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名も無き戦場  作者: 六花
揺らぎ
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第四十七話「祈りの途中」

レイの店は静かだった。


人の声も、皿の音も、いつも通りに流れている。


セイリスは、いつもの席に座っていた。


手元には温かい茶がある。

だが、それに触れる理由は見つからない。


(私は、何をしているんだろう)


そんな思考が、ふと浮かぶ。


セイリスは小さく首を振る。


違う。

考えるものではない。


祈るだけでいいはずだった。


胸元に手を当てる。


癖のような動作。


いつもなら、そこで言葉が自然に出る。


だが。


今日は出てこない。


「……?」


セイリスは瞬きをする。


祈りの形は知っている。

言葉も覚えている。


それなのに。


“続きがない”。


まるで途中だけが、抜け落ちているようだった。


セイリスは小さく息を吸う。


(私は、誰に祈っているの?)


その問いが浮かんだ瞬間。


胸の奥がわずかに揺れた。


違う。

そんなことを考えるものではない。


祈りは理由ではない。

意味でもない。


ただ、そうあるものだったはずだ。


セイリスはもう一度、胸元に手を当てる。


唇が動く。


だが。


音にならない。


「……あれ?」


声は出たはずなのに、届いていない。


途中で消えている。


外に出る前に、切り取られているような感覚。


セイリスは手を止める。


周囲を見る。


店は変わらない。


客は食事をしている。

皿の音、椅子の軋み、会話の断片。


すべて正常。


なのに。


自分の中だけが、途切れている。


そのときだった。


カウンターの奥から声がする。


「また難しく考えてるの?」


レイの声。


セイリスは顔を上げる。


レイは帳簿を見たまま、こちらを見ていない。


「祈りなんて、考えてやるものじゃないでしょ」


「……でも」


言葉が続かない。


“でも”の先がない。


何かが途中で落ちている。


レイは小さく息を吐く。


「出てこないなら、それでいいんじゃない?」


その言葉は軽い。


いつもなら救いになるはずの言葉。


だが今日は。


どこにも届かない。


セイリスは胸元に手を当てたまま、動けない。


(出てこない)


その事実だけが、静かにそこにある。


祈れないわけではない。

忘れたわけでもない。


それでも。


“祈りという行為そのものが途中にない”。


そのとき。


カラン、と扉が鳴る。


風が入る。


鈴の音が鳴る。


――一瞬だけ、遅れて聞こえた。


セイリスは顔を上げる。


誰かが入ってくる。


だがその瞬間。


言葉が落ちる。


祈りの“続き”が、完全に見失われる。


セイリスは静かに息を吐く。


胸元から手を離す。


(祈れないんじゃない)


(祈りが、途中にない)


そう理解した瞬間。


店の光が、ほんのわずかに揺れた。


セイリスはそれを見て、小さく呟く。


「……私は、何を信じていたんだろう」


その問いに、答えは返らない。


ただ、風だけが静かに流れていた。

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