はち
ヴィクターと遊んで待っていると、オーウェン様が帰ってきた。
「おかえりなさい、オーウェン様」
「おかえりなさい、父上」
馬車から降りてくるのは、もちろんオーウェン様……と、ベネッタだった。
「ベネッタ!? 仕事は大丈夫なの?」
昨日手紙が返ってこなかったから、閻実の界担当部の人でも、違う人が来るかと思っていた。「昨日は返事を返せなくてごめんなさい。上司に報告して、今日閻実の界担当部の一員として伺うつもりだったけれど、丁度オーウェン公爵と出会ったから……って、本当にオーウェン公爵そっくりね! 可愛い!」
ヴィクターを見ると、ベネッタは頬を緩ませた。
「こんにちは」
「こんにちは!」
ベネッタに元気よく返事をしたヴィクターの頭を撫でる。撫でると、ヴィクターは蜂蜜色の瞳を嬉しそうに細めた。
とりあえず、ベネッタに公爵邸の応接室に入ってもらい、詳しい話をすることにした。
「あなた方もご存知の通り、王狐の代替わりによって、閻実の界の時間の流れがおかしくなっています。なので、出来るだけ閻実の界には現在は立ち入らないように魔法軍としてもしています……けれど」
そこで、ベネッタはヴィクターを見た。ヴィクターが首をかしげる。
「未来からの来訪者をそのままにはしておけない、というのが、魔法軍の見解です」
そうよね。可愛いヴィクターと離れたくないけれど、今は本来ヴィクターがいるべき時間じゃない。それに、未来のオーウェン様(仮)のことも気がかりだ。
「でも、ヴィクターを閻実の界に送ると、今度は現実世界に戻ったときに、元の時間軸に戻れなくなるのでは?」
それを気にして、オーウェン様も閻実の界にヴィクターを送れなかったもの。
私が尋ねると、ベネッタは頷いた。
「閻実の界に渡らずにすむのが一番ですが、この場合は特例ということで、これを使います」
ベネッタが鞄から何かを取り出した。ダイヤ型をしており、黄色く光っている。
「これは時戻りの石といって、これをもっていれば、現実世界の正しい時間に帰れます」
なるほど。そんな便利なアイテムがあるのね! それなら、安心だ。
「それで、できれば今日、閻実の界に渡りたいと思います」
今日。ということは、ヴィクターとは、すぐお別れだということ。
「ヴィクター……」
「どうしたの、母上?」
「あのね、ヴィクター。私たち、ヴィクターとお別れしなきゃいけないの」
私がそういうと、ヴィクターは泣き出してしまった。
「やだ! 母上と父上とずっと一緒がいい!」
「ヴィクター」
オーウェン様が、ヴィクターを見つめる。
「閻実の界には、私も行く。そこで、未来の私に何か聞くことができたら、未来は変わるかもしれない」
「……変わったら、ずっと一緒?」
「ああ。ずっと、一緒だ」
「……わかった」
ヴィクターはなんとか頷いてくれた。
「それでは、今から閻実の界に向かいます」
本当なら私も着いていきたいけれど、時戻りの石が使えるのは、魔法や妖術が使える人だけらしいので、それらが使えない私は行けない。
「母上」
不安そうな顔をしたヴィクターを抱き締める。「ヴィクター、大好きよ。愛してるわ。また会えるように、頑張るから」
「……うん。待ってるね、母上」
──そうして、ヴィクターは、オーウェン様とベネッタに連れられ、閻実の界に渡った。オーウェン様もベネッタもこの時間軸に戻ってこられた。
けれど。
「リリアン、私は、あなたを──……、いや、何でもない」
それからのオーウェン様は、何かを言いかけ、やめることが多くなった。それに、出掛けるときの恒例となったハグも躊躇うようになった。
いったい、閻実の界で何があったんだろう。
■ □ ■
彼は、すぐに見つかった。
「父上!」
ヴィクターが彼にかけより、抱きつく。彼は鏡に映った私が実体を持ったような、けれど、ずいぶんと覇気がない顔をしていた。ヴィクターが抱きつき、父と呼んだことから、あれが未来の私、なのだろう。
彼と私の目が合う。彼は、目を見開いた。
「……私が、なぜ」
「こちらの時間軸では、王狐の代替わりがあった」
それだけで納得したのか、彼は、頷いた。そして、表情を変える。
「ヴィクター、少し、彼と話したいんだが、大丈夫だろうか?」
「今の父上と前の父上が話すの? わかった!」
ヴィクターは少しだけ私たちから距離をとった。
「聞きたいことがある」
「わかっている。リリアンのことだろう」
「ああ」
リリアンの死因がわかれば、未来は変えられるかもしれない。私は希望をもって、彼の次の言葉を待った。
「彼女は、リリアンは──、私のせいで、死んだ」
「な──」
私のせいで、リリアンが? 死ぬ?
「どう、して」
「……、…………、…………、……だからだ」
なぜか、彼が次に言った言葉は聞き取れなかった。もう一度、言ってもらう。
「だから……、…………、…………、……だからだ」
また、聞き取れなかった。もう一度、言って欲しいと願ったけれど、彼は首を振るだけだった。
「……未来は、変わらない。私は、私と出会わなかった。だから、未来を変えられると思ったが。やはり、未来は変わらないんだ」
彼がそういって、ため息をつく。未来が、変えられない? リリアンが死ぬ?
「本当に、彼女の幸せを望むなら、別れるべきだ。……私から言えるのは、それだけだ」
そういって、彼が去っていく。
私は、ベネッタ嬢に話しかけられるまで、呆然と立ちつくしていた。




