第100話 新しい物語の始まり
拝啓 親愛なる皆様へ。
フォレスト国に戻ってから、約一年が経ちました。
出産予定日までに、何とか単位も取得することができて、みんなよりも先に王立学園を卒業することが出来ました。学園生活を恋しく思う時もありました。
そう、あの日までは――。
◇
「うぎゃあああああああ!!」
王宮の一室に、私の叫び声が響き渡っていた。
「エリカ、こういう時は深呼吸だ、深呼吸!本に書いて——」
「うるさいですアイゼン!!深呼吸で済むならとっくにしてます!!」
「エリカ様、もう少しです、いきんで——」
「もう少しって、さっきも言ってたわよね!ブラッド、もう麻酔!麻酔してください!!」
「……まだ無痛分娩の技術は確かではありません」
「私が第一号になるか……ぎゃああああ!」
「エリカ、それは無理だ!安全か分からないものをおまえに試すわけにはいかない!」
「痛み止めの成分は、母体と胎児への影響が未検証で——」
「なんで冷静なの!?ブラッド、これは命令よ!前世の知識総動員し……いだぁぁぁぁ!」
「無茶言わないでくださいよ」
アイゼンが、私の手を握ったまま、見る見る顔色がなくなっていた。
「……エリカ、大丈夫か?」
「はぁぁ?大丈夫にぃぃぃ見えますがぁぁぁ!!」
「いや——」
アイゼンの顔が、白を通り越して、青くなっていた。
「殿下、しっかりしてください!倒れるなら外でお願いします!」
ブラッドがアイゼンに声をかけた。
「殿下、廊下でお待ちいただいても——」
医療助手が、見かねて声をかけた。
「いや、いい。エリカの傍にいる」
「顔が真っ青越えて……もう土色ですが」
「いや、まだ戦える!」
(戦っているのは私!)
「うぎゃあああ!!」
「エリカ様、その調子です!」
「その調子ってどの調子よ!!痛いのは私なのに気楽に言わないで!!」
「申し訳ありません」
「いきんでください、あと少し——」
「あと少しって、さっきから何回目!?」
アイゼンが、私の手をぎゅっと握った。
「エリカ、俺に何かできることは——」
「じゃあ、代わって!!」
「……それは、できない」
「分かってるわ!痛だぁぁぁぁ!!」
長い時間が過ぎた。
そして——。
小さな泣き声が、部屋に響いた。
もう一つの、小さな泣き声が続いた。
「……二人とも、無事です」
ブラッドの声が、聞こえた。
私は、荒い息のまま、天井を見上げた。
(終わった……終わったの……?)
アイゼンは、私の手を握ったまま、しばらく動けなかった。
その顔は、まだ青白かった。
「アイゼン」
「……ああ」
声が、震えていた。
「ずいぶん老け込んでいますけど、大丈夫ですか?」
「私の話をしている場合か」
「だって、顔が真っ白ですよ」
「……お前の方が、大変だっただろう」
「私は……まあ、ぼろぼろですけど。あなたの方が今にも倒れそうです」
アイゼンは、深く息を吐いた。
「正直に言う。今日ほど、自分が弱い人間だと痛感した日はない」
「……そうですか」
「あんなに読んだ本の知識も活かせなかったし、見ているだけしかできなかった」
「それで、十分ですよ。さあ、子どもたちの顔を見に行って」
アイゼンは、まだ少しふらつきながら、立ち上がった。
そして、ブラッドから二つの小さな命を、順番に受け取った。
「……エリカ」
「なんですか?」
「どちらが先に生まれたか、分かるか?」
「ブラッドに聞いてください」
「兄の方が、少し大きいですね」
ブラッドが、横から答えた。
アイゼンは、兄の方をそっと私に渡した。
小さかった。
本当に、小さかった。
(この子が、ルーカス。そして——)
もう一人を、アイゼンが抱いたまま、隣に来た。
(この子が、アンソニー)
◇
しばらく休んだ後、私は二人を腕に抱いた。
「ルーカス。アンソニー」
小さな二人の顔を、交互に見つめた。
「あなたたちが、どんな子供時代を送るのか、まだ分からないけれど」
私は、静かに続けた。
