フェルキールの花
右腕に義手をつけた女性は、布団に寝かされた見知らぬ少女モルディコルと、その横で介抱するヴィンストールを交互に見て、顔に一筋の汗を浮かべ、困惑した表情を見せた。彼女こそが、皆の母であるアルケルフだった。
「……私は、食料を頼んだはずなんだが……?」
「食料はあとで何とでもなるよ。けど……」
アルケルフは頭を抱えるようにため息をつきながらも、モルディコルの額に手を当てて熱を確かめ、服の下の傷を確認し、その表情を険しくする。
「……こいつにはあとがないかもしれなかったんだ」
「その判断は間違っちゃいないみたいだね。ずいぶん衰弱してる……」
「うん、俺の弱い魔法でも、気絶しちまうほどだった」
「俺の……?」
「あ」
頭にたんこぶを作ったヴィンストールをよそに、眠るモルディコルの顔を、少年と、まだ幼い少女が興味津々に覗き込んでいて、その少し後ろでは、眉間にしわを寄せ、複雑な表情を浮かべたキルリラがモルディコルを見下ろしている。
「それにしても、街では見たことのない顔だね……どこの子だ?」
アルケルフがそう言うと、モルディコルの顔を覗き込んでいた少年、エノアイドが、胸に浮かんだことをぽつりと漏らした。
「いいな、まつげが長くて……お姫様みたい」
エノアイドの声は、どこか憧れのようなものを含んだものだった。
「そうなんだ。姫様なんだよ、こいつ」
アルケルフにはヴィンストールのその言葉が確かに聞こえていたが、理解が追いつかず「何だって?」と、つい聞き直す。
「数か月前に、皇后を殺した罪で追われてた帝国の姫モルディコル・リオネペル……それがこいつだって俺の記憶が言ってて、名前を呼ばれた時の反応も、それを証明してた」
「この子が……帝国の……?」
キルリラは、モルディコルを改めて見つめ、息を呑んだ。アルケルフは机に散らばった紙を探り、その中から一枚を抜き取ると、そこに描かれた少女の絵と目の前で眠るモルディコルの顔を見比べた。
「本当だ……痩せていて少し印象は違うけど、あんた、よく覚えてたね」
「同い年だったんだ。俺とは境遇なんか全然違うけど……こいつも、この国でひとりになったんだと思ったら、気になってた」
少しの沈黙のあと、ヴィンストールは打ち明けるように続けた。
「……母さん、こいつ……うちで匿おう」
「なっ……ヴィンストール、本気で言ってるの!?」
誰よりも早く声を上げたのはキルリラだった。その顔には、先ほどの一件を忘れていないことが、拒絶となってありありと滲んでいる。
「仕方ないね……私が預かる」
「アルケルフさん……!こんな……こんな人殺しを家に入れるなんて、どうかしてるわ……!」
「この子が自分の意志で殺したのかはわからないだろう。何の裏もなく、帝国の皇后がこんな小さな子一人に殺されるほどやわだとも思えない」
「そんな憶測で……!もしアルケルフさんに何かあったら、私……」
拳を握りしめたキルリラは、モルディコルを睨んだ。
「それに、帝国の人間よ……!この国の皆を苦しめてきた連中の一人……そんな子、助ける必要なんてないわ……!」
その言葉を聞いたヴィンストールは、胸の奥にざわめきを感じる。
「キルリラ、落ち着け。らしくない言葉を吐いてるぞ」
「じゃあ撤回してよ、さっきの言葉……!怖いのよ、怖いものは怖い……!」
「いやだ。ここで放り出せば、俺たちが殺したのと同じだ」
不安を捨てきれないキルリラに、アルケルフは諭すように言う。
「あんたの気持ちもわからないわけじゃない。怖いと思うのは当然だ」
「じゃあ……!」
「だけどね、キルリラ。あんたは今、その感情に目を塞がれすぎている。自分で吐いた言葉を、もう引っ込められなくなっているんだろう。嫌いなものを嫌いと言い続けても、嫌いで終わってしまうよ」
「……!」
