第1話 転生は突然に
気がついたら、自分が推しゲームの攻略対象の「母親」になっていた。
しかも、息子達の未来は最悪のバッドエンドしかない。
そんな悪夢のような未来が始まるなんて、この時の私はまだ知らなかった。
◇
十年近く保育士として働いてきた。学生時代から幼児教育の仕事に関わりたいと思い、念願叶って就職したが理想と現実は大きく違っていた。
ママグループの板挟みや子供の個性を伸ばす試みがクレームになるなど、子供の悩みより保護者への対応の方が大変だった。
それでも続けてこられたのは、子供の無邪気な笑顔があったからだ。
私は子供の幸せそうな表情が好きだ。だから、テレビや新聞で悲しいニュースを見るたび苦しくなり、自分にも何か出来ないだろうかと自問自答した。
仕事の専門性を高める為の資格から子育てする親のケアに関する事まで、同僚からは無駄な民間資格と言われても積極的に勉強した。
この十年は仕事と勉強に追われ、給料は学費に消えていた。
三十代に入り、任用資格の取得をきっかけに児童福祉の仕事に転職する事を決めた。
今日は新しい職場への初出勤の日――。
期待と不安が入り混じっている。
きっと、また思い通りにいかない日もあるだろう。
それでも、この十年で身につけた知識とキャリアが私の足取りを軽くした。
そう、あの瞬間までは……。
「きゃー誰かー!」
叫び声の方向を見るとベビーカーが急な坂道を勢いよく下っていた。
このままだと交通量の多い車道に入ってしまう。通勤時間という事もあり、車が途切れない。物理は得意ではないが、ベビーカーの速度で走行中の車と接触すれば大惨事という事だけは分かる。
私は全力で走り、ベビーカーを自分の方へ引き寄せた。
次の瞬間、自分の体が後方へ飛んでいた。
ゴォーンと頭の中で寺の鐘のような重く響く音と共に熱さにも似た痛みが後頭部から広がっていく。
薄れゆく意識の中で、最後に見えたのはベビーカーの中で無邪気な赤ちゃんの笑顔だった。
目を覚ますと町の喧騒は消え、緑が広がる景色と澄んだ空気の匂いがした。
湖に反射した光がキラキラと眩しい。
まるで風景画のような美しい光景。
ここは天国かもしれない。そんな事を思いながらボーッとしていた。
「……リカ嬢!エリカ嬢、目を覚ましたか?」
私の顔を覗き込むイケメン天使。
天使ってラッパを持った子供のイメージだったけど、実際は宗教画に近い美しい姿。
むしろ、天使というより王子様。
この整った顔立ち、どこかで見た事がある。誰かに似ている。私の知り合いにこんな美形いたかな。
でも、見覚えが……あっ!
「ルーカス王子。」
思わず口に出してしまった。
シミュレーション乙女ゲーム『人の恋は蜜の味』通称【恋蜜】の攻略対象のルーカス王子がそこにいた。
私の唯一の趣味は乙女ゲームだった。
その中でも【恋蜜】は普通の乙女ゲームと違い、無垢なヒロインが好感度を上げて告白したらハッピーエンドではない。
主人公は悪役令嬢――。
攻略対象を唆し、道を踏み外すよう誘惑して、婚約者や家族から攻略対象を奪っていく。
そして、どのエンディングにも因縁果報な結末が待っている。
プレイヤーは主人公も攻略対象も誰も幸せになれない未来を知る事になる。
ネットのまとめサイトを読んだ後のような身近に感じないリアルさが【恋蜜】にはあった。
どこかにみんなが幸せになれるハッピーエンドがあるのではないかと、私自身かなりやりこんだゲームだった。
攻略本や製作会社のインタビュー記事も読んだが、シナリオライターの「みんなが幸せになれる未来があるなら、物語が始まる前からすでに幸せ」という一文を読んで、はじめから幸せになれる結末がなかった事を悟った。
【恋蜜】の攻略対象であるルーカスは、フォレスト国の王太子。
ゲームチュートリアルで出会う攻略対象であり、一度上がった好感度は下がりにくく、とにかく簡単に落としやすい。ユーザーからは『チョロい王子』扱いされていた。
実際、目の前にした生ルーカスの破壊力は凄まじい。透き通るようなブロンドの髪に宝石のように美しい碧眼。黄金比の顔パーツに化粧品広告に負けない美しい肌。
眼福すぎて耐えられず、感動のあまり目が潤んだ。
「エリカ嬢?」
キャラクターボイスまでそのままで、感動のあまり見惚れてしまう。あぁ、やっぱり……
「ルーカス王子だ。」
そう呼ぶ私に対して顔色が変わるのが分かった。
「その名前は先代のフォレスト国王であった私の祖父だ。本当に大丈夫か?」
フォレスト国って【恋蜜】の舞台になった国の名前だ。
(私、【恋蜜】の世界にいるの?)
