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さよならいとしのペンギンライフ  作者: 天川さく
第2章 岩ポン、あなたという人は。いったい、わたしをなんだと(省略) 
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5-2 どんっと岩石試料が届いたのは(後編)

 手のひらサイズのペンギンのぬいぐるみが入っていた。しかも十体である。


「えええ」


 喜びのさけびにかわる。

 前かがみ気味の身体つきでくりっとした瞳、大きな頭部、ふっくらとした胴体。愛嬌のあるフリッパーに黒いくちばし。その目つきとフリッパーの位置がどれも微妙に異なっているという愛らしさだ。


「なんじゃこりゃあ。かわいいっ」


 興奮のあまり即座に岩ポンへ電話をかけた。木橋が何かをいっていたけれどペンギンのほうが大切である。


『おう、朋子。届いたか?』

「先生、ありがとうっ」

『ペンギン無事だったか?』

「無―事―でーしーたー」


 岩ポンは笑いながら『そいつは土産物屋のねえちゃんがよ。強引に勧めたやつでな。ひとつで十分だっつったんだけどよ。セット販売しかしてねえっていい張ってな。ならいらねえ、っつったらこのペンギンは夜中にしか現れない珍しいペンギンだからって脅しやがってよ』と珍しく解説をはじめた。


 うんうん、と朋子はうなずく。

 知ってる。フェアリーペンギンはオーストラリア南部やニュージーランドに生息していて、ペンギンの中では最も小さい種類なんだよね。明け方には海にいっちゃうから夜にしか会えなくて。

 ガハハ、と岩ポンが笑った。いつしか声に出していたらしい。


『なら、ペンギンをはげみにがんばれ』

「がーんーばーるー」


 満面の笑みで通話を切る朋子に、木橋と元気が駆けよった。


「そのぬいぐるみ、岩嶋先生が?」

「うん」

「朋子センセ、誕生日か何かなんかですか?」

「ううん、違うよ?」

「ただの土産?」

「うん」

「いやいや、ただの土産にコンテナいっぱいのぬいぐるみって。おかしいでしょ」

「そうかなあ。岩ポンにはいつもひどい目にあっているんだから。これくらいはありでしょ」


 まあそうですが、といいつつ木橋と元気は顔を見合わせる。二人の怪訝そうな様子も、フェアリーペンギンのぬいぐるみのとりこになった朋子は気づかない。きゃっほいとかけ声を出してぬいぐるみ十体をデスクまわりに飾りつけ、ほらほら、と機嫌よく木橋を急き立てコンテナを片づけた。

 元気はそのあいだ腕を組んで作業の様子を眺めていたのだが。


 それからであった。

 薄片にしようと仕分けしておいた岩石試料がなくなる事態が起こりはじめた。位置が変わっているのではなく、紛失であった

 素人が見ればただの石ころである。なんらかの価値を見いだして盗み持っていったとは考えがたい。コンテナの中におさまっていた岩石なので、ついうっかり蹴り飛ばすのも難しい。


 とおりすがりの誰かがふとコンテナに手をおいて、ついうっかりポケットに入れたとも思えない。そもそもとおりすがりの誰かが持っていくにはコンテナは学生部屋の奥部、朋子のデスクエリアの内部にあって、無理がある。

 故意でなければ持ち出せない。


「朋子センセ、薄片室へ依頼に出したのを忘れているのでは?」と笑っていた木橋も数個立て続けに紛失すると真顔になった。


「作業途中でどこかにおきっぱなしにしたとか」

「岩石試料の印つけは自分のデスクでやっていたんだよ? 真後ろのコンテナに戻す以外にどこにおくと?」

「朋子センセってば複数の作業をよく同時進行していますよね。別の作業のついでに手に持って、そのままだったとか」

「ついうっかり? やりそうだけど。そういえば前にもこんなことがあったなあ」

「こんなこと?」

「SEM観察しようとしたら薄片の順番がかわっていたり」


 え、と木橋が立ちあがる。


「いつの話です?」

「『元気さん事件』の直後くらいかなあ」


 ん? おれ? 呼んだ? と元気がデスクエリアに顔を出す。何々? と木橋へうれしそうな声を出す。


「紛失となると事件ですかね。何が起きているんですかね」

「まだ事件って決まったわけじゃ。わたしのうっかりかも」

「岩嶋先生からの試料でしょう? 重要物ですよ。事件ですよ」

「岩ポンをあがめているのは元気さんくらいだから」

「ぼくもあがめています」


 木橋の告白に朋子は目を丸くした。


「こんな無茶振りに巻き込まれて、よくそう思えるわねえ」

「え? そうですか? すごく勉強になっていますよ。あんなに面白い論文を書くにはここまで試料採集をするからだってわかるし」

「その試料をデータ化しているのはわたしなんだけど。っていうか、岩ポンの論文は全部英語だよ? 木橋くん、読んだの?」

「がんばりました。だから朋子センセもすごいなあと」


 へ、ありがとう、と朋子ははわはわと手を動かした。妬まれるのはよくあるが、褒められ慣れていない。反応に困る。何気なく別のコンテナの岩石を手にとり首をかしげる。コンテナ中の試料数は合っている。けれど。二個、三個と手にとりうなる。


「どうしてこのコンテナの岩石は順番がバラバラになっているのかな。全部なおしたはずだったけど。おかしいな」

「やっぱり事件でしょう。どうします? どうしましょう」

「元気さん、うれしそうにしないで。まだ事件とは決まってないし」


 身を乗り出してくる元気を手ではらいつつ、ほかのコンテナの確認を進める。


「窓際コンテナは合ってるけど、こっちのは違ってる。あれえ? こうならないようコンテナに貼っておいた紙のリストが破れてる?」


 これって、と眉をひそめたところで「うわっ」と木橋が声をあげた。


「朋子センセ、薄片が割れています。ひどい。誰がこんなことを」


 なんだと、と顔色をかえる元気を「ああそれ」と手で制した。


「わたしだわ。今朝、コンテナを動かすときに箱を落としちゃって。あれほど気をつけていたのにって一時間ほど落ち込んだから蒸し返さないで。見なかったことにして」


 朋子センセ、と木橋と元気はそろって切なげな顔をする。ああもう、と朋子は両手を突き出す。


「わかってる。わかってるってば。そんな目で見ないでよ。泣きたいのはわたしなんだってば。ほらほら、木橋くんは化石のクリーニングをお願い。元気さんは邪魔しないで」


 さあさあ、と朋子は二人の背中を押す。

 悩む時間はない。

 不安がる時間もいぶかっている暇もないのだ。とにかく手を動かし少しでも先に進まねば。試料紛失は痛手だけど、それ以外の岩石試料の試し切りをしてみないと薄片依頼もかけられないし木橋へ化石のクリーニング指示も出せない。

 おそろしいことにすでに八月である。学会まであとひと月。どうしたらこの状態から発表できるまでに間に合うというのか。しかも十件分である。むちゃである。そこをなんとか間に合わせねば。


 とはいうものの。

 チラリと朋子は破れた紙のリストを見る。

 木橋や元気にけしかけられるまでもない。これはあきらかにわざとで。事故やついうっかりの線は薄くて。

 まったく、と胸のうちで息をはく。

 誰がなんのためにこんなことを? 

 どんな暇人なの?

 そんなに暇なら手伝ってくれればいいのに。

 頬を膨らませて朋子は作業に戻った。

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