚の表情を浮かべた。瞳の色とお揃いの栗色の髪は長く、バルドはそれを後頭部で一つに束ねている。
「夢じゃなくて現実にすんだよ」
「そうだねぇ。……生後間も無く握らされた剣に光を宿した赤ちゃん。その剣の光を浴びた魔族はあっという間に体が崩れていった。伝説の書曰く、千年に一度だけ生まれる逸材。それが君だもんね、アーサー」
バルドはアーサーの顔に向かってわざとらしく拍手を送り、笑んでみせた。
「滅ぼしの加護を宿した奇跡の勇者。人は君をそう呼ぶ。君の十六歳の誕生日は王国を挙げて宴が開かれた。大したもんだよ」
「俺だけじゃない。バルド。そんじょそこらの魔法使いは呪文を一つしか習得出来ないけど、お前は無数に呪文を習得した特別な才能を持つ魔法使いだ」
「奇跡の勇者様に褒めていただけるなんて、光栄だね。魔王討伐なんて言葉は、砂漠で一粒の宝石を探すぞと言っているようなものだけど……君と一緒なら出来る気がするよ」
くつくつと笑い、バルドとアーサーは木製のジョッキを打ち合う。アーサーは視線を遠くに投げ、カウンターの向こう側で皿を洗うマスターに向かい「おっちゃん、肉をお代わり!」と声を張り上げた。
「それに……クレアも。普通の賢者が三時間掛けて治す傷を、クレアは三分で治してみせる。俺よりもクレアの方が奇跡に近いかもな」
アーサーの青い瞳が私の顔を見詰めた。褒められ慣れない私は気恥ずかしさを誤魔化したくて頬を掻いてみたけれども、どうにもまだ頬が熱い。
「でも私は守ってもらってばかりだから。アーサーとバルドと、それに……」
ギィ、と店の扉が開いた。木製の扉は開閉が行われるたびに低く鳴り、木の匂いを店内へと漂わせる。
「皆、お待たせー!」
明るい声が店内に響き渡った。客達は一斉に扉の方へと顔を向ける。
「遅くなっちゃった! マスター、私にもお肉とジュースお願い!」
床を軋ませながら私達が座る席へ近寄ってくる女の子。腰まで伸ばされた彼女の桃色の髪は、彼女が歩くたびに左右へ振られる。
「ニーナ! 遅かったなぁ、何してたんだよ!」
「えへへ! クレアへの誕生日プレゼント買ってきたの!」
桃色の髪の女の子——ニーナはそう言うと、私の目の前に二つの箱を差し出した。どちらも手のひらに収まるほどの小さな布製の箱だ。
「今日お祝いするって予め決めてたじゃないか。なのに今になって買ってきたの?」
「違うよ! 一個はずっと前から買ってたもので、もう一個を今買ってきたの。ここに来る途中で見かけて、買おうかどうか悩んで……やっぱり買っちゃった! 早速だけど開けてみて、クレア!」
ニーナの赤色の瞳が、嬉々としている私の顔を映す。
「ありがとう、ニーナ!」
「ふふ。気に入ってくれると良いなぁ」
ニーナの手から一つだけ小箱を受け取り、少し硬めの蓋を開ける。
「わっ……。 綺麗!」
中に入っていたのはブローチだった。花の形を模したガラスストーンはアメジストのような色合いで、その花を引き立てるように細かな桃色や若葉色の石が数個取り付けられている。
「……あれ?」
——私、この色遣いをどこかで見たような。
どこで見たのか思い出せないまま、私はブローチを電灯へと透かせた。ガラスストーンは店内のオレンジ色の灯りに照らされると、色を次々と変化させ輝く。
ガラス越しに滲む様々な色合いはなぜだか無性に懐かしかった。
「クレア? どうしたんだよ?」
「あっ。ううん。本当にすごく……綺麗だなって思って。さすがニーナのセンスは抜群だね!」
「えへ! クレアの瞳の色と同じだなと思って買っちゃった。あともう一つ、こっちも開けてみて!」
ニーナはもう一つの箱を私に差し出す。そちらも促されるまま開けてみると、シルバーのブレスレットが入っていた。シンプルかつ華奢なデザインだ。
「ブレスレットだ! これも可愛い!」
「ふふ。でね、それは……皆でお揃いにしちゃった!」
