表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名も無き戦場  作者: 六花
揺らぎ
PR
38/76

第三十七話「日常の継ぎ目」

レイの店は、いつも通りだった。


木の床は軽く軋み、窓から光が差し込む。

客は少ないが、途切れることもない。


静かで、忙しすぎず、退屈でもない。


「……いつも通りね」


レイは帳簿をめくりながら呟く。


誰に向けたわけでもない。

ただの確認だった。


カウンターの向こうでは、客が食事をしている。

皿の音、椅子の軋み、会話の断片。


すべて正常。


問題はない。


レイはペンを走らせる。


売上。仕入れ。在庫。


数字は正しい。


いつも通りに、正しく進んでいる。


「……うん」


小さく頷く。


その瞬間だった。


一行だけ、合わない。


「残高:+1」


レイは手を止める。


視線を落とす。


もう一度、最初から計算する。


合っている。


何度やっても合っている。


なのに、そこだけが浮いている。


「……何これ」


声は小さい。


苛立ちではない。


違和感だった。


帳簿の問題ではない。


“結果だけが一つ余っている”。


レイはページをめくる。


前日。

前々日。

そのさらに前。


どこにも異常はない。


それなのに。


今だけが、ひとつ多い。


そのとき。


カウンターのコップが、わずかに音を立てた。


コト。


レイは顔を上げる。


誰も触れていない。


風もない。


ただ、位置が数ミリずれている。


「……また?」


レイはコップを見つめる。


昨日も似たことがあった。


いや、“似ている気がする”。


確信は持てない。


だが無視もできない。


レイはコップを元の位置に戻す。


その瞬間。


“どちらが正しい位置か分からなくなる”。


「……は?」


珍しく、声が漏れる。


店の音は変わらない。


客は普通に食事をしている。


誰も気づいていない。


それでも――


帳簿の数字が、もう一度だけ揺れる。


レイはペンを握る。


強く。


「……落ち着きなさい」


自分に言い聞かせる。


計算ミスなら直せばいい。

ズレなら修正すればいい。


そういう問題のはずだ。


だが。


修正した瞬間、元に戻る。


直したはずの数字が、別の形で“正しくなる”。


「……何なのよこれ」


苛立ちではない。


理解できないものへの違和感。


そのとき。


扉が開く。


風が入る。


その一瞬だけ、音が遅れて届く。


カラン、と鈴が鳴る。


わずかに遅れて。


レイは顔を上げないまま言う。


「今日は変な日ね」


誰に向けた言葉でもない。


だがその言葉に応えるように。


コップが、もう一度だけ小さく動いた。


今度は、ほんの少しだけ“正しい位置へ戻ろうとするように”。


レイはそれを見て、静かに息を吐く。


「……仕事、増やさないでほしいんだけど」


その声は、いつも通りだった。


ただひとつ違うのは。


その“いつも通り”が、少しだけ信用できなくなっていたことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