第40話 緊張の日常
第2部開始します!
『英雄の村』と人々が呼ぶ小さな村に建つ、石造りの小さな二階建ての教会には、聖女リアが住んでいる。
長い冬が過ぎ、アクリア王国に春が訪れた。リアが英雄ゼインから「褒美に聖女が欲しい」と言われ、この村に移り住んでから一年が経った。
リアは教会でずっと一人暮らしだったが、この春からゼインと同居することになった。リアとゼインは王都教会を欺く為に『偽装結婚』をしている関係だ。二人の結婚が嘘であることを知っているのは、村の一部の仲間だけ。他の村人たちは二人が本当の夫婦だと思っていて、いつまでも別居をしていると結婚そのものを疑われる。その為教会に離れを作り、ゼインが引っ越してくることになったのだ。
離れは魔法使いフォリーが『使い魔』たちに作らせた。村人たちも総出で建築を手伝ったので、信じられないほどの早さで新しいゼインの部屋が出来上がった。石造りの建物の隣に、木材で作られた簡素な平屋建ての小屋が建つ。教会の裏口と渡り廊下で部屋を繋いだので、自由に行き来ができる仕組みだ。
二人の寝室は別々だが、台所や風呂などは共同なので、全く顔を合わせないというわけにはいかない。周囲を欺く為に共同生活をしようと持ち掛けたのはリアの方だったが、実際に生活が始まってみると落ち着かないのはリアで、ゼインは少しの動揺もないように見えた。
リアとゼインは『偽装結婚』という形だが、二人の関係は微妙なところにあった。
冬に二人の『結婚祝いパーティー』が開かれた時、ゼインはリアに今まで話したことがない本音を語った。彼はリアを以前から知っていて、魔族との戦では彼女から呪いの治療を受けていた。第二王子マティアスの婚約者だったリアは、王子にいいように利用されていた。それを知ったゼインはリアを王子から奪うと決めた。それが王に対して言った『聖女リアを褒美に欲しい』という言葉である。
ゼインは真実を知り涙を流すリアを、そっと抱き寄せた。二人の関係は強い信頼で結ばれているのは間違いない。だがその後のゼインの態度は、今までと変わらなかった。冷たくもないが馴れ馴れしくもない、といった調子である。
一方のリアも、ゼインとの関係がどういうものなのか、自分でも理解できずにいた。ゼインに対する感情が『信頼』なのかそれとも『愛』なのか。
リアは幼い頃から、聖女としての教育を受けてきた。呪いを解くという大きな使命を持つ聖女は、普通の女性と比べるとその生き方には大きな制限がある。まず、結婚は自由にはできない。能力の高い聖女はそれだけで『価値』があり、聖女の力を欲する貴族や有力な商人などが聖女を妻にと望む。リアのような高い能力を持つ聖女は、王家の男性と結婚する場合もある。
聖女の結婚は家同士、あるいは教会の思惑によって決められることが多い。だからリアは、恋愛や結婚に夢を持ったことがない。そもそも聖女は女性ばかりの環境で暮らす為、男性との接点が少ないというのもある。
聖女として模範的な人生を歩んでいたリアにとって、ゼインという存在はあまりに異質だった。突然自分を連れ出して「あんたはもう俺のものだ」と言い放った男。そして村の呪いが解かれた時には「どこへでも好きなところへ行け」と言った男。
ゼインはリアを頑丈な鳥かごに閉じ込めるどころか、鳥かごの扉を開け放ったのだ。リアは自由だ、生き方を選べると言った。いくらでもリアを好きに扱える立場にいながら、リアをまるでふわふわのひな鳥のように大切に扱い、羽根一枚むしらなかった。
リアはゼインを心から信頼している。だからこそ彼との偽装結婚に同意したし、彼と同居してもいいと提案したのだ。だがゼインはリアを未だにひな鳥のように扱い、リアの心に踏み込んでこない。
(きっと、ゼイン様はまだ奥様のことを想っているんだわ)
ゼインがリアから一歩引いて接する理由は、それだろうとリアは思っている。ゼインは村を魔族に滅ぼされた時、妻と家族を一度に亡くしている。彼は普段妻の話を一切しないが、それはゼインにとって妻のことがまだ過去ではないからだろう。
リアのことは何があっても守る、と口では言いながら、ゼインは涙を流すリアをぎこちなく抱き寄せるだけだ。それ以上ゼインはリアに触れようとせず、未来の話をすることもなかった。
二人の関係がはっきりしないまま始まった同居生活は、リアにとって緊張の連続だった。
一緒に夕食を食べるくらいならまだいい。二人きりで夕食を食べることは以前から何度もあった。だがリアが台所でゼインに出くわしたり、掃除をしているリアにゼインが「ちょっといいか?」と突然声をかけてきたりするたびに、リアは心臓が飛び出すかと思うほど驚くのだ。
「リア」
同居が始まって数日が経ったある夜。夕食が終わり片づけも終わった頃、寝室にいたリアは突然扉の向こうから聞こえた声に肩をびくりとさせた。
「は……はい、ゼイン様」
「ちょっと頼みがあるんだが、今いいか?」
リアは急いで扉を開けた。ゼインは扉の前に立ったまま部屋の中をちらりと見て「本を読んでいたのか?」とリアに尋ねた。部屋の中にある机の上には、ページを開いたままの本が置かれていた。
「……あ、はい」
「邪魔して悪いな。実はリアにちょっと手伝って欲しいんだが」
「大丈夫ですよ」
リアが答えると、ゼインは「これを見てくれ」とおもむろに後ろを向き、生成りのシャツをまくりあげた。突然露わになるゼインの背中にリアは驚いたが、すぐにその表情が険しいものに変わった。
「一体どうしたんですか、その傷は?」
ゼインの背中にはぐるぐると包帯が巻かれていた。包帯にはうっすら血が滲んでいて、傷はまだ新しいものと思われた。
「昼の狩りでちょっとな。戻ってからフォリーに手当てしてもらったんだが、包帯を変えたい。手伝ってもらえるか?」
「もちろんです! さあ、どうぞ中へ」
部屋に入るよう促されたゼインは少し動揺したのか、何度か瞬きをした。だがリアは「薬と包帯を持ってきますね」と言って階段を下りて行ったので、ゼインは遠慮がちにリアの部屋に入った。
このお話は第2部で完結となります。ラストまで毎日更新いたします。どうぞよろしくお願いします!




