4-2 なんでってお前(後編)
ああそうか、と顔をあげ、「朋子センセ、あのですね」と話しかけた木橋を朋子は、しゃあっ、と威嚇した。こんな佳境で邪魔をされてたまるか。
そうでなくてもペンギンたちである。それこそひと晩中、朋子のまわりを行進し、ダンスをし、朋子の頭を蹴り飛ばし、背中をフリッパーで叩きまくって作業妨害をしていた。はずみでキーボードから指がはずれて誤字となり、やめろや、とペンギンたちを手ではらい、足にまとわりつくペンギンたちを振りはらう。
意図せず元気や木橋を攻撃するかたちとなって、ひょえっ、と元気と木橋は後ずさる。
「うわ、近よれない。どうすれば」
どうもしなくていい。むしろ、と朋子はたちあがる。どうしても確認をしないといけないデータがあった。原稿を入力しながらメモ用紙にチェックを進め、ついに確認必要数が十個を越えた。再測定をするならいましかない。試料箱を片手にデスクエリアを飛び出す。
「へ? え? これから? まさかSEM?」
エレベーターへと走る朋子を木橋が追いかけてくる。その木橋へさけんだ。
「デスクエリアの五番から十二番までのコンテナの整理整頓をお願い。地下倉庫のA06シリーズも番号順に並べ替えておいて。あと、明日の教授の予定も聞いておいて。U06シリーズの一覧リストの最新版を三部印刷しておいて。それから学会の運営委員会が当日のプログラムを更新しているはずだから、それも三部印刷しておいて」
え? あの、と戸惑う木橋に「いまいったことは全部木橋くんの道大アドレスへメールしてあるから確認してっ」といい捨てエレベーターへ乗り込む。移動時間すらもどかしい。
まだかまだかとエレベーターの階数表示を眺めて、そういえば、と思い出す。朝からずっと視界に木橋だけでなく元気の姿もあった。
元気さん、原稿できたのかな。わたしに構っている場合? 元気さんだって発表があるんだよね? 確か岩ポンが座長をするグループだったはず。あそこの参加メンバー、めちゃめちゃ厳しい研究者ばっかりだってわかっているのかな。
もちろん思うだけである。元気を気づかう暇などない。
踊るようにナノ光共用ユニットへ駆け込み、SEM装置の背後にある共用パソコンからSEM利用の予約サイトを確認する。よし、うしろに誰も予約をいれていないな。うなずいてSEM装置の前に試料箱を置いた。
ニトリルゴム手袋をつけて、いざ薄片試料を試料ステージへセット、というところで由加が「あら」と顔を出した。
「朋子センセ、いまから使うの? って、うわ、なんて顔よ。ひょっとして徹夜?」
「うん。装置があいてて助かった。ちゃんと予約はしたから」
バタバタと足音が聞こえる。廊下と施設のあいだのガラス扉に元気の姿が見えた。まさか木橋くんの代わりに追いかけてきたの? どうして?
とにかく、と朋子はあわてて装置の試料室を大気開放する。邪魔をされたらたまらない。
「待って。本当にやるの? その体調で?」
「明後日、いやもう明日だよ。岩ポンがきちゃうし。きたら絶対に突っ込んで聞かれるし。いまやらなかったらあとでたっぷりやらなくちゃだから」
「あとでたっぷりやればいいでしょ」
「あとはあとで別の作業が増えているからいまよりもっと大変だもん」
お願いっ、と朋子は由加に両手を合わせる。
「八枚、いや五枚。五枚だけだから」
「そこは一枚だけっていうところでしょう。何時間予約したのよ。は? 五時間? あのねえ、徹夜明けで五時間やるつもり? そりゃ装置はまだこの時期なら混んでいないけど」
「ありがとう」
「誰もいいとはいってないわよ。私ももう帰ろうと思っていたところだし。そんなフラフラな体調で誰もいない部屋で倒れたらどうするの」
「倒れないから。大丈夫だから」
ナノ光共用ユニットの部屋に元気が入ってきた。うわっ、と朋子はカーボンテープで薄片試料を試料ホルダーへ固定する。大気開放がすんだ装置試料室を開こうとして由加にその手をつかまれた。
「朋子センセ、いま装置本体の軸の確認をしなかったわ。チルトをかけたままだったら試料ステージが電子銃の先に触れて危険よ。勢いよく開けたら最悪折れるわ。知っているでしょう?」
え、あ、しまった。こんな初歩的なミスをするとは。背筋がひやりとする。
「ご、ごめんなさい。気をつける。だから」
「駄目。そんな集中力で操作をして装置がリークしたらどうするのよ。真空度をあげるのに半日は使えない。それこそ明日までに確認したい試料があっても装置が使えなくなるわよ?」
装置が使えない──。
そこまでいわれてようやく朋子は我に返る。まばたきを数回繰り返して、そっか、と丸椅子に座った。ゆっくりと手袋をはずす。知らず首を左右に振った。どうしたらいいかな。
うなだれる朋子の前に元気が立った。遅れてきた木橋も元気の隣にそっと並ぶ。木橋が口を開こうとして、それを元気が手で制した。
元気がゆっくりと身をかがめる。朋子と目線を合わせる。そして元気らしくもなく、柔らかく優しげな声を出した。
「『真冬日じょうとう』にいきましょう。腹が減っては、ですよ」




