ep.38 "国家の裏庭<極秘機関エイワ>"
ここは…どこだろう。
気づいた瞬間、僕は息を止めていた
目の前が黒い
明かりがないというより
世界そのものが、黒で塗り潰されている。
上下も、壁も、床も曖昧…
視線を動かしても、返ってくるのは
「何もない」という事実だけ
音も、匂いも、温度さえ感じ取れない。
僕はこの場所を知っている。
ミズイの町で暴走した時
アーヴェスの血を吸った瞬間、意識が遠のいて…
そして僕は、同じこの闇の中をただ彷徨っていた。
ここでレイヴンと話した
意識の奥にいる彼女と。
確かに言葉を交わしたはずなのに
肝心なところだけが抜け落ちている。
何を…話したんだろう。
思い出そうとしても
指の間から砂が零れるみたいに
綺麗に記憶が崩れていく
掴もうとすると、頭が痛む。
…いや、今はそこじゃない
僕はなぜまたここにいる?
答えはゆっくりと浮かび上がってきた。
僕らは、研究所には入らないはずだった
その脇にある町で短い休息を取るだけ
情報の欠片でも拾えたら御の字で
それ以上は深入りしない、目立たない…
そう決めていた
なのに。
気づけば僕らは
国を揺らすほどの混乱に足を踏み入れていた
「戦うつもりはない」なんて言葉は剥がれ落ちる。
あれは偶然だったのか
それとも、必然…
…誰かが最初からそうなるように並べていたのか。
僕にはまだ分からない。
まさかこんな場所で
まさかこんな形で…
旅が終わりを告げるかもしれないなんて。
~~~~~~~~~~
僕らは次の町へ向けて歩いていた
空気が変わる
土と草の匂いに、鉄の錆と薬品のような
刺激臭が混じりはじめる
嫌でも分かる…
異形研究所エイワが近い。
表向きの看板は異形の生態調査
だが、その裏で行われているのは
異形と人間を使った人体実験。
奴隷が消えていく
いろんな町で子どもが行方不明になる
もしかしたら…
その行方不明は
ここへ流れ着いているのかもしれない
研究所の地下で
実験体として閉じ込められているのかもしれない。
国の名のもとに、命が材料として扱われている。
倫理…そんなものはここにはない
あるのは成果と数字と
口を閉ざすための権力だけだ。
この国の闇が
隠れもせず堂々と地上に存在している。
許せない
見過ごせるはずがない
…それでも。
研究所は、あまりにも国と繋がりすぎている
役人、兵士、資金の流れ
物流、医療、情報…
どこから切り込んでも
こちらが先に潰される未来が見える。
今すぐ叩き潰したい
だが、それをやるには
今の僕らでは力が足りない。
正面から喧嘩を売れば
勝てるかどうか以前に危険すぎる…無謀だ。
だから僕らは研究所へは行かず
研究所の脇にある町…エイワの町へ向かった
町人の多くは研究所で働く人間だ
目も耳も多く噂が回るのも速い
よそ者が長く滞在すればそれだけで危険になる。
僕らの目的は休息だけ
ほんの短い補給
それと、拾えるなら情報の欠片。
(…いつか必ず、この施設は終わらせる)
エイワへ続く道中
異形が何体も現れては襲いかかってきた
茂みの影から、瓦礫の隙間から、木々の間から
僕らは黙々と剣と肉体で倒していく
戦いそのものにもう慣れてしまった。
呼吸、視線、体が勝手に動く
慣れというのは、ときに恐ろしい
最初は、異形を倒すことにも抵抗があった
いまは…処理として片づけてしまえる。
倒れた異形を見下ろす
まだ熱のある肉体、黒い血、歪んだ骨格
どう見ても、これは人間とは別物だ。
(…この怪物から、人間が作られている…)
カナのこと…異形人間のことが脳裏をよぎる
あの子はあの子だ、僕らの仲間だ
それは揺るがない。
…でも。
この世に蔓延る異形、国の戦力を増やすには
たしかに都合がいいのかもしれない
兵にして、使い捨てにして命令で動く駒にする
国にとっては便利だろう。
だけど、僕には理解できなかった。
"なぜ異形から
人間を作ろうとする発想が生まれる"のか
なぜそんなことが可能なのか
考えれば考えるほど、謎だけが増えていく。
ロジェロも倒れた異形へ視線を向けている
剣を握る手は緩んでいないが
眉間だけがわずかに寄っていた。
彼女もまた同じ疑問を抱えているのだろう
僕らがまだ知らない、この世界の秘密を。
「この世界は…謎に満ちてるみたいだ」
僕らが暮らしていた日常は氷山の一角だった
見えていたのは表面だけ
水面の下にはまだ分からないことが山ほどある。
ロジェロは頷き、それから静かに言った。
「不思議な話だが…私たちの旅は国への反逆だ
疑問に足を取られている場合ではない。
真実を知るのは…全てを終わらせてからでいい」
それは正論だった。
僕は目を閉じる
胸の奥の好奇心を押し込める。
知りたいという衝動は時に刃になる
今ここで振り回せば
仲間を傷つけてしまうかもしれない。
僕は小さく頭を振った
考えるなと自分に言い聞かせるように。
(今はただ、目的に向かって歩く)
拳を握る
国の闇が、匂いと一緒に少しずつ近づいてくる。
~~~~~~~~~~
エイワの町は店は少なく高い建物もない
背の低い一軒家が道沿いに並んでいる
派手さはない
だけど、ひと目で分かる生活の町
噂通りのホームタウンだった
帰る場所みたいな匂いがした。
僕らは指名手配
場所が場所だ…いつもより徹底して顔を隠す
フードを深く被り布で口元を覆う
歩き方も姿勢も少し変え、一般人を演じる。
問題は…ロジェロだった。
彼女は鎧を脱いだ
鎧の下から出てきたのは
子どもの落書きみたいな
不思議な絵柄が胸いっぱいに描かれた服
色も妙に元気な配色
こちらの警戒心を正面から殴ってくる。
「なんだ、その服…」
アスノが気味悪そうな顔で言った
視線がシャツからロジェロの顔へ移る
僕も同じだった
目立つ…鎧より目立つ。
「…お気に入りの私服だが…」
ロジェロは真顔だった
何かおかしいことでも?と言いたげに
当然のようにこちらを見つめてくる
こんな状況でふざける性格じゃない
つまり彼女は、本気でこれを普通だと思っている。
言葉を飲み込んだ
目は真剣で、眉ひとつ動かしていない
本人に悪気が一切ないやつだ。
妙に誇らしげな表情に言葉を失う
アスノも絶句している
主にセンスの方向性で…
そして何よりどう考えても目立つ。
このままではさすがに危ない
僕は一度、息を整えた
言い方を間違えれば、ロジェロの心は傷つくだろう。
だから僕は別の理由を選んだ。
「僕の羽織、貸すよ…寒いだろ?」
あくまで気温を気遣う体で羽織を差し出す
実際、季節は寒い
風が冷たく日陰に入ると芯まで冷える
僕は凍え死ぬことはない、寒さは耐えればいい。
ロジェロはきょとんとした
一拍、間があって
それから素直に羽織を受け取り肩に掛けた。
「…ありがとう」
服の絵柄が隠れる
僕はようやく胸の奥の焦りを吐き出す
…よかった
世界の平和じゃない
僕らの生存率が、ほんの少し上がった。




