ep.32 "暴走"
カノレフの体が…文字通り消し飛んでいた
さっきまで彼がいた場所には
履いていた靴と足だけがそのまま残されている。
あまりに突然の光景に
アスノ達の動きが止まった。
「お、おい…ゲイル…」
アスノが震えた声を漏らす。
様子がおかしかった
喧嘩をしたことのない平和主義者
さっきまで自分から降参をしていた男が
まるで別人のように躊躇なく拳を振るったのだ。
僕らの言葉は届かないまま
ゲイルはゆっくりカナの方へ歩き出す。
喉の奥から
言葉にならないうめき声を漏らしながら
ゲイルは拳を高く掲げた。
「お…おい!」
その拳はどう見てもカナに向けて
振り下ろされようとしていた。
考えるより先に、体が動く
僕は咄嗟に走り出し
倒れたカナを抱きかかえる
そのまま、その場から離れようとした…が
振り下ろされた拳は
僕の背中を容赦なく殴り飛ばす。
カナを抱いたまま僕は壁へと叩きつけられる。
「お前…何してんだ…!そいつはカナだぞ!」
アスノが怒鳴るように叫んだ。
ゲイルは表情一つ変えない…
アスノのほうをじっと見据え
次の瞬間、頭を抱えるようにして
苦しげに身をかがめる。
「…ア…アスノ…」
息は荒く、汗が流れて始める
瞳は揺れ理性が消えかけている
その姿はまるで
自分自身と戦っているように見えた。
「僕を…」
「僕…を…止めて…くれ…!」
「止めてくれって…お前…」
アスノは戸惑う。
その一言を最後に、再び空気が変わった
ゲイルの顔から感情が抜け落ちる。
無表情に戻り
禍々しいオーラだけが膨れ上がっていく
まるで自分の内から溢れ出す力に
制御が効かなくなったかのようだ。
もう…敵も味方も区別しない。
この異常に似たものを、僕らは知っていた
ミズイの町の暴走…それとよく似ていた。
ゲイルはゆっくりとアスノのほうへ歩み出る。
アスノは静かに構える
瞬きをした
その一瞬でゲイルが目の前にいた。
「──っ!」
視界が裏返るほどの衝撃
アスノの体は壁へと叩きつけられ
そのまま壁にめり込む。
メレスの巨腕以上の重さ
その桁違いの強さに、思わず笑みがこぼれた。
「とんでもねェな…」
体勢を整え
反撃に転じようと双竜拳を構えたその瞬間
巨大な手が、アスノの頭を鷲掴みにする。
続けざまに、腹へ叩き込まれる重い一撃…
肺から空気が抜け
アスノはその場に崩れ落ちる。
ゲイルは無言のまま
今度はロジェロのほうへ向き直る。
ロジェロは剣を構える。
(本当は…ゲイルに剣を振りたくない…
だが、やるしかない…)
"桜閃"!
ロジェロは地を蹴り、一閃を放つ。
その刃は確かにゲイルの体を捉えた。
しかし…
刃は皮膚をほとんど斬り裂けず
浅い傷を刻み、止まった。
横から迫る、大振りの拳
ロジェロは急いで防御姿勢を取るが
そのまま叩きつけられ、血を吐く。
今のゲイルは
目の前の人間が誰であろうと関係なく攻撃する
すべてを巻き込み
ただ破壊するためだけに動く。
人間の枠を完全に外れ
…暴走機関車のようだった。
アスノがよろめきながら立ち上がる。
腰を"異鎧浸蝕"させ、ゲイルに飛びかかった
回し蹴りが見事にゲイルの顔面を捉える。
だが、体がほんのわずか揺れただけ…
追撃のストレートを叩き込んでも
ゲイルは鼻血を流しはするが
表情一つ変えない。
まるで痛みという概念が
存在しないかのようだった。
ゲイルの反撃の拳
一撃目は、アスノが間一髪で躱す。
だが、即座に繰り出された二撃目は
避けきれない。
もろに顎を打ち抜かれ
アスノの体が宙を舞った。
僕も飛びかかって応戦する
だが…アスノの攻撃でさえほとんど効かない相手だ
僕の攻撃などゲイルにとっては無に等しかった。
拳を当てても蹴りを入れても
感触が軽すぎる。
次の瞬間、僕の視界が回転した
気づけば
アスノのそばへと投げ飛ばされている。
「ゲイルの腕と同じ現象…
アスノ、なんだその腰…?」
「"異鎧浸蝕"ってんだ…シル坊も出来るかな…」
荒い息の合間に、アスノが答える。
「いいか…全身の"血の流れ"を───」
アスノはカナから聞いた"異鎧浸蝕"の方法を
かいつまんで説明する。
説明は下手だったが…
とりあえず言われた通りやってみる。
(血の流れ…血の流れ…)
言葉だけ聞けば簡単そうだが
実際に出来るかどうかなんて
まるでわからない。
深く息を吸い込みゆっくりと吐き出す
自分の内側をなぞるようなイメージ。
全身を巡る血液を
一本の線で描くようなつもりで
僕は目を閉じた。
最初は何も感じなかった。
けれど…
意識を集中していると
その内側に違和感があった。
「足」に熱が灯る。
最初は小さな火のようなものだった
だがそれはゆっくりと大きくなっていく。
なにかが…掴めた気がした。
足から熱が湧き上がる。
燃えるように熱く
何かが噴き出そうとする感覚。
そのまま、足に力を込めると
次の瞬間…僕の足に
黒くざらついた皮膚が浮かび上がった。
"異鎧浸蝕"
「なっ…なんだこれ…!」
足首から下が黒鉄のように変質し
まるで分厚い鉄靴を履いたような感覚。
踏み込み、跳躍、蹴りの重さ
すべてが今までとは別物のように感じられた。
「シル坊、流石だぜェ…!」
(これだけで倒せるとは思えない…でも…)
「…やるしかねェな」
アスノが一歩前に出る
腰のあたりに
異形の黒い皮膚が浮かび上がった。
「!…アスノ…その腕輪、外したら?」
あっ!と今さら気づいたように
アスノは腕輪を外す
地面に落ちた鉄のような腕輪は
重い音を立てる。
アスノは拳を握り直し、口角を上げる
「さて…『本気だすか』ァ…!」




