表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名も無き戦場  作者: 六花
境界
PR
74/76

第七十二話「噛み合わない日常」

朝は、いつも通り始まった。


店の扉を開けたときの空気も、変わらない。


変わらないはずだった。


レイは棚に並ぶ品を眺めながら、わずかに手を止める。


「……これ、ちょっとずれてる」


ほんの数センチ。


本来の位置から外れているだけの違い。


誰かが動かした痕跡はない。


それでも確かに、昨日見た配置とは違っていた。


レイは一度だけ目を細める。


「まぁ、いいか」


元の位置へ戻し、それ以上は追わない。


午前中、ギルド経由の依頼が届く。


物資の確認と配送の調整。


いつも通りの内容だった。


いつも通りのはずだった。


書類を見ている途中、レイはふと視線を止める。


「……航の名前、こんなところにあったっけ」


違和感は小さい。


消えかけた線のように曖昧で、掴めない。


だが確かに、何かが“薄くなっている”。


最初から存在しなかったような、そんな抜け落ち方だった。


レイは軽く息を吐いた。


「忙しいと、こういうの増えるのよね」


そのまま処理を続ける。


昼前、客が一人来る。


依頼の相談。


内容は単純なはずだった。


会話も問題なく成立している。


だが途中で、客が首をかしげた。


「さっき、そういう話だったっけ?」


レイは一瞬だけ視線を上げる。


「そう言ったと思うけど?」


客は少し考えて、やがて肩をすくめる。


「まあいいか」


そのまま会話は続き、違和感は訂正されないまま終わった。


扉が閉まったあと、レイはしばらく黙っていた。


何かがおかしい。


だが、それをおかしいと呼ぶ材料が足りない。


「気のせい、か」


そう呟いて、帳簿へ視線を戻す。


数字は正しい。


仕事も正しい。


日常は崩れていない。


夕方になる。


空は変わらず曇りでも晴れでもない。


ただ、少しだけ輪郭がぼやけているように見えた。


距離感が曖昧になる。


音がわずかに遅れる。


けれど誰も気にしていない。


気にしていないから、それは異常ではない。


レイはカウンターに肘をつき、窓の外を眺める。


「……遅いな」


誰に向けた言葉でもない。


航のことを思い出す。


だが、その記憶は少しだけ不確かだった。


確かにいたはずなのに、その輪郭だけが薄い。


レイは軽く首を振る。


「考えすぎ」


そう言って、再び帳簿に目を落とす。


世界は続いている。


日常も続いている。


何も壊れてはいない。


ただひとつ。


この一日を通してずっと残っていた違和感は、


誰にも認識されないまま、そこにあった。


まるで最初から、そういう世界だったかのように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