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さよならいとしのペンギンライフ  作者: 天川さく
第5章 さらばペンギンライフ
53/56

6-1 なんだってこの人は(前編)

      6


 なんだってこの人はいつもこういうタイミングなんだろう。まるで見ているようで。見ているのかな。元気さんにいわせれば息が合っているってことかな。

 しばらくぼんやり携帯電話を見ていたけれど、バッテリーの残量が少ないことに気づいて朋子は通話ボタンを押す。


『俺だ。いま空港だ。いい忘れた。本を出す。お前の持ち分は三十ページな。一般向け学術書だ。あとで出版社からお前にメールがいくはずだが締め切りは来月だ』


 本っ? と声が裏返った。しんみりとした気分が一瞬で吹き飛ぶ。


「三十ページって何文字分? 学術書って? 幅広すぎだし。何を書けと。その前に日本語ですよね?」


 それよりなんだと? 朋子の拳が震える。来月締切り? 敢行学会の後片づけやら何やらあるのに。冗談じゃない。


「無理です」

『はあ?』

「だから無理。せめて三カ月ください。テーマもわからないものをいきなり書けません」


 岩ポンが黙った。空港の雑踏だけが聞こえてくる。どうした? 怒った? 黙り込むくらい? それは──珍しいな。えっと、あの、どうするかな。そう動揺しているとようやく岩ポンが声を出す。低い声だった。


『お前、ペンギン卒業したって本当だったんだな』

「は? ええまあ。いまも出そうですけど」


 さらに岩ポンは無言になる。だからどうした。怒ったのっ? 断ったのを怒るのはわかるけど、どうしてペンギンに怒るの。あ、あのですね、と朋子は弱々しい声を出す。


「試料の整理もまだ終わってなくて。わたし、秋には野外調査に出たいし。受け持ち講義もはじまるからその準備もあるし。そうだ。冬。冬なら書けないこともないかな、なんて思うんですけど。どうでしょう」


 岩ポンは答えない。搭乗案内のアナウンスが響いて聞こえるだけである。ええ? どれだけ怒っているの。そうこうするうちに通話が切れた。充電切れである。


「ああもう。どうなったの。どうすればいいのさ。もう知らない」


 我に返る。


「そうだ、元気さん」


 振り返ると元気はいなかった。数メートル先の長テーブルで木橋と一緒に教授と話しこんでいる。このあとの片づけや大学側への事情説明の打ち合せ? わたしもいかなくちゃ。立ちあがろうとしたけれど、すとんと床に尻もちをつく。


 なんだかなあ。疲れちゃったなあ。

 はああ、と長く深く息をはく。


 元気さんかあ。悪い人じゃないんだけどなあ。ごめんなさい。やっぱりそういう気持ちになれないなあ。どうしてかな。元彼よりは情熱があるっぽいし気まぐれなところもいいんだけど。岩ポンと比べるとどうしてもって、岩ポン? どうしてここに岩ポン? 元気さんがけしかけるからついつい岩ポンが。苦笑が出る。


 そもそも岩ポンにかなう人なんてそうそういないし。一日二十四時間をフルに使って動きまくって。次から次へとアイデアがわいて、すぐに実行して。やれそうなことじゃなくて、やりたいことばっかりやってて。面白そうなお土産とかお菓子をいつも買ってきてくれて。困ったなあって思うとすぐに向うからメールがあって励ましてくれて。気がゆるみそうになると電話がかかってきて。


 あれ? と朋子は首をかしげる。

 どうしてこんなに岩ポンを褒めているの? おかしいなあ。褒めたくないし、むしろけなしたいのに。由加さんのときもそうだったなあ。これじゃあまるで岩ポン以上にいい男がいないみたいじゃん。


 ちょっと待って。

 岩ポンがいい男? どこでそういう発想になった?

 口のまわりを両手でおおい、ゆっくりと呼吸をする。落ち着かねば。


 まず岩ポンはわたしの指導教員。奥さんも子どももいる三十歳近く年上男。そりゃなんだか元気さんによると八年前に何かあったっぽくて。ひょっとすると奥さんたちは。でも。それはわかんないし。えっとそれから、身体はやたらデカいし、ケンカっぱやいし、声も大きいし一方的だし。


 だけど。


 ほかの誰と一緒に研究をしていても岩ポンほどにはワクワクしない。ごり押しばっかりだけど、測定したチリの海水サンプルだってワクワクな内容だった。オーストラリアの試料だってこのあと何がわかるかなってドキドキする。


 そんな大きなプロジェクトはひとりではできない。キャリアも足りない。岩ポンが代表をやってくれるからついていける。関わることができる。ほかの共同研究者の人とのプロジェクトをやったこともあるけど、やっぱり岩ポンとの方が自由にやれた。ただ採集した試料を解析するだけじゃなくて、二手三手先を見て行動できる。


 だから、うん、人間としては好き。それははっきり言える。研究者として大切な人で、わたしはこれからもずっとずっと研究をしていきたいから、ずっとずっと岩ポンと研究できたら楽しいだろうな。


 そういう気持ちはなんていえばいいんだろう。

 男として、とかじゃないし。岩ポンが女でも一緒に行動したいし。でもたとえば、岩ポンがわたしと同世代で同キャリアのほかの研究者とわたし以上に仲良く行動をしていたら? ちょっと妬ましいかも。


 認めたくないけど、わかってる。岩ポンのこと、カッコイイって思ってる。果てしなく面倒な人だけど、大切な人で。岩ポンに気にかけてもらって、たっぷりとお土産をもらえて、すごくうれしくて。実は自慢で。

 わかった、と朋子は顔をあげた。


「岩ポン以上にアクティブな人に出会えばいいんだ。その人と共同研究をすればワクワクな人生をすごせるはず」

「俺以上にすげえヤツなんているわけねえだろうが」

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