皇后殺しの姫君
空は澄んだ朝の青に変わっていて、列車を降りてからかなりの時間が過ぎていることがわかる。
茂みをかき分けながら森を抜けると、視界が開けた先、山の中腹に大きな街が広がっていて、荒々しい山々に抱かれるように築かれたその街には、力強さがあった。
「ここがフェルちゃんの故郷かァ……」
故郷とはいえ堂々と街道を進むわけにはいかないので、二人は目立つ鎧や服を隠すように、厚手の地味な布を頭から被っていた。
「検問、いるなァ」
帝国領の街には検問の兵がいて、ディーミンも例外ではない。
「誰も見てねェことを祈って、壁を越えるしかねェか?」
「いや、その必要はない」
ディーミンへ向かう間に、断片的な報せくらいは街へ入っているかもしれないし、入っていなくとも、万一見つかってもめごとを起こす危険を考えれば、運に任せて街壁を越えるわけにはいかない。
フェルキールは何か考えがあるのか、街の外周をぐるりと回り込んでいった。
遠回りに見える道筋だったが、どこか目指す場所があるように進み、やがて反対側の門の近くへたどり着いたその時だった。
「動くな」
ティナートは、背後から聞こえた男の声に身体を固めた。
首には剣先を突きつけられ、見張りの兵にまんまと見つかったのだと悟ったティナートの頭に、攻撃して強行突破するか?という物騒な考えがよぎる。
だが、ティナートが動くよりも早く、フェルキールはその兵へ声をかけた。
「見事な警戒だ。帝国兵として十分すぎる働きだな、アマトーさん」
そう言われると、兵は身体を揺らし、兜を上げて素顔をさらした。
うっすらと皺の刻まれた顔からは、半世紀を知るほどの年齢だと感じ取れた。
「よう、フェル……帰ってきてほしくなかったぜ」
アマトーという名の兵は、表情を暗くした。
口ぶりから、アマトーがただの帝国兵ではなく、フェルキールと何らかの関わりを持つ人物であり、その落胆の色から、彼がすでに何か嫌な予感を抱えていたことも察せられた。
「その様子だと、すでに話が回っているようだな」
「プラティカムが半壊したという報せが今朝届いた。詳しいことはまだ何もわからんが……よりにもよってその直後にお前がこの街へ戻ってきて、その言いぶりだ……そういうことなんだろう」
アマトーは、睨むようにフェルキールの目を見た。
「プラティカムでは怪我人も、死人も大勢出たそうだ……フェル、お前がやったのか」
「……ああ」
フェルキールは曇りなき目で告げ、その返事にアマトーの目が揺れる。
「プラティカムの惨事は、私が止められなかったものだ」
「……どういうことだ?」
その意味深な言葉を探るように、アマトーの視線はティナートへ向いた。
「……そこの男が関わっているのか」
「俺ェ……いや、その……責任がねェとは言わねェが……」
言葉を濁すティナートが背中の荷を気にしたそのわずかな反応をアマトーは見逃さず、彼は背中を覆っていた布に手を伸ばすと、アマトーの目に映ったのは、死体のように眠る少年──シルだった。
「この……少年は?……死んでいるのか?」
「いや、生きている。呼吸もしている……が、こちらの声が届いているのかは分からない。呼びかけても答えず、身体も動かさない。時折、涙を流す……きっと心が、まだ現実を受け止められていないのだろう」
「フェル……はっきりと言ってくれ、何があったんだ」
フェルキールは、言葉を考えた。シルのせいだと言うのは気が引けるが、だからといってここで真実を伏せたままでは、アマトーは──。
「あれは、彼が力に呑まれて起こったものだ。故意ではない……だが、責任は私にある。あれを、他人事のように切り離すつもりはない」
シルを見て、アマト―は息を呑んだ。
「……そうか。故意ではなかったと聞いて、良かった、とは言えないがな。人が死んでるからな。いや……ただ、俺がかつてこの街へ引き入れた少女が、こんな惨事を起こしたかと思うと、罪の意識に潰されそうになっていた」
