第三話 【マイノリティワールド】
この回からメッセージに《》を挿入します。突然すいません。
トォン。飛んでいく時に鳴る軽い音。
高杉:《今日はお疲れさま。合唱って歌詞思い出せないしすぐ置いてかれるしで 大変だよねw》
夜にこんなメッセージを送ってみた。送る理由なんて合唱練で目撃したあれ。最近はメッセージのやり取りが極端に減ってしまった。
今回はただのフォローのつもり。読んでもらえれば幸いだ。
彼女の行動はどう解釈しても心の悲鳴だ。やるせなさや苦しさで引き裂かれる痛みに耐えているサインだった。
これが妄想じゃなければね。期待なんてしていない。静かな夜。
ティロン。返信の音に心臓が一度跳ねる。
藤川:《 おつかれさまです 分かります、私も合唱苦手なんだよね》
菜乃花も悩んでいたんだろう。誰かに察して欲しくて会話に乗ってくれたんだ。
授業中、彼女の心情について考えていて、ふと思い出したことがあった。手のひらを強く握りしめて立つあの光景。
まさに同じだった。
度々、彼女は必ず声を出さないといけない状況と遭遇する。でも話せない。それで見切りをつけられる。きっと多かったはずだ。
「精一杯やっているはずなのに」って責任を感じて自ら苦しめる。
人との交流の機会を駄目にしてもいまだに諦めないで対話を臨む。喉から言葉が出ない悔しさは想像だけで絶句する。
今日は新月だからかやけに神経が鋭い。心の機微を上手に把握できる。
何にも考えずrainを送ったのに菜乃花から返信が来るのは素直に嬉しい。ただ彼女の心の内側を触れてしまったような気がした。
ぬかるみに手を突っ込んだような気持ち悪さ。ああ卑しいな。
次に送る返答をフリック入力する。
高杉:《そういう時は隣に合わせて口パクで歌っちゃうw》
こんな事を送るんじゃなくて、頑張って!とかそんな無遠慮なメッセージを送る方が良かったのかもしれない。
プラス思考の発言の方が勇気付けられるかもしれないのにやれなかった。多分そういう事を平然と送れる才能がないんだと思う。
藤川: 《えーw 駄目だよそういうのはwww》
菜乃花の女の子らしい反応が嬉しかった。言葉を選ぶ高揚感。ゆっくり微睡む幸いな時間。でももう進展は望めない。歯痒かった。
スマホの着信音が鳴る。目を閉じていることに気がつくと口内がベタついた。
「気持ち悪い」
菜乃花からのメッセージを待っていて眠ってしまっていた。不意になる着信音が心臓に悪くて目が覚めたみたい。光のレーザーがカーテンを貫通している。
綾瀬:《唯一、寝てるか?藤川さんについて調べててよ何個か分かった事があるんだ
藤川さんは中学でもイジメられていたんだ きっかけは男関係ってことらしい あの子にしては意外だよな》
唯一:《 そんなことあるのか?》 初耳だ。
綾瀬:《学校と互いの親御さんが内密に示談したって噂だよ》
綾瀬:《将来も苦しまずに済むんだ これからの学校生活を考えれば良い提案だったと思うね》
唯一:《制裁は?》
綾瀬:《緘口令が施行されてるからわかんかった》
薄い情報だこと。ため息を吐く。
唯一:《まあそうだろうね 深く探る場所が違うし》
綾瀬:《当たり前だろ 秘密話だって訊く相手は学生だろ 信憑性に欠けてたって知っていることがあれば言いたがるヤツくらいいるはずだ》
雑になる文体。綾瀬のメッセージから怒りを感じる。回らない頭をこねくり回して綾瀬が調べた情報を読み直した。
「男関連ってなんだ・・・・・・・?」淫らな関係を結んだということ。
「まさか、菜乃花がか。そんなバカな」
でも気になる。雨の日に似た些細な取っ掛かり。状況推察から導く正解の仕方では納得のいかない違和感。
推理系の創作物じゃないんだからミスリードではないだろ。俺は勝手に体が動いて椅子に座る。
行動と発言が真逆だ。ただ頭の中は菜乃花の知らない一面を考えていた。
登校まで余裕がある。でも充分とはいえない。この気持ちを曖昧に先延ばしさせて学校に行きたくない。行っても正解が見出せない。
どうしてこんなことに躓いているのか、疑問が刺さって抜けない。どんな意味を持つ棘なのか。根本を知りたい。きちんと答えを見つけたかった。
イスの上で俺は胡坐をかいたり寝そべってみたりと右往左往している。
薄暗い闇の膜は朝日に染まる。
そんなことしていても何一つ見出すことができなかった。フェルマーの最終定理を解こうとするフェルマーさんもこんな風に空を掴む思いだったのかもしれない。
ヒントが何一つない。幼かった頃、もう二度と会えない友達の顔を思い出す工程だった。モザイクが記憶に鍵をする。
高杉:《男関係って話だけどどんな噂があるの?》
自力で解決は難しいと判断し、助けを求めた。
綾瀬から返事がなかった。もう寝ているようだ。
ぼーっと壁に貼ってあるポスターを眺める。中学生の時に街まで綾瀬と自転車で映画館に行った。これはその時の戦利品だ。
たしかスパイ映画だったはずだ。スーツ姿の堀の深い男とドレスの美女が銃口を俺に向けている。
田舎町なので都会まで出向かないとス映画をクリーンでなんて観れなかった。
中学一年の時にどうしてもこの映画が見たかった。両親に強請り頼み込んでもダメだった。仕事の都合がその当時は合わなかった。それほど忙しかったらしい。
俺は不貞腐れつつ綾瀬にわがままを言った。ポテトとテーズバーガーを奢るのを約束し付き添ってくれた。
夏の暑さがその年一番に高かったと、テレビに映る甲子園球場でニュースで速報された。アスファルトから陽炎が沸いていて、綾瀬はもう二度と誘わないでほしいと帰りの道のりでぼやいていた。
「ははっそんな事もあったな」にやりと笑ってしまう。つい思い出に浸っていた。
それがなんの因果か脳内に閃光が走る。
————脳内に菜乃花の机がある。そして落書きがされた後があった。
ビッチ、売女、人のを取りやがってと黒いマジックペンで書かれている。
「人のを取りやがって・・・・・・」
この一言が気になった。単に誹謗中傷を書くのならビッチとかで十分だ。彼女の立ち振る舞いに似つかわしくない暴言のワード。
人のを取りやがって・・・・・・人のを取りやがって
————————人のを・・・盗りやがって・・・?
反芻するワード。
型枠にはまる基盤がはまった。それは絶対に何かがズレていた。人の恨みが込められた言葉だった。私情が挟んだ言葉だったんだあれ。
「っ覚えてるわけねーだろあんなすぐ消した物を・・・・・・・・・」
菜乃花と過ごした楽しかった日々が俺には大事だったんだ。自分が執る言動は的外れだったんだな。
「唯一、ごはんよ」
下からお母さんの声が聞こえてきた。今日は人一倍お腹が空いた。
こんなことに行きついたとして何が起きるのだろうか・・・。小学生であれば、算数の答えが知っていれば解けていて、実用しなくてもよかった。
菜乃花との関係はどうなんだ。もう進まないじゃないか。今の状態で停滞する。偶然にもあのグラウンドでの事を思い出してしまった。
理解できるようになったってもう遅かったんだ。だから過去を振り返るのは嫌いなんだよ。