アルケルフのその言葉に、ヴィンストールも重ねる。
「俺たちだって、見捨てられなかったから今ここにいるんだろ」
キルリラは、なおも認めきれない様子で歯を食いしばったが、アルケルフとヴィンストールの意志を覆せないと悟ると、何も言わず闇の魔法で姿を消し、逃げるようにその場を去った。
「おい、キルリラ!」
「そっとしてやれ、ヴィンストール」
「……でも」
「今追いかけたって、また言い合いになるだけだよ……まだあの子には考える時間がいる」
アルケルフは、ヴィンストールの頭にそっと手を乗せた。
「しかし、あの子があそこまで取り乱すとはね……」
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モルディコルはゆっくりと目を覚まし、まだ状況を掴めないまま、しばらく天井を見つめた。
見知らぬ小屋の布団に寝かされていることに気づき、一瞬戸惑ったが、すぐにヴィンストールに気絶させられたことを思い出し、胸の奥に嫌な予感が広がっていった。
「よう、起きたか」
横から不意にかけられた声に、モルディコルは驚いて身構えようとしたが、身体が痛み、布団から身を起こすことすらできない。
「ここは……どこだ……?」
「俺たちの家だ」
「……そうか。もう、逃げられそうにもないな」
モルディコルは俯き、諦めたように口角を上げた。
「……帝国へ突き出すなら、早くしろ」
「おいおい、俺らはお前を売る気なんかねぇって」
ヴィンストールは安心させるつもりで言ったのだろうが、その言葉はモルディコルには届かず、彼女はそっぽを向いた。
「……信用できない」
そんなモルディコルを前にヴィンストールは困ったように頭をかいて、このままでは何も始まらないと思ったのか、思い切って口を開く。
「なんでかって言うとな……本当は、俺らも帝国に知られたらまずいんだよ」
「……どういうことだ?」
「俺たち……親のいない孤児なんだ」
物陰からエノアイドともう一人の少女が顔を覗かせ、モルディコルをじっと見つめている。ヴィンストールがそちらを指差しモルディコルが視線を向けると、子供たちは慌てて顔を引っ込めた。
「あいつらもみんな、孤児だ」
「……孤児を匿っているのか、この家は」
「そうだ。本当は帝国に引き渡さなきゃいけないんだけどな。話じゃ、連れていかれた子は身体をいじられて、実験台にされるらしい……その話、本当なのか?」
「わからない。そんな話は、私も知らない」
「ふーん。姫様だからって、何でも知ってるわけじゃないんだな。ま、そういうことだ。俺らはお前のことを密告できるような立場じゃない。俺らだって、帝国に知られたらまずいんだからな」
「……」
「まだ信用してないみたいだな?」
口数が少なく、依然として心を許そうとしないモルディコルだったが、やはり腹だけは素直で、ぐう、と腹が鳴る。赤面するモルディコルにヴィンストールは目を丸くしたが、すぐに立ち上がると、声を張ってアルケルフを呼んだ。
「母さん、ご飯まだかー?」
「はいよ、いま持っていくよ」
アルケルフが湯気の立つ器とパンの乗ったお盆を手に部屋へ入ってくると、煮込まれた野菜の匂いが部屋に広がり、モルディコルの腹は、早く食べたいと訴えるようにさっきよりも大きく鳴った。
「……貴様がこの家の主か」
「ああ、アルケルフだ。孤児を匿ってる……帝国から見れば、あんたと同じ罪人さ」
その名を聞いたモルディコルは、気を失う少し前の記憶がぼんやりと蘇った。
「アルケルフ……街の見張りの兵士が言っていた。その名の者を訪ねろと」
「アマトーか……あいつ、情でも湧いたか?」
