ep.31 "虎牙の男"
アスノはゆっくりと腰の力を抜く
すると腰を覆っていた
異形の皮膚がすっと引いていき
元の人間の肌へと戻っていった。
カナが駆け寄った
「アスノ!さすがじゃな!」
アスノは白い歯を見せ笑う
「カナのお陰だぜ…!」
笑いがこぼれ、一瞬だけ戦いの緊張がほどける
階段の方から、複数の足音が近づいてきて
シルとロジェロが駆け上がってくる。
「アスノ!」「無事か!」
二人の姿を見て、アスノは肩の力を抜いた。
「アスノ様を舐めるなっての…!」
全員無事に…ここまでたどり着くことができた。
アスノは階段の上
最上階を見上げ、真剣な表情を浮かべる。
「さて…ゲイルを取り戻しに行くかァ」
その言葉に誰もが無言で頷いた。
最後の階段を一気に駆け上がる
そこは他の階と違って妙に静かだった。
薄暗い広間の奥
大きな椅子に、ゲイルが座っている
その顔に哀しみはなく微笑んでいて
…感情が入り混じっていた。
「…虎牙は…負けたのか」
ぽつりと漏れるゲイルの声。
「ああ…あとはお前だけだ、ゲイル」
アスノが前に出る。
「ゲイル! 観念して戻ってくるんじゃ!」
カナの叫びに、ゲイルはふっと笑い
ゆっくりと立ち上がった。
アスノ達は戦闘の構えを取る
だが、ゲイルはすっと両手を上げた。
それは…降参のポーズだった。
「勘弁してくれ…僕は、戦えないんだ…」
「…え?」
アスノ達は
一瞬なにを言われたのか理解できず
きょとんとした顔になる。
ゲイルは、もう一度はっきりと言った。
「僕は戦えない…いや、戦ったことがない。
この巨体も…生まれつきだ…
僕は虎牙の名前だけを継がされた男なんだ」
アスノが思わずカナのほうを見る。
「儂…町の武器屋で言ってなかったか?
ゲイルは平和主義者…
誰にも拳を振るったことがないから
戦えないんじゃと」
「なっ…なんだそりゃァ!?」
アスノが素っ頓狂な声を上げる。
ゲイルは肩をすくめ笑った。
「虎牙は…終わりだな」
ゲイルは視線を落とし
その一言をぽつりと呟いた…
その時だった。
アスノ達に遅れて
ゆっくりと階段を登ってくる足音…
するとカナの体が持ち上がった。
「!?な、なんじゃ!?」
その声に全員が一斉に振り向く。
そこに立っていたのは
ナイフを片手に
カナの首筋へ押し当てる先生。
…カノレフだった。
「おい!?先生…何してやがる!?」
アスノが叫ぶ。
カノレフの顔は今まで見せたことのない
鬼の形相に歪んでいた
その視線はカナではなく
まっすぐにゲイルを射抜いている。
「ゲイル…お前…なに終わらせようとしてんだ…」
低く絞り出すような声。
ゲイルは顔色を変え、慌てて叫んだ
「カノレフ…やめろ!カナを降ろせ!
僕らはもう…負けたんだ…!」
「こんなところで終わってたまるか…!」
怒声が広間に響く。
シルは睨み
ロジェロが剣の柄へ手をかける。
「どういうことだ!?先生!?」
アスノの問いに、ゲイルが唇を噛み
ゆっくりと口を開く。
「…カノレフは、僕の弟だ…」
「なっ…!?」
アスノ達の視線が
ゲイルとカノレフを往復する。
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ゲイルとカノレフ
二人は、虎牙組の先々代
ゼファーのもとに生まれた兄弟だった。
だがその体つきはまるで違う。
兄のゲイルは
生まれつき恵まれた巨体と頑丈な体
"次期虎牙組の頭"として期待され
ゼファーに徹底的に可愛がられて育った。
一方、弟のカノレフは…
痩せている体に戦闘の才能も見込めない
ゼファーにとって
虎牙組には要らない存在だった。
厳しい鍛錬の場にも混ぜてもらえず
いつも遠巻きに見ているだけ…
かけられる言葉は、冷たいものばかり。
カノレフは
"弱い弟"として
家族から見放されるように育っていった。
やがて彼は家を飛び出し
バーサの町へ逃げ込む。
力ではなく…知識で人の役に立とうと決めた
必死に勉強に励み、やがて人から
「先生」と呼ばれる存在になった。
…ここが、自分の居場所だ。
過去も…家も…虎牙組も
全部捨てるはずだった。
しかし。
ある日、バーサにやって来たのは
あの憎き兄…ゲイルだった。
小さい頃からなにもかも優遇されてきた男
虎牙組として期待され、父に愛され続けた男。
そのゲイルが言ったのは
「僕は…争いは嫌いなんだ
できるだけ喧嘩はしたくない
ここで、静かに暮らしたい」
あれほど優遇されておきながら
力も地位もいらないと言い
しかもカナという"家族"まで手に入れ
楽しそうに日々を過ごすゲイルの姿。
その光景を見た瞬間
カノレフの胸に渦巻いていた感情は
黒く塗りつぶされていった。
(ふざけるな…)
お前は愛されて育って
力も地位も血筋も…全部持っているくせに。
なにも持たなかった僕の前で
平和だの幸せだの…ほざくな…!
