第五話 【麻痺】
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第二章 :第五話
俺と綾瀬が仲良くなれたのは家が近所だったからだ。そんな理由だけで長くは付き合えない。自分はそう思っている。
2人とも控えめな性格が親和性を生んだ。たったそれだけ。意見を通す為の暴力なんて自分は、産まれてから一度も、していない。
「はぁあぁ・・・・・・・はぁっ」
脚が重い。吐く息は鈍く、息を吸えば喉が熱い。汗が口の中に入ってきてしょっぱい。
30分もあれば到着する道のり。自転車に跨る時までは満タンだった気力は5分でとっくに溶けた。
山までの最短ルートなんてのは存在しない。ただひたすら、一本道の国道を自転車で漕ぐのみ。
目線の先に映るコンクリート道は空気が歪んでいる。息はとうとう絶え絶えになり、山までの道のりがとても長く感じ始めてきた。
普段から運動が不足していたのを痛感する。太ももが重たい。
昔は頻繁に山へと綾瀬と俺は行っていた。その記憶を引っ張り出す。可笑しいな。体力なんて今よりもないはずなのに、易々と登れていた。
藤川さんと何か話そうかとしたが肺が悲鳴を挙げていて声を発せない。息が漏れてこひゅーと笛のような音が鳴る。
でも・・・・・無言でもいいかなっと思えてきた。
絵の具のように濁りがない白い雲と青い空が広がっている。静かな時間、蝉の鳴き声、少しだけ涼しい風。同じ景色を共有しているとわかっていると心も繋がっている感じがある。だから声をかけるのが無粋だった。
横断歩道で赤信号へ変わる。「止まるよー」慎重にブレーキを握る。足を地面に着けた。唯一は深呼吸をしながら髪の毛からこぼれ落ちる粒の汗を指で拭う。
藤川さんはトートバッグからスマホを取り出した。“ウチ重たかったら歩くよ?”
「大丈夫だよ、プレデターって言う化け物にも勝てそうなくらい元気元気」
チグハグな会話。意図は汲み取れても返す言葉は見当たらない。
体から汗が噴き出て、服の中で熱が溜まる。天気の気まぐれで吹く風が心地良く、冷気が肌に馴染む。信号は青色に光る。
「動くね」
俺は後ろを振り向くことができなかったから、藤川さんが今どんな顔をしているかわからなかった。だが、藤川は俺の服の裾を握っていた。落ちないようにと。
Tシャツを掴む手が強くなる。「・・・・・・やっぱり、降りるよ?・・・」
そうか、彼女の眼からは俺がひどく疲れているよに見えるのか。その言葉にはどれだけの勇気を排出するのか・・・。情けない俺の後ろ姿に吐き気がする。
「大丈夫。すぐに着くから荷台に掴まっていてよ」とカッコつけた。汗まみれの顔で振り返って笑った。
「走るよ!」
息を荒く吸う。底ついた体力、しかし、気力は溢れる。
自転車が揺れる。激しく揺れる。藤川さんは手を離さないように俺を握る。
山に着いた頃には足がパンパンになる。
さて、目の前には整備された石造りの階段がある。そこを制覇すればゴールだ。老人だっていける簡単な山。
入り口には噴水と蛇口が付いてある。栓をひねれば水が流れる。透き通る水を俺は飲んだ。休めた分体力が戻る。
陽はまだ沈むような時間帯じゃない。きっと見晴らしもいいはず。
「ここ昇ったらめっちゃ景色いいんだぜ」
俺が指指す。藤川さんはスマホを取り出して、文字を打ちこんだ。太陽の反射で見えないと思ったが木影のおかげで読めた。
――――高杉くん、無理し無しでね
「大丈夫。気にしないで。付き合わせちゃってごめんね!俺は本当に大丈夫。藤川さんこそしんどかったら言ってね?一踏ん張りを見誤ると後々になって体に障るからさ」
藤川さんは石階段の最上に視線を集約させる。確信したように頷くと腕に付けた黒のヘアゴムを右手首に通す。
両手で長い髪の毛を束ねてゴムを髪に移して結んだ。
藤川さんのポーニーテール。首筋が露わになっただけで心臓は強い力で叩かれた鐘のように鈍い音を発した。
「イケるんだね」
再度、頷く。
木は風で揺れ、木々が暑い太陽を遮ぎる。俗にいうグリーンカーテンというもの。半袖でいるので肌寒い位だった。身体が冷え切るまでには頂上へ到達したい。
階段の横には自転車専用の道が舗装されてあり、手押しで石の階段を上がる。藤川さんは隣で歩く。やっぱり日射が体力を奪っていたのだろう。息を漏らしながら呼吸をしている。
階段を一段一段上がる度に足に負担が来た。自転車を持ちながらだから、倍にだ。でもまだ木陰の涼しさがあって、ましな方だった。
昔はよく階段の道を外れて木々へ渡ってカブトムシを綾瀬と捕りに行っていた。多分季節的に考えてまだカブト虫はいるかどうか怪しい。だいたいメスが多くて、ツノが小さい!って悔しかった思い出がある。それを藤川さんに話した。
「今は虫なんて触りたくないけどあの時の無邪気さが最強に楽しかった」
藤川さんの顔色を探りながら独り言のように喋っていた。無言が辛いわけじゃない。藤川さんが倒れないように声をかけている。邪魔かもしれないが、意識が途切れては元も子もない。
