8:買い物、ですか?
公爵家に来てから、二週間。
最初の一週間は城の決まりなどを覚えるのと、お守り作りを優先して時間が過ぎた。
次の一週間は、ディアナの側にいられるように彼女のメイドとして仕えることになったので、本格的に仕事を始めて。
毎日様子を見つつ、瘴気が出ると祓っているが、ディアナに憑いている悪役令嬢の存在が強すぎるせいで弱い霊が寄って来ないのか……。リンネは幽霊にちょっかいを出されることもなく、順調な日々を送っていた。
「リンネっ! 買い物に行くわよ!!」
「――――え?」
そして、神官服がメイド服に変わり、せっせと廊下の掃除をしていたリンネを呼んだのは、すっかり元気になって自分の足で駆け寄ってくるディアナだ。
「ディアナ様! 廊下を走るのは危険です!」
その隣を執事のレキが、あたふたと付いて来た。
銀色の髪を揺らすディアナは、その首元に呪文を刻んだ宝石のついたペンダントをしている。
あれがリンネが自分の力を注ぎ、悪役令嬢の瘴気を吸い取る効果をつけたお守りだ。
「仕事は、もうお終い! 今すぐ出かけるから!」
鬼気迫る様子でディアナがやってくるので、リンネは困惑する。なんとなく、怒っているのは多分、気のせいではない……。
「え? あ、あの……? わたしは行かなくても――」
「何言ってるの! あなたの物を買いに行くんだから、リンネも行くのよ!!」
「えっ!?」
さらに予想外のことを言われて、リンネはその場に固まった。モップを持ったまま、立ちすくむ。
「ディ、ディアナ様……。わたしはお金を持っていないですし、神官なので必要最低限のものさえあれば」
「言ったでしょう、必要なものは全て揃えるって! 私だって神官でもプライベートでは服や食事を楽しんでいる方を知ってるわ。――それにッ!」
ガシリと肩を掴まれ、リンネは自分より背が高くて目線も上にあるディアナを見上げた。
ここに来て初めてみる余裕のない顔付きに、リンネはごくりと固唾を飲む。
「下着の替えが三日分しかないって、どういうこと!?!?」
そして放たれた、ディアナの驚嘆に彼女はポカンと月の瞳を丸くした。
◇
「――ごめんなさい。あまりにも衝撃で、プライベートなことを大きな声で叫んでしまったわ……」
心の底から反省しているらしく、ディアナに頭を下げられてリンネは頭を横に振る。
控えていたレキが気まずそうな空気を背負っているが、別に彼女は気にしていない。
「いえ。事実ですし、隠すことでもないので気になさらないでください」
「――そこは気にして!!」
下着の数を盛大に廊下で公開されたのにも関わらず、リンネはあっけらかんとしていた。
アンザレア教会堂で修行をする神官の持ち物は全て管理されており、下着は予備を入れて三セットが決まった数だった。使えなくなったら、申請して新しいものをもらう。
公爵家に遠征することになって、特別に新品の下着をもらっていたので、リンネとしては非常に満足している。
「リンネに教会から荷物が届いたと聞いていたから、物は足りていると思ってたの。それなのに、洗濯をするメイドたちから、この話を聞いて……」
ディアナは視線を落として、指を絡ませて遊ばせた手元を見た。彼女にとっては口にし辛い話題で、だんだんと声が小さくなる。
「……ああ。先日届いた荷物には、勉強に励むようにと、書物と筆記用具が入っていました。私物はここに来る時にほとんど持ってきたので、わたしのものは送られてきませんよ」
いまいちディアナが取り乱すほど驚く感覚が分かっていなかったが、リンネは彼女に落ち着いてもらうために誤解を解いた。
「……えっ?」
「――?」
しかし、またもやディアナが目を見開いているので、リンネは小首を傾げる。
「……リンネの荷物って……」
愕然と、紫色の瞳は横にいた執事を捉えた。
「……軽いトランクひとつでした」
「――――まさかここまで、なんて……」
レキの答えに、ディアナは口元に手を置く。