アマトーは、過去を思い出していた。
かつて、帝国を追われ、行き場をなくした幼いフェルキールを、危険を承知でディーミンへ招き入れた男が、アマトーという兵士だった。
「すまなかったな……お前が望んでこんなことを起こす奴じゃないことくらい、わかっていたはずなのにな」
フェルキールとアマトーは目を逸らさず、互いの心の奥まで覗き込むように見つめ合った。
「真実が違えど、帝国にとって私はプラティカムに甚大な被害を出した反逆者だ。あなたが見逃していい相手ではない。それでも、アマトーさん……あの時のように、私が穢れた人間だと知っていても……この街へ通してもらうことはできるだろうか」
アマトーはため息のように息を吐き、わずかに口角を上げた。
「あれから長い時間が経って、俺も兵士としてはそれなりの立場まで来ちまった。まだ人生楽しみたいもんでな……そんな下手な真似はできねぇよ」
フェルキールはその言葉に、自分の頼みがどれほど無責任だったかを悟り顔をしかめると、アマトーは、視線を門の方へ流した。
「……反逆者なら反逆者らしく、兵の目を盗んで通っちまえばいいだろ。ほら、門が開いてる」
「アマトーさん……」
「捕まっても、俺の名は出すなよ」
堂々と門を通れば、騒ぎにはならない。周囲から見れば、ただ検問を抜けた旅人にすぎない。
今のフェルキールたちにとって、これ以上都合のいい方法はない。
フェルキールは深く感謝するように頷き、門へ向かって歩き出した。
アマト―はその背中を見送りながら、彼女たちが門を抜けたところで、あることに気づく。
「あっ……いけねぇ……あいつらのこと、言い忘れてたじゃねぇか……」
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紫がかった桃色の花畑が山を抜ける風に揺れ、花びらを散らしている。
ディーミンの花畑というものは、帝国でも随一の美しさを誇る場所であり、一面の桃色はただ華やかなだけではなく、無骨な山の街に咲くからこそいっそう鮮やかに見えた。初めて目にした者なら、しばらく言葉を失うほどの光景だろう。
その花畑の中に、大人でも持ち上げるのが難しそうな大岩が地面に半ば埋もれるように転がっていて、その岩の上では、まだ未熟さの残る、目つきの鋭い少年が寝そべっている。
その少年の目に、この花畑は見慣れた日常として映っているので、彼がディーミンの住人であることはすぐにわかった。
「ヴィンストール・アシェインさん」
岩の背後で黒い靄のような闇が突如として揺らぎ、紫色の長い髪をした少女が姿を現した。
彼女がその少年──ヴィンストールの名を呼ぶと、彼は言葉を失い、目を見張った。
「驚いた?」
「キルリラか……当たり前だろ。闇の魔法って、そんなこともできるのか」
紫髪の少女、キルリラが少し得意げに微笑むと、ヴィンストールは、ケッ、と不服そうに顔をそらす。
「これから、かくれんぼできないじゃんか?」
「ヴィンストールだって、鬼ごっこで雷の魔法を使って、一日かかっても捕まらなかったじゃない。同じでしょ?」
「ぐっ……そうだった……ってか、姿が見えなくなったら何やっても勝てないじゃんか!?卑怯だろ、キルリラとはもう遊ばねぇ!」
「ふーん……そう。じゃあこれ、驚かすくらいしかないわネ。今度は……夜にでも使ってみようかしら」
キルリラがいたずらっぽくそう口にすると、ヴィンストールは顔面蒼白になり、情けない声を漏らした。
「……便所行く時とかには、絶対使うなよ……」
「まあ、それは……ヴィンストール次第ネ?」
キルリラは勝ち誇ったように笑うと、何かを思い出したように話を変えた。
「あ、そうだ。アルケルフさんの伝言を伝えに来たの」
「母さんから?」
「うん。食べ物が少なくなってきたから、エノアイドと二人で買ってきてくれって」