お前も苦しめ
僕と同じ苦しみを味わえ
人生がめちゃくちゃになるまで…!
カノレフの中で
復讐の炎が燃え上がる。
そしてある日、ついに行動に出る。
カナを人質に
ゲイルを虎牙組の頭へと
無理やり継がせたのだ。
喧嘩がしたくない?
平和に過ごしたい?
そうか…
なら、虎牙組を継げ
お前の手でこの町を潰せ
自分の手で自分を受け入れてくれた町を…
居場所を汚して、苦しめ。
僕の気持ちを…一生かけて理解しろ。
そうしてカノレフは
影から虎牙組を乗っ取った。
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「まさか全員やられるとは…想定外だったよ」
カノレフは歪んだ笑みを浮かべる
「ゲイル…お前にはまだ苦しみが足りねぇ…」
ゲイルは叫ぶ
「カノレフ!カナを離せ…!」
「先生…!」
カナが苦しげに声を上げる。
カノレフは
ギリギリと奥歯を鳴らし叫んだ
「お前に幸せを味わわせてたまるか…!」
その言葉と同時に
ナイフの刃が、カナの首筋を浅く走った。
「…ッ!」
カナの体から血が飛ぶ
異形人間といえど、中身は人と同じ
痛みは確かに存在する。
最後まで異形の皮膚を展開しなかったのは
…心のどこかでまだ先生を信じていたからだ。
カノレフはその体を雑に地面へ投げ捨てた
カナの顔を足で踏み震える手でナイフを構え
こちらへと突きつける。
「動くな…!」
その目には
燃えさかる怨念が満たされていた
「テメェ…やりやがったな…!」
アスノの声が低く唸る。
無言のままシルが静かに動き出し一歩前に出す
ロジェロは剣を抜きかける。
全員の怒りが頂点に達しようとしていた
その時。
背筋に殺気が走る。
自分たちに向けられたものではないのに
そのあまりの強さに
思わず冷や汗をかいてしまう。
空間そのものが歪んだような錯覚を覚え
全員がゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは…
拳を握りしめ禍々しいオーラを
全身から放つゲイルだった。
その目には、もう輝きはない
怒りを通り越し
感情がすり切れたような虚無だけがある。
「…ゲ、ゲイル…?」
あまりの変貌に
アスノは思わず息を飲む
今までどこからか優しさを感じ取れた
青年とはまるで別人だ。
ゲイルの両腕は音を立て
黒くざらついた皮膚へと変質していく。
それは…"異鎧浸蝕"だった。
戦闘経験のない男が、怒りと絶望によって
瞬時に才能を開花させた瞬間だった。
誰の言葉も、もう届かない
静かに…重い足取りで
ゲイルはカノレフへと歩み寄る。
「…あ、あぁ…?な、なんだよ…その姿…」
カノレフの声が恐怖で震え始める。
ゲイルは答えない。
ただ…
「カノレフウウウウウウウウウウウ!!」
叫びとも唸り声ともつかない咆哮をあげ
両腕を大きく振りかぶった。
次の瞬間
視界から
カノレフの「足から上」の姿が音もなく消えた。