じゃーん、と言いながらニーナは左手首を私に見せつけてきた。そこに光るのは、確かに今私がもらったものと同じブレスレット。
「……ん? 皆?」
アーサーが首を傾げる。
「そう! アーサーとバルドにも同じブレスレット買ってきちゃった! 皆でお揃いで付けよう? ね?」
「僕とアーサーにまで?」
「うん! だって私達、今日から正式に勇者アーサーのパーティとしてデビューするんだよ? その記念に!」
ニーナはアーサーとバルドにも私にくれた物と同じ小箱を取り出して手渡した。二人とも顔を見合わせた後、小箱を開けてブレスレットを取り出す。
「ありがとうな、ニーナ!」
「ありがとう。大切にするよ」
「私達がずーっと仲良しでいられるお守りだよ! このお守りがあれば、きっと魔王にも負けないんだから!」
勇者アーサー一行はこれで全員が揃った。
マスターが運んできてくれたジョッキを持ち上げ「乾杯!」とニーナは笑う。私達もまたジョッキを持ち上げ、今度こそ全員での乾杯を果たせた。
「それでアーサー。魔王討伐の任務はいつ受けに行くか決めてるの? 私達のリーダーは言わずもがなアーサーなんだから、アーサーに決めてもらわないと!」
「それなんだけどさ、皆」
アーサーは指を鳴らし、清々しく笑んだ。
「今から行かないか! 魔王討伐!」
その太陽のように明るい笑顔を前にしても、誰も何も喋らなかった。
バルドはニーナの顔を見て、ニーナは私の顔を見て、私はバルドの顔を見る。
そうして私達が沈黙のバトンパスを始めて三分後。
「…………やっぱ、駄目?」
間抜けな声を発したのは他の誰でもなく、アーサー自身だった。
◇◇◇
「よお! 噂話はいかが? おにーさん」
黒髪の少年は——否、青年だったか——ニヒルな笑みを顔に貼り付け、人の髪の毛を指でくるくると回して遊ぶ。
「……噂? 何? 俺、今から昼寝しようとしてて忙しいんだけど」
「それは忙しいって言わねえの。……バラデア王国が門を開けるらしいぜ。また魔王様の討伐に、誰かやって来るってコト」
「えー……。超めんどくさい……。代わりに相手してよ……」
「嫌だよ。俺だって早く帰らねえとアイツが怒るもん。そもそもお前の部下達がどうにかするだろ?」
「部下? いないよそんなの。人の顔とか覚えられないし」
「人じゃなくて魔物な、魔物」
黒髪の青年は部屋のカーテンを開け、陽の光の元で背伸びをする。
暫くの間カーテンを閉め切っていたので気付かなかったが、外はどうやら鬱陶しいほどの晴天らしい。
「お前が欲してなくても、小物達はお前に顔を覚えてほしくて勝手に動くんだよ。そのくらいお前には求心力があるのさ。お前が手を一回叩くだけで、上位の魔物達は一瞬でお前の前に姿を現してひれ伏す」
横たわっていたベッドに黒髪の青年が腰掛けてくる。ベッドが青年の重みに合わせて軋み、寝返りを打つスペースすら奪われた。
「ゆえにバラデアに集った勇者様ご一行は、お前に辿り着くことなく死ぬか瀕死になって泣きながら帰っていく。上位の魔物どころか、小物達にやられてね。可哀想だよなぁ」
「知らないよ。俺には関係ないもん」
「一番あるんだよ。なあ、もう少しやる気出したらどうなんだよ。クレアが死んでから、ずっとそうじゃん。塞ぎ込んじゃってさ」
特に黒髪の青年に恨みがあるわけでもないが、足先が勝手にその横腹を蹴飛ばしていた。彼は床へと蹲り呻き声を漏らしている。
「あ、ごめん。つい」
「つい、で人を蹴るな! まったくもう。今日はそれ言いに来ただけだからもう帰るぞ。また遊びに来るから」
「あー。来る時になんかご飯買ってきて。おやつも」
「呆れた。自分の飯くらい自分でどうにかしろよ。……じゃーな、レイ」
黒髪の青年は身を翻し軽い足音を立てながら部屋を出た。
無防備に開けられたカーテンを再び閉め、ベッドへと横になる。
——だが、胸の奥がやたらと落ち着かない。
「……クレア……」
静かな部屋に、その名前だけがただ響いた。