「またか……この前あんなに買ったのに。こんなに続けて行ったら、米屋のおっちゃんも、もうまけてくれないだろうな……」
ヴィンストールは身体を伸ばし飛び起きて、服についた砂を払い、街の店へ向かおうと顔を上げたところで、花畑には似つかわしくない冷えた空気のような、どこか悲しさを醸す気配に気づいた。
おつかいのことなど頭から抜け落ちたように意識が引き寄せられ、ふいに目線を移すと、向こうから歩いてくる少女の姿が目に入る。ただの迷子や旅人ではないと思わせる何かが、その少女にはあった。
「……誰?」
「さあ……見ない顔だな……」
近づくにつれて、鮮明になる姿。
少女は布で身体を隠しているものの、露わになっている肌にはいくつもの傷が残り、痩せた手足には、ところどころ血を拭った跡がある。どう見ても、普通の子供ではなかった。
キルリラは気味悪がるように警戒をし、一方で、ヴィンストールはその少女に興味を抱いていた。
少女は二人の前で足を止めると、睨みつけた。見世物ではない、とでも言いたげな攻撃的な目に少したじろぎながらも、ヴィンストールは話しかけた。
「傷、大丈夫か?」
「……黙れ、下民……が……」
その言葉に、キルリラはむっとした顔をした。
傷を心配しただけでそんな言葉で返してくる少女に、納得のいかない様子であった。
「ちょっと、あなた……!」
「落ち着け、キルリラ」
ヴィンストールは、キルリラを制止した。
「……」
少女はヴィンストールの心配にも、キルリラの怒りにも目を向けず、弱々しい足取りで二人の横を通り過ぎ、街の方向へ消えていった。
「なんなの、あの子……ひどい態度。ヴィンストール、放っておきましょ。母さんのおつかいに行かないと」
しかし、ヴィンストールは、少女の姿が見えなくなってもその方角から目を離さなかった。
「……いや……尚更、放っておけないな」
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ディーミンの街を歩く少女は、食べ物の香りに何度か足を止めながらも、人の流れに逆らって歩いていく。
皆、その異質な雰囲気に目を奪われたが、余計な面倒を増やしたくないのか、物乞いにも見えるその姿を恐れたのか、誰も助けようとはしなかった。
少女は盗みを働くこともなく、結局通りを素通りし、やがて人の気配の少ない場所に座り込むと、しばらく何かを考え、涙を一つ零した。
「お母……さん」
布を握りしめ、声を殺して一人静かに泣いていると、その目の前にひとつのパンが差し出され、焼けた小麦の匂いに少女はゆっくりと顔を上げた。
「ほら」
そこには、ヴィンストールが立っていた。
少女は差し出されたパンを見つめると、空腹を隠せず腹が鳴るが、それでも受け取ろうとはせずそっぽを向いた。
「……いらん」
ヴィンストールはため息をつくと、少女の横に腰を下ろした。
「俺たちみたいなやつらの飯は食えないか?……姫様」
「……!」
その言葉に、少女は先ほどまでとは違う警戒の色を見せた。
「あんた、手配書に載ってた皇后殺しだろ──モルディコル・リオネペル」
その名を聞いた瞬間、少女は手元に転がっていた尖った石片を掴み、残る力を振り絞るようにヴィンストールへ襲いかかった。
「お、おい!」
やめろと呼びかける声にも耳を貸さず、必死の形相で喉元へ石を突き出す彼女に押され──
バチィッ!
ヴィンストールは咄嗟に雷の魔法を放ってしまう。
「がっ……」
微弱な電気であったが、傷つき衰えた少女の身体には十分で、彼女はその場に崩れ意識を失った。
「あっ!ごめん、そんなつもりじゃ……!おい、起きろよ……死んでねぇよな……?」
焦ったヴィンストールは彼女を抱きかかえると、どこかあてがあるのか、一目散に街の中へ駆け込んでいった。
これは、まだ彼女がフェルキールではなく、モルディコルと呼ばれていた頃の話──。
ディーミンへ流れ着いた少女が、初めて家族と出会った日の話である。