「リンネ。買い物に行くわよ。絶対に」
有無を言わさぬ眼光に、リンネは頷く以外の選択肢は消されていた。
しかし――。
「あ、あの……」
「行かないという選択肢はなしよ」
「……いえ、その……」
リンネには、買い物に行かない理由がまだある。
それは――。
「……わたし、神官服とこのメイド服以外は行衣しか持っていなくて……」
買い物に行くための、服がないということ。
教会が全くないグラジオラス公爵領で、神官服を着て歩いて買い物なんてしていたら、火種になってしまう。
そうなると、外を歩ける服はメイド服になるが、公爵家の城で働く証明でもあるこのメイド服で出かけたら悪目立ちするだろう。
自分が神官なのに居候させてもらっていると、立場を弁えているから、リンネはメイド服を汚すことすら避けているのだ。少なくとも、私物を買うためには着られない。
「…………私の服を貸すわ」
「すみません……」
ディアナに迷惑をかけていることは分かる。
リンネはそれ以上、自分ではどうにも出来ず、大人しく色々と世話を焼いてくれる彼女に手を合わせて感謝した。
「……とりあえず、掃除道具を片付けて来ますね」
「ええ。それが終わったら私の部屋に来て。――レキ。メイド長に伝えてくれる?」
「わかりました。馬車も用意しておきます」
「ありがとう」
それぞれ動き出すことになり、リンネは階段下にある倉庫に掃除道具を片付けに行く。
この城に来た初日、ディアナの魂の記憶を取り込めたお陰で、城内のことやら働いている人たちのことも知ることができ、仕事も早く覚えられて助かっていた。
少し遠くで呼び鈴の音がしたのは、きっとディアナだろう。
(まさか、ディアナ様と一緒に買い物に行くなんて……)
街に行くのは……正直、怖かった。
突然話しかけられたり、壁からすり抜けてきたり。
修行のおかげで霊を祓えるが、たとえ無害でもこちらが気付かずに接触するだけで、他の人からするとおかしい行動に見えてしまう。
(気をつけないと……)
リンネはぐっと唇を噛み締めた。
倉庫の扉を開くとモップやバケツをしまって、ディアナの部屋に向かう。
「――待ってたわ! 私のお古なんだけれど、これに着替えて!!」
「あ、ありがとう、ございます……」
部屋に入るとディアナが待ち構えていた。
ずいっと服を押し付けられ、リンネは狼狽える。
昔から下着以外は古着を着るのが当たり前で、初めて新品の服をもらえたのは、アンザレア教会堂に入ってから給付された神官服だった。
(……綺麗な服。ディアナ様が着てたものを、借りていいのかな……)
しかし、今ディアナから渡されたのは、とてもお古とは言えない上等な服だ。
腕の中にある服を、リンネはじっと見つめる。
「どうしたの? 気に入らなかった?」
「とんでもないです! すぐに着替えます……!」
ディアナに心配そうな顔で覗き込まれ、瞬時に笑顔を貼り付けた。
この城の主であるグラジオラス家のディアナが貸すと言っているのだ。有り難く受け取ることにする。
リンネはすぐに服を着替えた。
「――うん! サイズは平気そうね!」
「……はい」
着替え終わると、ディアナはその姿を見てうんうんと首肯する。
セーラー服のような襟が付いたモスグリーンのワンピースに視線を落とし、リンネはなんだか落ち着かない気分になった。
「可愛いから何でも似合うと思っていたわ! 今日は私服もたくさん買うわよ!!」
「……!」
リンネは瞠目する。
可愛い、というのは自分のことを指しているのだろう。
容姿に関してそんな風に言われたことがなかったのと、そもそも他人から褒められる経験がほぼないため、リンネには印象的で。
(――そうか。ディアナ様はわたしが悪魔憑きだって噂を知らないから……)
何故、こんな些細なことで心を動かされるのか。
その理由を思い出し、彼女はすっと目を細くする。
「……ありがとう、ございます……」
ただ、礼の言葉を言うので精一杯だった。