頂上間際に差し掛かる。俺は肩で息をして疲労困ぱいだった。隣にいる藤川さんは疲れを顔に出さずに淡々と階段を昇っていた。額から太陽を反射するほど大きな汗の粒を溢しているが、無理しているようにも見えない。体力が俺よりあるんだな。
「藤川さん、無理しないでね。俺の思い付きで来たんだから、ギブアップなら言ってね。真っ直ぐ帰るからさ」
藤川さんは腕で汗をぬぐう。微笑みながら首を振った。木影から微かに白い陽が射す。その光が藤川の笑顔と重なる。
頂上へ着く。視界の全てが冴え渡るように見晴らしの良い景色。天気もよかったから遠くまでを一望できた。
ここまで来るのに、20分弱を使った。下と同質の酸素なのに達成感がスパイスになって美味しかった。
自分の頭上にある雲が速度を上げて移動していた。雲はすごい遅く動いているとばかり思っていたか新鮮な発見だった。
「藤川さん上見て!雲!ジェット機みたいだ。一緒に来れたから知れただねぇ!」
なんて言葉を言ってしまうほどポエミーな気持ちにもなっている。
地面は砂利が敷かれていて、歩くとジャッジャッと鳴る。
目の前に木で造られた一つのベンチがある。二人は腰を掛ける。そして俊雄さんの所でもらった菓子を開封する。一緒につまみながらぼーっとした。
あと、涙兎も食べた。藤川さんは自分のスマホで涙兎を撮っていた。画面に映るお菓子に微笑んでいた。
俺の「可愛いものが好きなんだね」で彼女は優しく頷く。
時間がゆっくりとなびいた。何かを喋ろうとはやっぱり思わずその方が良いとさえ至る。心地よかった。
車の喧騒が遠くから聞こえるけれど、今はゆっくり時間を感じる為だけのBGMに置き換わる。空を見れば飛行機雲が線を引く。住宅街も学校も小さ過ぎて、どこにあるのか分からない。できることなら、そのまま無くなってしまえばどんなにいいのか。隣に座る藤川さんの横顔、表情に変化はない。どんなことを考えているのだろうか。でも彼女の幸せをこうやって手伝える存在でありたいなぁ。
俺と藤川さんは変わりゆく青空から、夕暮れになるまでここにいた―――。
水紅色を瓶底越しから見るような真っ赤な太陽がほがらかに二人を包んだ。
山を下ると明日、また学校だ。憎むべき存在と意識したことのないクラスメイトたちがいる。そいつらがいなければいいのにな。とお腹の下から湧き上がる黒い感情と共に思想が浮かぶ。
次はあるのか。無いのならば、せめて、この夕暮れくらいは、胸に焼き付けようと思った。一人で見た景色ではなく・・・、二人で見た景色として綺麗だったから。
あっという間に紅い陽が落ちる。町の中心の方から、六時を知らせる時報が鳴った。
どこかで聴いたことのある音楽。でもそれの名前は分からない。
ああ今まで、俺たちはぼーっとしていたんだな。そう実感できた。
藤川さんがカバンから、スマホを取り出し、もぞもぞ動かしていた。
ピロリンと俺のスマホから可愛らしい着信音が鳴る。
菜乃花: ウチ 帰る時間なんだ。そろそろ帰ろうよ
ピロリン ネコが泣いているスタンプが来た。
俺は立ち上がると、
「よし、帰ろっか」っと笑った。
自転車のストッパーを足で蹴る。あとは降りるだけで苦労はない。
自転車で2人乗りをし、俊雄さんの店へ向かった。
俊雄さんはにやにやして「デートどうだった?」と訊いてくる。俺も気分が良かったから、デートと言う単語を否定せず、「最っ高だったよ」で返す。
藤川さんの自宅へ送る。
「ばいばい」俺が手振ると彼女も手を振った。
俺は家に着いて靴を脱ぐ瞬間、足に力が抜けて壁に倒れかけた。今日一日で普段使わない筋肉と運動不足が今、疲労と成って体が思い出すように襲う。
足首が上に曲がらなかった。
「おお・・・」
これはやばい。俺は明日明後日の筋肉痛で苦しまないよう、ストレッチしよう。あとは運動もしようと思った。
陽が沈んで夜になって藤川さんからrainが来た。夕飯前だったから家の中で夕飯の匂いがある。空腹感は普段より強くある。ご飯ができるまで俺は自室で布団に潜っていた。
菜乃花: 今日はありがとう 楽しかったです あと、涙兎可愛いです!
メッセージが来てから、頂上で撮っていた写真が送付されていた。
唯一: それは良かった。大変だったでしょ山みち
菜乃花:結構 足にきますね笑
唯一: ストレッチはちゃんとしてね!俺もするし笑 そういえばさあそこってね、夜も綺麗なんだよ
綾瀬と昔行ったんだなんて文章を作っていた。
菜乃花: そうなんですか?よかったらこれから行きませんか
夜の暗い部屋でスマートフォンの明かりだけがこの部屋の光。 布団から飛び上がって、rainを返した。
「マジかよ・・・・・・・」驚いた。でも嫌じゃない。もちろん肉体は疲労感でいっぱいだった。しかし、面白そうで、断る理由なんて見当たらないのだ。
“どうします?”
“行く。”
午前2時 家を抜け出した。