「ゲームの中では、誰も幸せにならない未来を生きることになっていた。でも、それはもう、私たちの世界の話じゃない」
ルーカスの小さな手が、私の指に触れた。
「あなたたちには、家族がいる。ちゃんと、ルーカスとアンソニーとして見てくれる人たちよ」
「たくさんの人が、あなたたちの誕生を待っていた」
アンソニーが、小さくあくびをした。
「これから、辛いこともあるでしょう。でも、大丈夫」
私は、二人を見つめながら、微笑んだ。
「あなたたちの未来には、ゲームのような悲劇はないから」
その言葉を口にした瞬間、アイゼンが部屋に戻ってきた。
顔色は、ようやく戻ってきていた。
「エリカ」
アイゼンは、二人を見下ろしながら、少し遠い目をしていた。
「どうしましたか?」
「……昔のことを、思い出していた」
「昔?」
「初めて会った日のことだ。湖のほとりで、お前が頭を打って、俺の祖父の名を呼んだ」
「……よく覚えていますね」
「忘れるわけがない。あの時はエリカのことをおかしな女性だと思ったからな」
(ははは……やっぱり)
アイゼンは、静かに続けた。
「だが、一緒に過ごす時間を重ねる間に、とても大きな存在になった——」
アイゼンは、二人の赤ん坊を見た。
「そして、今家族として、ここにいる」
その言葉に、胸の奥が、じわりと温かくなった。
「アイゼン……さっきの叫び声のこと、忘れてくださいね」
「……無理だ。一生忘れない」
「アイゼン!」
「今日、俺は色々なことを学んだ。出産の大変さと恐ろしさも、その一つだ。エリカが叫んでいた麻酔の研究は国を挙げて取り組んでいこうと思う」
「痛みは本人だけではなく、家族も辛いものだからな」
この日、この世界の医療がまた一歩前進するきっかけとなった。
◇
数日後――。
ノックの返事を待たずに、廊下の扉が開いた。
「ねえさま!!」
セザールが、飛び込んできた。
「セザール、静かに!」
ラウルモンドが、後を追った。
「赤ちゃん!二人だよ!」
「知っています、静かにしてください」
セザールは、二人の赤ちゃんを見て、目を丸くした。
「……ちっちゃい」
「リュンヌもそうだったでしょう」
「でも、二人いる!」
「双子ですから」
「どっちがどっち?」
「碧色をした目がお兄さんのルーカス。私と同じ濃紺の目の色をしたのが弟のアンソニーよ」
セザールは、ルーカスの顔を覗き込んだ。
しばらく、じっと見ていた。
「……ルーカス。私はセザールだよ。よろしく」
その時、後ろから、小さな足音が近づいてきた。
ターニャに抱かれたリュンヌが、興味深そうにこちらを見ていた。
「リュンヌも、来たのね」
ターニャが、リュンヌをそっと降ろした。
リュンヌは、ターニャのスカートに掴まった状態でこちらに向かって手を伸ばす。
セザールが、リュンヌの元にかけより手を取った。
「リュンヌ、一緒に見よう——」
その瞬間、セザールの顔が固まった。
「……あれ?」
「セザール様、どうしましたか?」
「私、リュンヌと手繋いで……ルーカスとアンソニーも見て……あれ、手が足りない」
セザールは、自分の手を見つめた。
「ふうぉぉぉ、赤ちゃん二人……私の手二つしかない……リュンヌと手をつないだら……うぬぬ」
「セザール様、大丈夫ですよ。私の手もありますから」
ラウルモンドが、冷静に言った。
「そっか!」
セザールは、片手でリュンヌの手を握り、もう片方の手をルーカスに向けて振った。
「みんな、仲良くしようね!」
リュンヌが、きゃっきゃと笑った。
ラウルモンドは、アンソニーの顔を、静かに覗き込んだ。
「……はじめまして。アンソニー」
ラウルモンドは、小さな声で言った。
「叔父さまだよ。よろしくね」
その声は、リュンヌの時と同じ、柔らかい声だった。
お父様は、部屋の端で、腕を組んで目を逸らしていた。
「……お父様?そんなところにいないで、孫を抱いてあげてください」
「ああ」
「ルーカス王子、アンソニー王子。じいじです」
(……じいじ?お父様が?)