でも、目の前のルーカスに似た人はルーカスを祖父だと言った。ここは二世代後の世界って事?状況が全く掴めず混乱する。とにかく情報を集めて、早く元の世界に帰らないと。
「つかぬ事を伺いますが、私はなぜここにいるのでしょうか?お名前をお聞かせいただけますでしょうか?」
「エリカ嬢、やはり頭を打ったのか。」
ルーカスに似たイケメンは、護衛の騎士達に医師を呼ぶよう指示を出す。大事になりそうだったので止めようと起き上がろうとした瞬間。
「動かない方がいい。」
ルーカスに似たイケメンが私に覆い被さるような姿勢になる。イケメンの至近距離に思わず息を止めて顔を反らす。
「君、エリカ・ルフェラン侯爵令嬢は、私、アイゼン・フォレストと会う為に王家所有の湖のあるこの場に来ている。」
「アイゼン・フォレスト……って、国王様?という事は、お父様って事?」
【恋蜜】に王城に行くシーンがあり、そこでアイゼン国王が出てくる。アイゼン国王はもっと骨格もしっかりとした大人な感じで落ち着いた雰囲気があり、目の前にいる青年とは全く違う印象だった。
「私は国王ではなく、現国王の息子だ。」
アイゼン国王がまだ王太子……つまり、時間軸ではゲーム開始前。
「本当に大丈夫か?」
私を心配そうに覗き込む美しい碧眼に湖の光が反射して、瞳の中に見覚えのある顔が映し出される。
「え?アンソニー……。」
「先々代国王、アンソニー・フォレストの事か?」
瞳に映っていたのは【恋蜜】の攻略対象でもあるアンソニー王子だった。
ルーカス王子とアンソニー王子は二卵性双生児で兄のルーカス王子は国王似のイケメンで、弟のアンソニー王子は王妃似の美青年という設定だった。
私は、湖を覗き込み、顔をペタペタと触る。そこに映し出されていたのはアンソニー王子の顔をした私だった。
私は王妃ではなかった。
悪役令嬢でもない。
ヒロインでもない。
私は――未来でルーカスとアンソニーを産む攻略対象の母親だった。
転生したらゲーム開始前だった件って、まさかのラノベのような展開にますます混乱する。
ゲームのエンディングを知っている以上、この国の未来は真っ暗なのは知っている。
でも、二人の父親であるアイゼンお父様が名前を聞いても息子だと思わないという事は私はまだ二人を産んでいないのよね?
私は自分の腹部を触り膨らみがないか確認する。それでも一応確認しておかないと。
「確認なのですが……私達は、もう婚約していますか?」
「いや、まだ正式には」
「よかった……!まだ間に合う……」
私はその言葉を聞いて安心した。
【恋蜜】の兄のルーカス王子ルートでは、ヒロインと駆け落ちした後、婚約者の父親が激怒して貴族派を率いて反逆。
フォレスト王国は内戦に陥る。
(息子よ……。)
弟のアンソニー王子ルートでは、王位継承を狙った弟が兄を暗殺。
王位を手にしたはいいが婚約者の実家への借金返済で増税、国は困窮する。
(こっちの息子も……。)
他の攻略対象も誰一人として救われない。
初めてエンディングを見た時、私はコントローラーを握ったまま呆然とした。
「こんなの、誰も幸せじゃないじゃない……。」
プレイヤーの立場なら乙女ゲームの世界で済む。
けれど、転生してこの世界で生きていくとなると話は別だ。自分の子供に起こる未来を知っている以上どうにかしないといけない。
例えヒロインが他の攻略対象に進んだとしても、このゲームには、必ず最悪な結末がついてくる事を私は知っている。
(好きな子との幸せを祈れないダメなママを許して。)
妄想で産んだルーカスとアンソニーに思いを馳せると泣けてくる。
「エリカ嬢……やっぱり打ち所が……」
どうやら、本当に涙が出ていたらしく、アイゼンお父様が私の肩に手を乗せた。
「ちょ……アイゼンお父様!私を妊娠させる気ですか!」
「触ったくらいで妊娠するかっ!」
痴漢扱いされたアイゼン王太子の口調が崩れる。
私が、息子達と国の未来を憂いている時に、この双子の元凶!
「アイゼンお父様は、私を妊娠させるような男だという事、知っています!」
「だから、私は君のお父様ではない!」
深いため息をつきながら額を押さえる。
「……医師はまだか。まずは君の頭を診てもらう方が先だ。」
そう言いながらも、彼は私が起き上がらないよう、さりげなく肩口に手を添えたままだった。
私は知っている。ゲーム開始時、王宮に招かれたヒロイン視点のアイゼンお父様は、十五歳の息子がいるとは思えない、色気のある若いパパだった。
その作画にプレイヤー達の間では、アイゼン国王ルートがアップデートで来るのでは?と囁かれていた。
転生したと分かった今、この国の未来は、私の貞操にかかっていると言っても過言ではない。
◇
駆けつけた医者の診断では頭部外傷による記憶喪失とされた。
今日はアイゼン王太子の婚約者選定の交流の場だった。
一緒にボートに乗りたいとルフェラン侯爵家令嬢エリカ(私)がボートに乗り移る際にボートが動き、そのまま桟橋に頭を打ち、倒れこんだそうだ。
その頭を打った衝撃で、どうやら私は前世を思い出したらしい。
侍女に聞いた話では、私は高飛車な貴族令嬢でもなく、普通の年頃の令嬢。
アイゼン王太子に対しても、淡い恋心や王太子の妻になりたいという野望もなかったそうだ。
しかし、今日の顔合わせの場所にこの湖を希望したのは私らしい。
この湖は王家の所有する王族の避暑地であり、一般人はこの土地に踏み入れる事さえ許されない場所。
(なぜ、私はアイゼン王太子とボートに乗りたがったのだろう?)
これだけ美しい湖だ。きっと単純に普段行けない土地でボートに乗りたかったのだろう。うん、そういう事にしておこう。
今は、未来の為に――。
今後は、絶対にアイゼン王太子に近づかないようにしよう。
この出会いが、フォレスト王国の歴史そのものを書き換える始まりになることを——まだ、誰も知らなかった。
毎日22時更新予定です。 一話3000字程度で、読みやすい長さを目指しています。
ここまで読んで頂きありがとうございます。 もし「続きが気になる」と思って頂けましたら、ブックマークや評価で応援して頂けると励みになります。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
もし「続きが気になる」と思って頂けましたら、ブックマークや評価で応援して頂けると励みになります。