盆を置くと、モルディコルは目の前の食事に釘付けになり、アルケルフは椅子に腰を下ろして頬杖をつき、食べるよう促した。モルディコルはわずかな躊躇を見せたが、ヴィンストールから聞いた孤児の件、そして自分を救ってくれた兵士、アマトーが頼れと言った相手を目の前にして、やがて空腹に耐えきれなくなったのかパンにかぶりつき、まだ飲み込んでもいないうちに野菜のスープを口に入れ、パンを柔らかくして一緒に飲み込んだ。
「……美味い。雑草とか腐った食事なんかとは、全然違う」
「当たり前だ!そんなもんと比べんじゃないよ!」
その品性の欠片もない食べ方に、よほど飢えていたのだろうと察し、アルケルフは悲しい目を向けた。
「……あんた、行く当てなんかないんだろ?」
「そう、だな……もう、あとは……死ぬのを待つだけだろう」
死を受け入れたようなその言葉が建前だということは、美味しそうに食事を貪る姿を見れば一目瞭然で──。
「ガキがそんな悲しいこと言うんじゃないよ。私ですら、まだ言ったことないのに……このまま死なれるのも、追い出した先で処刑されるのも、胸糞が悪い。だったら……」
アルケルフは、ついにその言葉を口にした。
「私の子になって生きろ」
「……!」
「罪とか、身分なんか、知るか。過去の自分は捨てて、ここでやり直せ」
その言葉に、モルディコルの目が揺れる。
暗闇の中に突然差し込んだ光。
手を伸ばすべきか、目を逸らすべきか。
受け入れかけた死を捨てて、もう一度、この世界に希望を見てもいいのか。
~~
はあ、はあ、と荒い息。
鼓動の音が、鮮明に聞こえる。
~~~~
忘れもしない、あの日。
そこから始まった家族との日々を、走馬灯のように思い出す。
ノイズ交じりに、思い出す。
~~~~~~
『そういえば、名前……どうしようか。いつまでもこの呼び方だと目ェ付けられるぜ』
ヴィンストールが、モルディコルと二人で街を歩きながら呟き、ディーミンに広がる一面の花畑を指さした。
『じゃあ、フェルキールってのはどうだ?ディーミンの花の名前だ』
初めて見たときには、その美しさが心に映ることはなかったが、荒んでいた心が少しずつほどけてから再び目にしたその花畑は、彼女の心を動かし、忘れられないものとなっていた。
『フェルキール……私が……』
『岩山でも、どんな逆境にあっても必ず咲く、"不屈"って意味を持つ花だ』
『……うん、気に入った』
ヴィンストールからもらったその名前は、アルケルフに話すと反対された。
その理由は、いまだにわからない。
~~~~~~~~
『綺麗……でしょう。ディーミンの誇る花畑です』
月日は流れ、ディーミンへやってきたレイヴンと、花畑を歩いたあの日。
フェルキールが風に揺れる花々を見つめながら言うと、レイヴンは花畑へ目を向け、どこか悲しげに表情を曇らせた。
『……アウズンブラ……だね』
『他の街では、そう呼ばれているんですか?』
『いや、失礼。私がそう呼んでいるだけだよ』
レイヴンは、不思議そうに自分を見るフェルキールへ目を向けることもなく、花畑を見つめたままぽつりと呟いた。
『……私は、この花が好きじゃない』
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そして意識は、現在へ引き戻される。
ディーミンの街へ入ったフェルキールは、荒い息を吐きながら走っていた。
「ハァ、ハァ……!」
一致しない。
一致しない。
記憶の中にあった花畑は、かつての美しさなど微塵も残していなかった。
枯れたのではなく、根こそぎ抜き取られていた。
残った数本の花すら、醜く見えた。
「グゥッ、ハッ、ハァ……!」
「フェルちゃん、どうしたんだよォ!?」
思い出と重ならない光景に嫌な予感を募らせながら、なおも走り続け、やがて立ち止まったフェルキールの目に映ったのは、アルケルフの家だった。
──家は崩れ、人の気配を失ったようにしんとしていた。