「待て!婿殿。じいじは私の専売特許だ」
お祖父様が、お父様の前に立った。
「……義父上は曾祖父になるんですから、新しい名称でも考えてください」
「いや、私がじいじだ!」
「私もです!」
「……相変わらず賑やかね」
私は溜め息をつきながら笑った。
◇
夜が更けた頃、部屋は静かになった。
アイゼンが、ルーカスとアンソニーを、小さな揺り籠に寝かせた。
二人は、並んで眠っていた。
「アイゼン。ルーカスの名前の由来でもある、あなたのお祖父様の話が聞きたいわ」
「ああ。祖父の時代まで王位継承の争いの上で次代の王が決められていたんだ。生き残った祖父だが長年毒に蝕まれたせいで、寝台で過ごすことが多く私が生まれてすぐに亡くなられた」
アイゼンは我が子ルーカスの顔を見た。
「自分が孤独の中で生きてきたからこそ、『一夫一妻制』を作り、血で血を争う歴史を終わらせた人だ」
「アンソニーの由来である建国王の話も知りたい」
「初代アンソニー・フォレストは建国王だ。しかし、彼は独裁政治を良しとせず、一緒に国を作った者たちを家臣ではなく『仲間』と表記した。時代移り変わり、王家の秘匿となった話だ」
「『家族』と『仲間』……」
アイゼンは、少し間を置いてから、頷いた。
「この子たちにも、大切なものを守る人間になってほしい」
「……私も、そう思います」
私は、揺り籠の二人を見た。
◇
翌朝、私は久しぶりに便箋を取り出した。
◇
拝啓 親愛なる皆様へ
私はこの世界に転生した時、『攻略対象の母親』エリカ・ルフェランでした。
でも、ルーカスとアンソニーをこの手に抱いた瞬間に、私は確信しました。
私は、ゲームのまま(ママ)じゃない。
この子たちの未来に起きうる破滅エンドは、潰しました。
これからの物語は、あの子たちが作り出すでしょう。
敬具 エリカ・フォレスト
◇
窓の外に、フォレスト国の朝が広がっていた。
穏やかで、明るい、新しい朝だった。
ルーカスとアンソニーが、揺り籠の中で、小さく動いた。
アイゼンが、揺り籠を静かに揺らしながら微笑んだ。
廊下からセザールとラウルモンドの声が聞こえる。
「ルーカスーー!アンソニーーー!」
「ここは王宮です。セザール様、声を落としてください!」
「いいじゃん!!」
ルフェラン家の、いや、私の周りはにぎやかだった。
これは、ゲームにはなかった未来を、みんなで紡いだ物語――。
その未来は、次の世代へと受け継がれていく。
完
あとがき
ここまで『ママじゃない~攻略対象の母に転生したので、破滅エンドを潰します~』をお読みいただき、本当にありがとうございました。
4月に書き始めたこの物語も、ついに予定通り100話(間に閑話調整しましたが……)で完結を迎えることができました!
この作品は「主人公が悪役令嬢の乙女ゲーム」「鬱END」「攻略対象の母に転生する」という設定から始まりましたが、私が一番描きたかったのは、恋愛だけではなく「家族」と「人との繋がり」でした。
ここまでエリカたちの歩みを見届けてくださった皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。
今後ですが、『ママじゃない』の後のお話も少し考えています。
時系列でいうと、
『ママじゃない』 → ルーカス&アンソニー世代 → 『人の恋は蜜の味 after』(毎週金曜日更新中)
という流れになります。
もしルーカスやアンソニーたちの物語も読んでみたいと思っていただけたら、感想などで教えていただけると嬉しいです。
『ママじゃない』を応援してくださり、本当にありがとうございました。
最後に心より感謝をこめて。
めそこここ




